第18話

 翌日。結喜はこの日もかるドラのサントラを聴きながら読書をして過ごしていた。こ手にしているのは『シャーロック・ホームズの冒険』だった。

 結喜は昨日からずっと、かるドラの音楽を聴いていた。吹奏楽による音楽を聴いて読書するこの時間が結喜にはとても楽しく感じられた。

 その時、結喜が本を横に置いて伸びをした。しばらく本を睨んでばかりだったので、すっかり疲れてしまった。左右に首を回して息を整えた。

 そうしてから、結喜は今もプレーヤーから流れる音楽に耳を傾けた。その音楽に心が弾むような気がした。

 元々かるドラは、結喜がドライブを始めるきっかけになったアニメだ。ドライブで旅をする少女たちの物語を見て、結喜も旅をしたいと思うようになった。

 そんなアニメで流れている音楽。結喜がその音楽に心地良さを感じるのも当然だった。そして同時に、彼女の中でもう一つの炎が燃え上がり始めていた。

「またどこか行きたいな……」

 そんなことを呟く結喜。サントラを聴いていた結喜が、また旅に出たいと思い始めていた。プレーヤーから流れる音楽が、結喜の中にある情熱を再び燃え上がらせていた。

 そんな風に呟く結喜だったが、彼女が窓の方を見ると、今も外から雨音が聞こえてきた。

 梅雨に入ってからずっと曇り空だった。雨が降り続いており、洗車するタイミングもなかった。結喜は灰色に染まった空を見て、小さく溜息を吐いた。

 別に晴れていなくてもドライブ自体はできる。行こうと思えば行っても問題はない。ただ、せっかく出かけるのであれば、やはり晴れた日に出たいと思うものだった。

 青空の下、澄んだ空気の中を走り、辿り着いた場所で綺麗な光景を写真に撮る。そんな旅をしたいと結喜は思っていた。

 その願いは梅雨に入ってから実現していなかった。彼女の中で旅に出たいという気持ちが強くなっていた。

「……何かないかな」

 そんなことを呟きながら、結喜がスマホを手に取って、メールや着信がないか確認した。来ていないとわかってはいるのだが、それでもつい確認してしまう。こんなことをするのは、きっと彼女だけではないだろう。

「……あれ?」

 その時、結喜はスマホにある天気予報のアイコンに目が留まった。そこには簡潔な週間天気予報が表示されていた。

「来週、晴れる……?」

 そこには来週、晴れ間が訪れることが書かれていた。それを見た結喜は傍らに置いてあったタブレッドを手にとって、佐世保の週間天気予報を調べ始めた。調べてみると、来週雨雲の途切れ目が訪れるらしく、少しの間だが青空が見える日がやって来るという。

 しかもその日は結喜の休日と被っていた。

「……これって、ドライブ行ける?」

 結喜がそう呟いた瞬間、彼女の中で燻っていたドライブ熱が、一気に燃え上がった。その炎はすでに彼女にも止めることができないほどに燃え上がっていた。

 彼女はすぐにタブレッドを操作し始めた。旅に出ると言っても、目的地などはまだ決めていないのだ。結喜は佐世保の地図を画面に表示させた。

 この前は烏帽子岳と世知原にだった。その他にもいくつかドライブに出かけたことはあるが、せっかくだから普段は行かないような場所に行ってみたくなった。結喜は地図を眺めながら、どこへ行こうか品定めをしていた。

「……あ、ここ……」

 結喜が地図に示されたある場所に注目した。

 鹿町・小佐々町地区。北松浦半島北西部に位置する町であり、漁業が盛んな地域であった。

 結喜は昔、よく家族と一緒にこの地域を走ったことがあった。その時のことを思い出し、当時見ていた光景が、記憶の棚から呼び起こされていた。

 綺麗に輝く海。どこまでも続く一本道。昔見たっきりだが、今でもその時の光景が心に刻まれていた。

 あれから何年も経っているし、景色や町の形は変わっているかもしれない。結喜が記憶する町の姿はもうないのかもしれない。

 でも、だからこそ彼女は行きたいと思った。今見に行かないと、後悔するかもしれない。

 そこは行くべき場所であり、見るべき場所だ。

「……よし」

 旅の目的地が決まった。結喜は満足そうに笑って、それからドライブのルートや観光地などを調べようとタブレッドに手を伸ばそうとした。

 その時、彼女は紬のことを思い出した。

「……蛯沢さん、一緒に行きたいとか言ってたなー……」

 次にドライブに行くことがあったら、自分も行きたいと願い出た紬。もし彼女を誘えば、喜んで付いて来るだろう。

 そんなことを考えてから、結喜が少し考え込んだ。暗い顔で。



 ……やっぱり、一人で行きたいなあ……。



 そんなことを、何とも言えない表情で考えていた。

 結喜にとってドライブは一人で行くもので、誰かと一緒に行くようなものではない。隣に誰かがいるということはあり得なかった。

 人見知りの結喜にとって、初対面と言っていい紬を助手席に座らせるのは、どうしたって緊張するに決まっていた。そんな状態でドライブに行っても、楽しめる気がしなかった。

 では自分一人で行くかと言われると、それも憚られた。紬からドライブに誘ってほしいと言われて、結喜も渋々ながら了承しているのだ。それなのに自分一人で行ってしまうのは、その約束を破ることになる。

 そんなことをしてしまえば紬がど思うか。それを考えると結喜はどうしても迷ってしまうのだ。

 紬が自分に悪感情を持ったとしても仕方ないことだ。仮にそうでなかったとしても、彼女は悲しむかもしれない。

 そう思うと、結喜一人で出かけるのは、どうしても気が引けるのだった。

 紬のことを思い出す。初めて会った時から笑顔満開で、自分に語り掛けてくる時、いつも楽しそうに笑っていた彼女。

 自分には苦手なタイプだと結喜は思った。だがそれは結喜にとって苦手というだけであって、紬はいい人間だとは結喜も思っていた。もし彼女と一緒にドライブに出かけたとしても、悪いことではないと結喜も思う。

 しかし、それでも結喜は一人で旅に出たいという想いが捨てられなかった。

 結局のところ、自分一人の時間を邪魔されたくないという結喜の想いが、彼女の中で葛藤を生んでいた。

 正直、自分でもつまらない葛藤だとは思った。しかし、一人で行きたいという想いが捨てられないのも事実だった。

「どうしようかな……」

 答えの出ない問いを呟いて、結喜はまた考え込むのだった。




 翌日、買いたい日用品があった彼女は、いつも通っている百円ショップにやって来ていた。

 この日、天気はさらに荒れており、前日よりも激しい雨が降っていた。

「うわ……ひどくなってる」

 買い物を終えた結喜が店から出ると、先ほどよりも雨が激しくなっていた。すでに足元が濡れていた結喜は、傘を開いて歩き出した。

 この大雨の中を歩く結喜。その顔は気が滅入っているように見えた。

 ただ、それは雨だけが原因ではなかった。彼女は車に向かう間、紬のことを考えていた。昨日からずっと、彼女は紬をドライブに誘おうかどうか悩んでいた。

 きっと人から見ればつまらない悩みだと思うだろう。宮島あたりに話せば、きっと苦笑いを浮かべて言うだろう。やりたいようにやっていいと。

 それでもいいとは思う。しかし紬のことを思うと、どうしても悩んでしまうのだ。

「……どうしようかな」

 我ながら、つまらない性質だと結喜は自分に舌打ちした。

 広い駐車場を歩く。結喜のような歩行者以外にも、何台かの車が行き交っていた。雨でお互い気を付けているが、この大雨に視界も悪くなっていた。結喜は車に注意しながら歩いていた。

 その時、結喜の後ろから一台の車が走ってきた。それに気付いた結喜は少し端に寄って車を避けようとした。

 その車が結喜の横を走り去ろうとした瞬間、小さな水柱が結喜に襲い掛かった。

「わ!」

 油断していた結喜の身体に水が襲い掛かる。運悪く結喜の横に大きな水溜まりができており、車が走ったことで水しぶきが上がった。

 水の暴走が終わると、結喜の身体はすっかりずぶ濡れになっていた。

「……うあ~…………気持ち悪……」

 服の中を冷たい水が侵略してくる。その感触に結喜の身体が震えた。

 このままでは風邪を引いてしまう。早く車に戻ろうと顔を上げた時だった。

「すいません! 大丈夫ですか!」

 そんな声が聞こえてきた。どうやら車の運転手が戻ってきたようだった。

「あ、いえ。大丈夫です」

 全く大丈夫ではないが、早く帰りたい結喜はさっさとこの場を収めようとして顔を上げた。

「……え?」

「あれ?」

 そんな間の抜けた声が流れた。結喜が顔を上げると、そこにいたのは紬だった。

「海さん、ですよね?」

 おずおずと問いかけてくる紬。二人の間に不思議な空気が漂っていた。

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