第22話
二人を乗せた車がその目的の場所に向かって走っていた。周りに住宅が並ぶ狭い道を進むと、その先に目的の場所があった。
「へえ……ここが神崎鼻ですか。ここが日本の西の果てなんですね」
車を降りた紬がそんなことを口にした。そこは確かに、この国の西の果てだった。
『神崎鼻(こうざきばな)公園』日本本土最西端の地・小佐々町楠泊にある公園で、国土地理院が人工衛星をによる測量を実施し、正式に本土最西端の地と認められた場所だった。
「こんなところがあるんですね。知らなかったです」
「私も。この前初めて知りました。こんな場所があったんだって」
紬の言葉に結喜も頷いた。佐世保にずっと住んでいた結喜にとっても、その場所は初めて見る場所だった。
旅に行くと決めた結喜たちがどこを巡ろうかと調べていた時、二人はこの神崎鼻について知ることになった。本土最西端の地という覚書を見た瞬間、二人はここに行こうと決めたのだった。
車を停めて二人がその場に降りると、青空から降り注ぐ日差しと、海から流れる潮風が頬を撫でた。結喜たちはそれを気持ちよさそうに受け止めていた。
二人が降りたのは公園の入り口で、そこから海まで歩いて行くようになっていた。
「あ、海鳥さん。ここを登った先に公園があるみたいですよ」
紬が近くにある案内板を指差した。そこには神崎鼻の地図が描かれており、横にある坂を登った先に公園があることを教えてくれた。
「行きましょう! 何があるのか楽しみです!」
早く行こうとはしゃぐ紬。それに続くように結喜も歩みを始めた。
二人が公園に向かって坂を登る。まだ梅雨時期ではあるが、空は晴れ渡っていて、夏の気配も感じる熱気だった。あまり急勾配ではないが、それなりに長い坂なので、二人の頬に汗が流れ落ちていた。
「海鳥さん、大丈夫ですか?」
「私は大丈夫。歩くのは慣れてますから」
「無理はしないでくださいね」
結喜を労わる紬。こういう気遣いができるあたり、本当にいい子なのだと結喜は感じた。
「あ、見えてきましたよ」
紬が嬉しそうな声を上げた。彼女が指差す方を見ると、そこには広い芝のスペースと、展望台と思しき登り台が見えた。
「うわあ……」
その場に立った瞬間、紬がそんな声を上げていた。
展望台に登るまでもなかった。その芝の上に立つと、遠くまで見渡せる青空と、青く輝く海が広がっていた。その海の上を、一隻の船がゆっくりと流れていくのが見えた。
「すごい……きれい」
その言葉だけで十分だった。紬はそれだけしか言わなかった。だけど、その言葉が目の前の光景の美しさを物語っていた。
横に並んでいた結喜は何も言うことなく、その光景を眺めていた。ただただ、目の前に広がる美しさを全身で受け止めていた。
展望台の横には、結喜の身長よりも一回り大きな石碑が建てられており、そこに『日本本土最西端の地』と書かれていた。結喜はその海をバックにその石碑を写真に撮った。
「あ! 海鳥さん! すごいのがありますよ!」
再び茜が声を上げる。結喜が振り向くと、確かにすごいものがあった。
「あれって日本地図ですよね! すっごい大きいですよ!」
結喜たちの目の前には、地面に作られた巨大な日本地図の模型があった。この公園のモニュメントらしく、バスケのハーフコートくらいの大きさがあった。
「本当。すごいですね」
驚く結喜たちがその日本地図に向かって近づくと、地図の前に説明板があった。
「四極交流広場……?」
結喜たちが説明を読んでみると、最西端である神崎鼻と、その他最南端の鹿児島県佐多町・最東端の北海道根室市・最北端の北海道稚内市。それぞれの地域で交流や友好を約束し、ここに四極交流盟約書を締結することがそこに書かれていた。
「四極交流盟約書……こんなものがあったんですね」
「私も知らなかったです」
二人して感心したように唸っていた。実際この場所のこと、この盟約書のことなど佐世保市民も知らない人がほとんどではないだろうか。
ここに来なければ、きっと知らないままだっただろう。ここに来たことで、結喜はこの光景を、この場所のことを知ることができた。
それがどれほど素敵なことか。彼女は静かに噛み締めていた。
その時、横にいた紬が身体を震わせていた。どうしたのかと結喜が見つめていると、紬が嬉しそうに声を上げた。
「すごい……世界って、こんなにすごいんですね」
その時、紬は笑っていた。それは楽しさで笑っていたのか、それとも感動で笑っていたのか。
横で見ていた結喜にはわからなかった。だけど、その時の紬の笑顔があまりに素敵すぎて、結喜は思わず見惚れてしまった。
「あ、海鳥さん。あそこにも道がありますよ」
「え? あ、ああ本当ですね」
紬が指差す方を見ると、下の方に伸びる道が見えた。どうやら海に向かって伸びているらしく、その先にも道があることを示していた。
「行ってみましょう。何があるんですかね?」
紬が答えを聞く前に歩き出した。結喜もそれに続くように後を追った。
下に続く道を歩くと、さらに下へ降りるための階段が続いていた。階段は海に向かって伸びていて、まるでそのまま海に潜っていくようにさえ思えた。
その階段をしばらく降りると、そこにもう一つのモニュメントが建っているのを見つけた。
「これって記念碑?」
「そうみたいですね」
二人が見つけたもの。それは本土最西端であることを示すモニュメントだった。白い二本の石の棒が空に向かって伸びていて、その内の一本の棒の先に、地球みたいな丸いボールが刺さっているのが見えた。
そのモニュメントの台座には『日本本土最西端の地』と金色の刻印が掘られていた。
記念碑は海に面した踊り場に作られていて、まるで海の上に建てられたような印象になっていた。
「うわあ。けっこう大きいですね。二メートルはありますかね」
紬が記念碑の隣に立つ。紬も女性ではそれなりの高身長だったが、記念碑はさらに上まで伸びていた。彼女の言う通り、二メートルの高さはあるようだった。
その時、結喜がスマホを取り出して、記念碑の周りを撮り始めた。下から見上げる構図や、階段から全体を俯瞰する構図など、色々な角度から記念碑を撮り続けた。
結喜が記念碑の横に立った。その眺めはまるで、記念碑が海を見守るようにそこに建っているような、そんな印象を受けた。
結喜はその場から写真を撮って、画像を見直してみた。
波打ち際に佇む立派なモニュメント。海の守り神のように仁王立ちする立派なモニュメント。こうするとただのモニュメントなのに、不思議と結喜の中で愛着が湧いてきた。そんな自分に結喜は静かに笑った。
「あ、海鳥さん。この下にも道がありますよ」
その時、紬が下の方に伸びる階段を指差した。
「行ってみましょう」
答えを聞く前に紬が歩き出す。やれやれと思いつつも、結喜は彼女の後に続いた。
下に降りた先。そこには一本の遊歩道があった。それはまるで、海の上を流れる一本の道のようだった。
海中遊歩道という名の遊歩道で、波打ち際ぎりぎりに作られた歩道だった。舗装された道のすぐ横には海が押し寄せていて、海の底まで見えそうなほどに透明できれいな海が輝いていた。
「うわ~……すっごいオシャレ!」
「本当、こんなにきれいな海、初めて見ました」
よくテレビで見る沖縄などの海が、こんな風に透明な青色だったのを思い出す。
そんな海を横目に歩く一本の道。ファンタジーチックなその光景に向かって、結喜は写真を撮った。
その時、横にいた紬の身体フルフルと震えていた。結喜が何事かと声をかけようとすると、いきなり紬は靴を脱いだかと思うと、遊歩道に向かって走り出した。
「え、蛯沢さん!?」
「ごめん、ちょっと行ってきます!」
裸足になって遊歩道に向かう紬。しっかり舗装された道なので怪我はしないと思うが、コンクリートの道は熱くて火傷するかもしれない。それに今は満潮なのか、遊歩道には時々波が押し寄せてきて、水しぶきを上げながら道を濡らしていた。さすがに結喜も心配になった。
「危ないですよー! 靴を履きましょうよー!」
「えー? 大丈夫ですよー!」
心配する結喜の言葉を振り切って、紬はそのまま遊歩道を歩き出した。
キラキラと輝く青い海。その横を流れる一本の道を、紬が一人歩いて行く。その時、波が道に押し押せてきて、茜の足に流れてきた。
「……! すっごい気持ちいい!」
素足で感じる海水の冷たさにはしゃぐ紬。そんな彼女が心配で、結喜がハラハラしながら見つめていた。
その時、道の真ん中くらいまで歩いていた紬が突如振り返った。
結喜の心が、一瞬で奪われていた。
「ねえ、海鳥さん!」
その時、紬はこれ以上ないってくらいの笑顔で、結喜に向かって叫んだ。
「私、海の上を歩いてるよ!」
そう言って、紬がまた道を歩き出す。水しぶきの上がる道を歩くその光景は幻想的で、結喜はその光景から目が離せず、前を歩く紬をじっと見つめていた。
結喜の身体が自然と動いていた。彼女は無意識にスマホを取り出すと、そのまま海の上を歩く紬を夢中で写真に収めた。
どうしてそうなったのか、結喜にも説明はできなかった。でも、そうしなければならないと、何かが彼女の中で訴えていた。もしその光景を撮らなかったら、きっと後悔するぞ、と。
「あー!」
その時、紬が振り向いた。結喜が自分を撮っていることに気付くと、紬が悪戯っぽく笑った。
「可愛く撮ってくれないと、怒りますからねー!」
その笑顔に、結喜は思わずドキッとした。結喜は心奪われた。いつもはかっこいい紬のその笑顔が、あまりに可愛かったから。
その時、一際大きい波が押し寄せてきて、紬に向かって水しぶきが上がった。
「きゃっ!」
水しぶきが上がったことで、紬が避けるように身体を構えた。
まるで映画のワンシーンみたいだった。輝く海の上を歩く紬。そんな彼女に水しぶきが降り注ぐ。太陽照らされたそれは、光のシャワーみたいに輝いていた。
その瞬間の紬の姿は、たぶん一生忘れられない。結喜はその瞬間に向かって、ひたすらシャッターを切った。悔しいけれど、それは結喜がそれまで撮ったどんな写真よりも、ずっと綺麗に撮れていた。
スマホに映し出されたその一枚に、結喜は胸の高鳴りが止まらなかった。ドキドキがずっと続いていた。結喜はそのドキドキが続く間、ずっと紬に向かって写真を撮り続けた。
心地良い波の音が響く中、二人きりの撮影会はしばらく続いたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます