第3話

 翌日、結喜は本を読んで過ごしていた。その手に広げられているのは武者小路 実篤の『真理先生』だった。スマホからお気に入りのアニソンを流し、それをBGMにして、手元で広がる物語と語り合っていた。

 その時、スマホがけたたましくベルを鳴らして、結喜に着信を告げた。

 結喜が電話に出ると、スマホから聞き慣れた声が聞こえてきた。

「海さん、おつかれー」

「おつかれ、青崎さん」

 相手は友人の青崎だった。結喜の少ない友人の一人であり、また同じ佐世保で育った同級生でもあった。今は東京に出て暮らしており、しばらく佐世保に戻っていなかった。

 それでもこうして、時々結喜に電話をかけてくる仲だった。

「どうしたの? 何かあった?」

「いや、ただ話がしたかったから電話してみた。今大丈夫?」

「……まあ大丈夫だけど」

 結喜がそう言うと、一旦本を閉じてからもう一度スマホを耳に当てた。向こうから青崎の声が聞こえてきた。

「それで? 最近楽しいことはあった?」

「特に何も。いつもと変わらないよ。そっちは東京は楽しんでる?」

「まあね。仕事も順調だし、こっちでできた友達ともよく遊んだりしてる。けっこう楽しいよ。そういえば、私が佐世保を出てそろそろ一年経つ頃だよね?」

「ああ……そういえばそうだった。ちょうど私が今の仕事を始めた頃だ」

 一年前、結喜が今の職場に就職した頃に、青崎は『やりたいことがある』という理由で、佐世保を出て上京した。今は楽しくやっているようで、そのことに結喜はほっとしていた。

「あ、そういえばあのビデオ屋さん、閉店したってマジ?」

「ああ、うん。写真見たでしょ? 久しぶりに行ったらもう閉まってた」

「そっかー。ちょっとショックだわー。昔はよく二人で遊びに行ったよね」

 電話の向こうから、懐かしそうに語る声が聞こえてくる。

 結喜が大学生の頃から二人はよく遊んでいた。例のビデオ屋にもよく行ったもので、特に用事もないのに陳列してあるビデオのパッケージを眺めたりしていた。

「覚えてる? 二人でよく遊びに行ったの」

「まあ、覚えてるよ。青崎さん、よくホラー系の棚に行ってたよね。チープな出来の作品を見るのが好きだとか言って」

「ああ、言ってた言ってた。あとさ、ビデオのパッケージを見て大喜利とかしたよね。写真で一言、とか」

「あーやったやった。確かスタンドバイミーで『あ、携帯忘れた』『あ、俺も』『俺も』『僕も』とか」

「言ってた言ってた! 全員忘れるとか、すでに詰んでるじゃん!」

「あとジョーズの写真で『おのれ、すしざんまいめ!』とか」

「あの鮫、すしざんまいとの間で何があったのさ!」

 電話の向こうで楽しそうな笑い声が響いていた。当時はビデオ屋でそんな遊びをしていたのだが、それでよく楽しめたなと、結喜は首を傾げる思いだった。

「よくあんなことしてたよね。今思うとアホというか」

「若かったってやつじゃない?」

 青崎の言う通り、若いからこそできた遊びだ。そんなことでも楽しめるのが、あの時代の良さだったのかもしれない。

「はあー……そっか。あの店もなくなったのか」

 青崎がひとしきり笑い終えると、そんな言葉を漏らした。声は明るいが、やはり寂しさが滲んでいた。

「この前は俵町の本屋もなくなったし、よく遊びに行ってた店がどんどんなくっていくね」

「まあ、あそこはちょっと入りにくい場所にあったし、仕方ないかも」

「それでもさ、一年でこんなに変わるもんかねえ」

 青崎が佐世保を出てから一年、佐世保も色々なものが変わっていった。新しいお店、新しい建物ができる一方、昔からあったものは少しずつ姿を消していった。

 結喜は佐世保の近況を伝えるために、佐世保の風景写真を青崎に送っていた。かつてあったお店がなくなり、新しいお店が建てられていく様子を写真に撮り、それを青崎に送信した。

 この一年、写真のフォルダはいっぱいになっていた。逆に言えば、それだけ佐世保の街も様変わりしたということなのだ。

 一年という月日の流れを実感する結喜だった。

「自分で上京しといてあれだけど、どんどん故郷に置いてけぼりにされてしまうなあ。帰省しても、帰って来た実感とかなくなってるかも」

「ああ、他の同級生もよく言ってた。帰省したら変わっていて、帰って来た気がしないって」

 結喜の同級生のほとんどは佐世保を離れて暮らしている。すでに子供がいる者もいたりした。そんな彼らが佐世保に帰って言うことは、佐世保に帰って来た気がしない、だった。

 彼らの気持ちもわからなくもないし、自分の故郷がなくなっているみたいな感覚は悲しいに違いなかった。

 だけど、そんな彼らの言葉に結喜は内心、別のことを考えていた。

 置いて行かれたのは彼らなのか、それとも故郷の方か。どちらだろうかと。

 とはいえ、そんなことを青崎に言えるわけもなく、口には出さないでおいた。

「あ、そうだ。以前二人で行った唐揚げ屋さん覚えてる? あそこ新メニュー出してたよ」

「え、本当? うわーそれ聞いたら食べたくなってきた」

 スマホからテンションの高い声が聞こえてくる。青崎の語り口が滑らかになっていくのを感じた。

 それから二人は一時間以上、佐世保のことで歓談を続けた。故郷での思い出を喜色に満ちた声で語り続けるのだった。




「結喜ー。ご飯よー」

 居間から結喜を呼ぶ声が聞こえてきた。彼女はそれに返事をしてから居間に向かった。

 居間ではすでに夕食の準備ができており、すでに晩酌をしている父親と、ご飯を食べる母親の姿があった。

 結喜が自分の席に座ろうとして、机の上に目を向けた。

「あ、『ウチデワ』」

 そう言って彼女が手にしたのは、佐世保のローカル雑誌『ウチデワ』だった。佐世保の情報誌でイベントやグルメ情報など、地元密着型のローカル情報誌で、佐世保市民にとっては慣れ親しんだものだった。

 すでに父親が読み終わったのか、中を見るとクロスワードパズルが全て埋まっていた。

 結喜も中身を読んだ。イベントや行事など、佐世保の情報や市民の声が掲載された記事を読み進めた。

「え?」

 ふと、そんな声を上げてしまった。結喜はその記事をじっと見続けた。その顔には信じたくないという感情が張り付いていた。

『交通公園 歴史に幕』と書かれたその記事を、彼女はずっと見続けるのだった。

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