第10話 その腹に何を隠しているのやら


 


 *




 椿木つばき屋敷の母屋おもやのぞむ広大な池泉ちせん。その対岸には亡き雪弥ゆきや氷雨ひさめのためにと用意した別棟があった。


「これは一本取られたな」

 

 別邸内の一室、西洋骨董品アンティークで埋め尽くされた豪奢な洋間で、氷雨は洋卓テーブルの向かいに座る男へ洋盃グラスを傾ける。顔合わせにとめかしこんだ上着は椅子へと放り投げられていた。


「なんのことでしょう?」

「とぼけないでくれ。君は策士だな」


 顔合わせが終わったにも関わらず、このからすのような従者は堅苦しいまでに着崩さない。完璧な笑顔を張り付け、静かに氷雨を見すえている。


「君、志季しきさんの穢れをわざと祓わずに連れてきたろう」


 氷雨の指摘にもとばりの表情は崩れない。


「私に頼めば顔合わせの前に祓うこともできたのに、君はあえてしなかった」

「志季さまもお疲れでしたし、時間もありませんでしたから」

「もとから雪乃ゆきのさんか千鶴ちづるさんに祓わせる魂胆だったんだろう?」


 氷雨は洋盃に口をつける。ちらと盃の隙間から相手の表情を確認する。

 

「志季さんがあの場で非難されるとわかっていながら、随分と非道ひどいやり方をするんだな」


 瞬きひとつ。そして帳は目を弓なりに細める。 

 

「――その分、効果はあったでしょう?」

「ハハ、非道いことは否定しないんだな」

「最短で最良の結果が出たのですから、いいではないですか」


 仮面が僅かに剥がれる。しかし本性を引きずり出すまでには至らない。食えない男だ――氷雨は顎を撫でる。

 

「だが……まあ驚いたな。あの雪乃さんに膝をつかせるとは」

「志季さまは潜在能力が高くていらっしゃる。あれほどの穢れを身に受けるのは、優秀と謳われる雪乃さまとて難しい」

「才能だけでいえば、志季さんがずっと上だな」


 帳の策略によって証明してしまった。

 志季が平然と溜め込んでいた穢れを雪乃はギリギリで受け入れた。本人の許容量を超えた穢れを引き受ければ、意識まで侵され気を失ってもおかしくはなかったが、祓うまでもっていけたのは雪乃の矜持だろう。

 氷雨とて、あそこまでの規模を一度に引き受ければどうなるかわからない。

 

「あそこまで志季さんが汚れていた原因はなんだ?」

「身を寄せていた先々で志季さまの穢れが霊障れいしょうを引き起こしていたようです。恨みを買い、更に穢れが膨らみ、その穢れを身に引き受けてしまってまた霊障が起きる」

「なるほどな。雪だるま式に増えていったわけか」


 底なしの器というわけだ。あの気弱そうな少女にそこまでの力があるとは。氷雨は背筋がうすら寒くなるのを感じた。帳がようやく洋卓の湯呑みへと手を伸ばす。

 

「志季さまの能力が開花すれば、他の四季家当主をも凌ぐ祓い師になるやもしれません」

「開花すれば、の話だろう。私にはどうにも難しいように思える」


 氷雨は志季の様子を思い出す。彼女の覇気の欠ける顔貌は、当主として立ち回れる器には見えない。椿木家内には千鶴や雪乃もいる。彼女らの相手をしながら他家と渡り歩くのは至難の業だ。

 祓い師はがいる。精神の弱い人間に務まるとは到底思えない。

 しかし帳は湯呑みから口を外すと緩やかに口端を持ち上げる。


「そうは思いません。俺が押し上げます」


 氷雨の乾いた笑いにも男は動じない。


「こんな男が従者だなんて彼女が気の毒だな」

「お役目に忠実なだけです。四季家当主をお支えお守りするためにこよみ家はあるのですから」

「暦家、ねぇ」


 暦家は陰陽師の血を引く家系であり、四家の当主を陰日向に支える忠実な下僕しもべである。暦家から選ばれた四人は、生涯ひとりの当主に仕えることに徹し、四季家の内情には関与しないのが決まりである。

 今回の件が帳の独断であったのであれば、しきたりに反する行為である――と言えるのだが、この調子では追求は難しいだろう。氷雨はため息を落とす。

 こちらの心中など知らぬ様子で帳は穏やかに微笑む。


「氷雨さまは雪弥さま亡き後、椿木家を守ってこられた方。信頼できる方とは腹を割って誠実にお話したいのです。今後も椿木家のため、お力をお貸しください」

「君はその腹に何を隠してるのやら」

「何もありませんよ」


 ことりと白皙が傾く。美人は何をやっても美人である。

 

「澄子さまの忘れ形見が志季さまですから。氷雨さまならば無下にはなさらないだろうと思い、正直にお話しているのです。どうぞ彼女の力になってあげてください」

「……君は嫌なところを平気で突いてくるなぁ」


 氷雨は苦虫を噛み潰したような顔のまま洋盃をあおる。


「善処はしよう。ただし彼女が祓い師として力を使いこなせるようになるまで、だ。その後のことは知らん。私は早く引退したい」

「そのお言葉で十分です。ありがとうございます」


 深々と頭を下げる帳に、氷雨は吐息する。

 

「千鶴さんたちのことは私では牽制しきれない。君たちでなんとかしなさい」

「もちろんです」

「ああ、近々帝都で四当主の集まりがあるだろう。そこには私ではなく志季さんを行かせてくれ。お手並み拝見といこう」


 帳は袖を払い立ち上がる。


「かしこまりました。お伝えしておきます」


 深々と腰を折ると、帳は足早に洋間を後にする。その後ろ姿を見送り、氷雨は糸が切れたように背もたれへと身を沈めた。知らず緊張していたようだ。

 あの若造は頭が切れる。椿木家を出入りするようになってまだ一年だが、いつの間にか内情にも詳しくなっている。仮初の当主であった氷雨の側仕えとして使ったこともありこの家での立ち回り方も熟知している。志季にとって手綱を握れればこの上ない力になることは確かだ。


「健闘を祈るよ、志季さん」


 氷雨は天井を仰いだ。


 


 *




 別棟を後にし本棟へと戻る道すがら、振り仰いだ母屋は真昼にも関わらず点々と電灯が点っていた。山奥で贅沢なことだ――帳は冷ややかな目で流し見る。庶民は角灯ランタンひとつですら高価で手が出ないというのに。

 中へは入らず外門へと向かっていると、庭に丸々とした黒い塊があることに気づく。雪の中にあると、ぽつりと落ちた墨のようだ。


「クロ、なぜあるじのもとを離れている」


 帳が咎めると、獣は抗議するように丸めていた背中を反らす。


「お前だって離れてるダロ。獣のことを言えた口カヨ」

「俺は用があって動いているんですよ」

「オイラだってのために動いてんだゾ」

 

 この獣、ああ言えばこう言う。

 

「あなたの口の悪さは誰に似たのでしょうね」

「生みの親だロ。今は大人しいとしてモ、いつか手酷く噛まれんゾ。なあ帳ィ?」

「……はあ……」


 動物故に表情の変化が分かりづらいが、人にたとえるならニタニタと笑っているに違いない。

 この性悪め――言いかけて、ぐっと堪えた。

 本質的に帳はこの獣に敵わない。といった方が正しいか。


「あるじに手酷いことしたラ、どうなるかわかってんだろナ」


 今日の顔合わせの件を言っているんだろう。最後まで反対していたクロを無視して強行したことを根に持っている。


「もちろんです。あの二人を牽制するにはああするしかなかった」

「千鶴と雪乃カ。面倒だよナ」 


 当主の座を狙う人間はごまんといるが、なかでもあの二人は別格だ。力も立場も強い。志季の力の発現が不完全な今、蹴落とさんと暗躍するに違いない。

 

「俺はあるじと一蓮托生です。あなたと同じですよ、クロ」

「フン。オイラはまだお前を信用してないんだからナ」


 胡乱な目をしてクロは踵を返していった。方向からして行き先は志季の部屋だ。

 帳は肩をすくめると、外門へと向かった。


「不遇の少女、か」


 凍った湖のような静謐さをまとう少女――帳のあるじ。

 穢れが落ちてようやく表情まで事細かに視認できるようになり、ようやく気づいた。彼女の瞳には影がある。感情のとぼしい顔と相まって人形のようである。

 

 美しい少女。だが、それだけだ。

 素顔が見えない。

 彼女は帳のことを胡散臭いと指摘したが、彼女も似たようなものだ。顔色を窺う癖や何かを押し殺したような態度のせいだろう。

 

 事前に調べた彼女の個人情報から鑑みるに、あれは抑圧された環境下で形成された性格だ。本来の彼女の性格はもっと伸びやかなのでは――と帳は推測していた。

 が、どうであれあまりに当主の座は彼女に不釣り合い。どこまでつか見物みものではある。 

 性格も立場も、そして境遇も。彼女は全てが帳と真反対だ。しかし似ている部分もある。


「うまくいくといいですけどね」


 二人の関係は、まだ始まったばかりだ。

 

 

 

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