第8話 ここで生きていくしかない




 四




 ――まさか一日半眠りこけるなんて。

 夕焼けに染まる室内で志季は自分に呆れ返った。

 これまでの過酷な環境で溜まった疲労のせいだと帳とクロは慰めてくれたが、だとしてもである。結局予定していた顔合わせを一日遅らせることになったのも申し訳なさに拍車をかけた。

 

 なので翌朝の顔合わせ当日は、日の出前に起きることにした。起きたとて当然屋敷内に人の気配はなく、冷えきった廊下は真っ暗だ。どうしようかと志季は悩み、鏡とにらめっこをすることにした。

 皆がいう穢れとやらが見えないかと、試そうとしたのだけれど。

 目をすがめ、見開き、目力を込めて、ぐううと睨んでみたりもする……が、だめだった。鏡の中の自分は相変わらず幸薄そうな顔をしている。


「本当に私は祓い師なの……?」


 勝手に穢れを引き寄せる力。それに無自覚な自分が怖い。

 鏡から顔をそらしてため息を吐くと、朝冷えに息が白くなる。すうと身体の芯まで冷えるような朝だ。吸った息が肺を凍らせそう。志季は新鮮な空気を思い切り吸い込み、吐き出す。

 

 そしてあらためて鏡と向き合うと――真っ黒な自分が映っていた。


「ひっ……!」


 悲鳴を飲み込みまたたくと、鏡の中の自分はもとの薄幸女に戻っていた。


 あれが穢れ……? 志季は鏡に触れる。

 

 一瞬しか見えなかったが、黒い霧のようなものがべったりと身体にまとわりついていた。顔を識別できるかどうかも怪しいほどに、べったりと。


 もしあれが穢れだとしたら、雪乃のあの表情も納得できる。歩く災厄というたとえも正しい。

 これは早急にどうにかしないといけない案件だ。


「あるじィ、もう起きてんのカ?」


 間延びした声の後、間髪入れず無遠慮に襖が引き開けられる。クロが欠伸をしながら敷居を飛び越えてきた。


「おはようごさまいます、クロ。朝が早いね」

「あるじが起きてんのがわかったからナァ」


 こちらに合わせて律儀に起きてきてくれたのか。

 昨晩は部屋を追い出した後から早々といびきをかいていたと帳に聞いたので、たっぷり寝たせいで起きたのかもしれない。

 クロは鏡の前に棒立ちの志季を見上げる。


「なにしてんダ?」

「穢れが見えないかと思ったんです」  

「おっ、見えたカ?」

「一瞬だけ」

 

 志季が頷くと、クロがにんまり笑った。

 

「よかったなァ。屋敷の敷地内は清浄な気で満ちてるからナ。清らかな場所は力の発現も促されル。あるじの力も刺激を受けたんだナ」


 そういうものなのか。


「私って本当に椿木家の血を引いてるのね」

「当たり前だロ、何バカなこと言ってんダ?」


 クロが尻尾を振って布団に飛び乗ってくる。その目は期待に満ちていた。


「さっ、さっさと着替えんゾ。んでもって朝餉ダ!」


 食い意地の張ったこの狐は、案外自分に似ているのでは。不思議な獣だと思った。


 朝餉は帳の予告通り雑炊であったので、クロはいたく悲しんでいた。しょげる姿もまた愛嬌がある、とは流石に口に出せない。昼餉に期待する黒い毛玉に志季は頬を緩めた。

 

 食後すぐから女中らに手伝ってもらい、大振袖おおふりそでを着付けてもらったが、なかなかの大騒動だった。

 身体が貧相過ぎて着付けられないと、尻や胸に何重にもタヲルを巻かれて丸々と太らされる羽目になった。確かに痩せっぽちでは着物に負けてしまうだろう。が、負けてしまうのは体型の話だけではないと思う。

 帯は二重太鼓結びと大人しいが、着物の柄は昨日と同じく椿。目にも眩しい紅赤べにあかの地に、大輪の白椿が肩口から裾にかけてあしらわれている。金糸の刺繍が綺羅きらびやかで美しい――けれど、絶対に服に着られてしまう! 志季は確信していた。こんな綺麗な着物を着こなせる自信がない。


「私の顔って穢れのせいで周りから見えないのかな……?」


 女中たちは祓い師ではないため穢れは見えないそうだが、これから会う椿木家の人間は雪乃と同じような反応をするんじゃないだろうか。いや、それ以前にこんな立派な着物に穢れをつけるのはよくない。

 志季は部屋から顔を出し、外で待ちぼうけを食らっている帳の袖を引く。今日も今日とて帳は黒ずくめの和装だ。突然顔を出した志季に訝しげな顔をしている。


「どうされました」

「帳は私の穢れを祓うことはできますか?」

「何をいきなり。支度は終わったのですか?」

「穢れで着物を汚しそうで怖くて。支度は終わりました」


 帳は一瞬口をつぐみ、首を横に振る。


こよみの者は、穢れを見ることはできても祓う力は持ち得ません。祓いたいのでしたらご自身でなさるか、椿木家の方にお願いするしかありません……が、もう時間がありません」


 ということは、このままで行くしかないということだ。仕方がないとはいえ、知ってしまうと気にはなる。


「これから向かう広間に祓い師としての力を持つ方は五名いらっしゃいます。お妾は祓い師ではないので、あなたの穢れには気づきませんよ」

「そう……。その五名というのは?」


 帳のすらりと長い人差し指が伸びる。


「一人目。雪弥さま正妻、千鶴さま。四季家のひとつ、桔流きりゅう家分家から嫁いでこられました。二人目。その娘、長女雪乃さま」


 薬指が伸びる。


「三人目と四人目は……まあ現時点で知らなくても問題ありません」


 さらりと流され、そして五本指が全て揃う。

 

「最後、五人目は雪弥さまのご令弟れいてい氷雨ひさめさま。現在椿木家は、仮の当主として氷雨さまが動かされています」


 帳の澄んだ虹彩が庭へと移る。


「今からの顔合わせは、あまり楽しい場にはならないと思います。志季さまの現状について氷雨さまにはお話はしていますが――」

「はい、わかっています」


 昨日の雪乃の態度が全てだろう。自分は歓迎されていない。しかし、向こうとしても志季が花紋を得たからには当主として扱わなければならない。複雑に決まっている。


「私はあまりお喋りが得意ではないので、助けてくださると嬉しいです」

「もちろんお助けいたします、が」


 不自然に切れた言葉尻と物言いだけな彼の視線に、志季は首を傾ける。


「なんでしょう?」

「志季さまは思いの外、順応性が高くていらっしゃる」

「ここで生きていくしかないと思っただけです」


 外に出ても居場所がない、身寄りもない。勝手に穢れを寄せてしまう今の志季では、市井に降りれば無関係の人を巻き込んでしまう。ならば椿木家に留まって祓い師として生きるしかないのだ。


「それに『あるじ』らしくあれと言ったのは帳ですよ」


 ここで生きていくのに必要なら『あるじ』とやらも受け入れるしかない。 

 変わる努力をしなければいけない。

 人に虐げられることに慣れた自分から、一歩踏み出す努力を。

 

 少し言い方がよくなかっただろうか。返事のない男に、志季は顔色を窺う。凪いだ男の瞳がわずかに緩んだ。


「俺もあなたの頑張りに報いるよう、尽力します」


 そっと背中を押された。


「さあ行きましょう、皆様お待ちです」




 

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