筆貸します~水都の冷酷筆匠と神魚の少年

天柳李海

第1話 師匠と弟子

涛淳たおちゅん! 涛淳!」

「はあい師匠。ここにおります」

「ぐずぐずしおって。呼んだらすぐに飛んでこいと言っておるだろうが」

「ふぎゃ!」


 師匠の振り上げた拳が俺の脳天をしたたかに打ち据えた。

 長い銀髪を首の後ろに束ね、頭巾を被った師匠の目が三角になって俺を睨みつけている。


「はい! すみません師匠」

「お前の仕事はどうなっている?」

「仕事……?」


 俺は右手を上げて顎に添えると小首を傾げた。


「なんでしたっけ? 今日はまだ何も命じられていなかったような――」


 ぶうぅん!

 俺は振り上げられた師匠の手を辛うじて躱した。

 やったぜ。

 空振りに終わった師匠は勢い余って前のめりによろめいた。

 と思った瞬間、師匠の腕がぐいと伸びて俺の着物の袂を掴んだ。

 ちきしょう。油断した。問答無用で引き寄せられる。


 わ、わ。顔が近い近い。師匠の頬に手を置いたらチクチクするぞ。

 不精ひげ生えてるな? ちょっと離れて欲しいんだけど。

 しかし俺の願いを無視して師匠が耳元で叫ぶ。


涛淳たおちゅん! お前は『貸筆』と貸し賃を回収するのが仕事だろうが。『色命数士しきめいすうし』どもは皆狡猾だ。最上級の私の筆を返すのを惜しんで、あの手この手で返却をはぐらかそうとする。だが私も慈善事業をしているんじゃない。借りたものは必ず返せ。返却期限が過ぎているのだ」


「は……はい! ええと……今回はどの筆を回収すればいいんですか?」

「『翠星すいせい』だ。先月末で貸出期間の五年が過ぎた」


 師匠が着物のたもとを持つ力を緩めてくれたので、俺はそそくさと離れて壁際の棚に近づいた。引き戸のない棚には貸出台帳の竹簡ちくかんが軽く三十巻ほど積まれている。


「『翠星』ですね」


 俺は棚から古びた竹簡を一つ手にして止めていた紐を解いた。


「ありました。貸している術者の名前は『風凛ふうりん』。でも師匠、この人の住まいはどこですか? 色命数士としか記載がありません」

「色命数士のことは『伽藍がらん』へ行って聞いてこい。私は知らぬ」

「ええっ~!」


「私の作った『命数筆めいすうふで』を借りた色命数士がどこにいるのか。それを調べるのもお前の仕事。食い扶持ぶちを稼がせてやっているのだ。文句があるのか? お前が私の筆作りの助手として、役に立てればまだマシだが……」


 腕組みをして、はあぁと深く師匠が溜息をついた。

 ずきん、と。胸が深く疼いた。

 そんな目で見ないでくれ。師匠の言いたいことはよくわかっているから。


「はい。じゃ『翠星』の回収に行ってきます。貸してから五年も経ってますし、居場所を突き止めるため時間がかかりそうだから、しばらく店に帰れないかも……」

「当然だ。筆と貸し賃を回収するまで、店への出入りを禁ずる。ではな、涛淳たおちゅん


 師匠は筆を作るために奥の作業場へと立ち去っていった。

 俺はその背中を黙ったまま見送った。



  ◇



「すみませんね~。役に立たなくて。ふんっだ!」


 俺は筆屋から表の通りへと出た。わかっている。師匠が言う通り、俺は本当にモノづくりができないのだ。細かい作業が苦手というか。


 手先がおっそろしく不器用で、作業場を筆づくりのための羽毛や獣の毛で散らかし、筆軸用の細竹を干してみたら、ひび割れさせて売り物にならないものばかり作ってしまう。だから俺に、ただ飯を食わせる気がない師匠が思いついた。


「せめてそのまぶしすぎる美貌を振りまいて、私の筆屋『鳳月庵ほうげつあん』の顧客を開拓してもらおう。手始めに『貸し筆』と貸し賃の回収をしてくれ」


 美貌って――。

 まあ、男の師匠がそう思うのなら、世の女性達も俺の事をそういう風にみているのだろう。お使いで町を歩くと老若男女問わず声をかけられる。

 時間があるなら『南天楼なんてんろう』の桃まんを一緒に食べないか、とか。買い物に付き合って、だとか。


 かわいい髪の毛だね~触ってもいい? ――とか。

 俺の髪は珍しい桃色がかった艶のある銀髪だ。腰まで伸びた髪はそれは雨露で編んだ絹糸の如く、あるいは天女の纏う羽衣の様だと言われたことがある。

 目の色は故郷【九仙郷きゅうせんごう】に湧く『御池』の水と同じ、深い深い瑠璃色。吸い込まれそうな青だ……って、師匠に顔を覗き込まれたことがある。あの時はちょっと怖かったな。


 師匠はどうも美しい「色」というのが好きなのだ。心惹かれる「色」に出会うと、花や反物は勿論、おそらく俺が師匠に拾われたのも、俺の目の色が気に入って傍に置きたくなったのでは? と今ならそう思ってしまうのだが考え過ぎだろうか。



 そうそう。師匠の紹介をしておくと、名前は鳳庵ホウアン(二十五才)といって、この水城みずきの都で『命数筆』を作る筆匠ひつしょうだ。

 ちなみに俺は十八歳。名前は涛淳たおちゅん。二年前、道端で空腹のあまり行き倒れていたのを師匠に拾ってもらって以来、住み込みで働いている。


 ええと、師匠の作る『命数筆』について。これは「色命数士」と呼ばれる、特定の職業の人達が使う筆なんだって。

 「色命数士」について俺はあまり詳しく知らないが、この世には「九つ」の生命の色があり、『色命数士』は自らの生気を捧げることで、それらにまつわる力を使うことができる。


 生命の色はそれぞれ「色命数」という名がついていて、『色命数士』はその数を、『色符いろふ』という短冊に自らの『生気』を含ませた『命数筆』で書く事で術を発動させる。水や炎を操ることはもちろん。天候を変えたり、風を呼んで空を飛ぶこともできるらしい。


 俺は師匠に訊ねたことがある。


「『命数筆』を使わないと、『色命数士』は自分の生気を『色符』に書けないのか?」


「そうだ。生気はいわば命の源。『色命数士』は必要以上の生気が体の外に流れ出ないよう『命数筆』でその量を調節する必要がある。粗悪な筆を使うと、まさに命を落としかねない」


「けど師匠。師匠の作る筆って、安いものでも銀貨五枚以上するよな」


「当然だ。私の作る筆は一級品だからな! 安売りは絶対にしない。だが代わりに『貸し筆』をしているんだよ。そもそも「色命数士」共は、一人前になるまで給金が出ない。けれど筆がないと修行ができない。そして筆にも術者との相性がある。『貸し筆』なら手頃な金額でいろんな筆を試せるし、気に入ったら買ってもらえればそれでいい。まあ、ひよっこどもが一人前にならないと、私の筆を買うはないだろうがな。ははは……!」


 一見、師匠がいい人に見えるでしょ。

 でも俺はそれに惑わされたらいけないって感じるんだよね。

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