第4話

 まだ街が起き始めたくらいの時間だった。まだ太陽は東の空にいて、街も人の姿がほとんどなかった。

 そんな早い時間に関わらず、結喜は市街地に向けて車を走らせていた。

 青崎と電話した日から数日。結喜は朝早くから市街地に向かっていた。通勤する車も少ない中、彼女はアーケードの近くまでやって来た。

 佐世保には『アーケード』と呼ばれる商店街があった。市街地には三ケ町と四ケ町があり、その二つが繋がったものをアーケードと市民は呼んでいた。

 アーケードは昔からある市民の娯楽の場で、ここで遊んだり買い物をしたり、佐世保唯一の百貨店があるなど、佐世保の中心とも言える場所だった。単に佐世保でアーケードと言えば、ここのことを指していた。

 結喜はアーケードの近くまで来ると、駐車場に車を置いてアーケードに向かった。

 まだ朝の早い時間。アーケードにある商店街のほとんどは開いておらず、シャッターで閉じられたままだった。

 とはいえ、その内のいくつが開かれるのかは、彼女は知らない。佐世保にもアーケード以外の商業施設ができるようになり、それに反比例するようにアーケードも人の姿が少なくなっていた。シャッターが閉じられたままの空き店舗も珍しくなく、そこだけ時間が止まってるようでさえあった。

 結喜はそんな光景を横目に見ながら、アーケードを通り過ぎて行った。彼女の向かう先は、アーケードからさらに先にあった。

 アーケードからさらに歩いた後、彼女が辿り着いたのは名切町だった。名切町はアーケードから少し離れたところにあり、ここには市立図書館や運動場、それに公園などの施設があった。市民にとっては憩いの場所だった。

 そんな名切町を歩いて行くと、彼女は目的の場所に到着した。

 彼女の前にあるのは『佐世保交通公園』と呼ばれる、この町の名所だった。交通公園は公園でありながら、子供たちが交通ルールを学ぶための施設となっており、佐世保で育った者なら一度は訪れたことのある場所だ。

 結喜もこの交通公園には何度も来たことがある。親に連れられてきたこともあるし、高校生の時は友人たちとここで遊んだりもした。

 そんな思い出の場所に来た彼女の前に、一枚の立て看板があった。

 それは工事の予定を伝える看板だった。つまりは、看板は公園が閉園されることを伝えていた。

 その看板をじっと眺めた後、結喜は大げさなくらいに天を仰いだ。

「マージかー……」

 そんな溜息交じりの呟きが、彼女の口から漏れ出した。こんなにも感情を詰め込んだ溜息は久しぶりだった。

 数日前、ゆきはウチデワの記事で、公園が閉鎖されることを知った。まさかのことに結喜は驚きで固まるほどだった。

 それから数日。休日を迎えたこの日、彼女は朝から公園を訪れることにしたのだ。

 そうして今、彼女の目の前には閉園を告げる看板が一枚。

 正直、結喜は信じられない気持ちだった。交通公園は昔からある公園で、これからもずっとあるものだと思っていた。閉園されることなどないと、心のどこかで思っていた。

 それが避けようのない事実であることを、目の前の看板が教えてくれた。

「さすがに、ちょっとショックだな……」

 閉鎖されることが事実だとわかっていても、こうして事実を目の前に突き付けられるのは、ショックの度合いは幾分違うものがあった。

 結喜は諦めたように一回深呼吸して、公園へと足を踏み入れるのだった。



 交通公園は子供が交通ルールを学ぶための場所であり、そのため園内は道路を模したスペースが広がっていた。自動車学校にある練習コースが小さくなったようなイメージだ。

 コースには実際に横断歩道が引かれていたり、本物の標識や信号機が設置されていた。

 結喜がスマホを構える。目の前に広がるその光景に向かって、何枚も写真を撮り続けた。横断歩道も標識も信号機も。それに子供たちが遊んできたであろう遊具にもスマホを向けた。

 結喜は何枚も写真を撮り続けた。撮り逃したものがないように。目に付いたもの、心が向いたものは何でも写真に撮り続けた。

「うわ、懐かしいな」

 その時、彼女の前には小さなゴーカートが並ぶ光景があった。二人乗り用のゴーカートは、親と子供が一緒に乗る仕様になっていて、園内の道路をそのカートで走ることができた。

 一回数百円のゴーカート。昔は結喜も父親と一緒に乗ったことがあった。風を切って走るカートが気持ちよくて、父親の運転するカートは彼女のお気に入りだった。

 結喜は目の前のカートにもスマホを向けた。今は静かに並ぶその姿を写真に収めた。

 園内には彼女以外の客の姿はない。職員が園内を掃除する以外は、人の姿はなかった。そんな園内を歩く中、結喜はこの公園の象徴とも言える場所までやって来た。

「……やっぱり、大きいな」

 結喜の前にあるのは、巨大なSLの車体だった。鈍く光る黒い車体に、今にも動き出しそうな大きな車輪が目の前にあった。昔からここに展示されているもので、保存のためにこの公園に置かれていた。

 結喜は車体の横に設置されている掲示板を見た。そこにはSLの来歴や性能などが詳しく紹介されていた。

「D511142……えっと、これもデゴイチってやつなのか?」

 型番と思われる数字を読み上げてみる。鉄道に詳しくはないが、デゴイチの名前くらいは聞いたことがあった。

 長く線路を走り続けてきたこの車両も、役目を終えた後はここで静かに過ごしてきた。その雄姿はここに来た多くの人々を釘付けにしたことだろう。

 だけど、この公園ももうすぐ閉鎖される。その時、この車両はどうなるのだろう。またどこかの博物館などに移ったりするのだろうか。それとも、廃棄処分というのもあるのだろうか。

 そこまで考えたところで、彼女はこの公園が本当に終わるという事実を実感した。

 この公園は昔からここにあって、ずっとここにあるのが当たり前だと結喜はどこかで思っていた。

 それが当たり前ではないことを、彼女は思い知らされた。

 彼女の中にある『佐世保』が消えていく。過去のものになるのだと、結喜はそこで理解するのだった。

 結喜はその場で園内を見渡した。計画では運動場を含めて、ここら一帯は大きく作り替えられるという。

 もし生まれ変わった町の姿を見た時、彼女はそれを自分の故郷だと、受け入れることができるのだろうか。

 結喜も理解はしていた。町が姿を変えるのは当たり前にあることだし、たとえ姿を変えたとしても、それは自分の故郷であることに変わりないのだと。

 それでも、どうしても考えてしまう。町が生まれ変わる。その寂しさに自分は耐えることができるのだろうか。

 自分に対する問いに答えを出さないまま、彼女は再びスマホを構えた。寂しさを打ち消すかのように、写真を撮り続けた。



 その後、結喜は青崎に交通公園が閉鎖されることを伝えると、彼女から『ショックだ……』とだけ書かれたメールが返信されたのだった。

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