第7話 所詮はハリボテ




 

 用意された膳を前に志季も意気揚々と箸をとった、のだが。


「うう……食べたいのに……」

  

 あんなに食べたかった食事なのに、ほとんど食べられない。志季は箸を持ったまま落胆する。

 長らくちゃんと食べていなかったせいで水と米以外を胃が受け付けないのだ。煮物や汁物は少し食べられそうだが、他はだめだった。思ったよりも胃が弱っているようだ。

 

「配慮が足らず申し訳ありません。朝餉は雑炊にしましょうか」


 隅で様子を窺っていた帳が、困惑した顔をして膳を下げにかかる。すると傾いた膳から、箸置きがころりと畳に転がった。

 使用人としてあるまじき失態。帳が不慣れなのが見て取れる。

 

 彼の本来の仕事は、こういった下働きのような業務ではないのだろう。まあ当たり前か。男性で、生まれもきちんとした方が女中のような仕事をするはずがない。本人も当主の護衛だと言ってたため、もっと祓い師関連の業務を中心にこなす人なのだと思う。 

 志季に気遣ってか、椿木家との溝を警戒してかは読めないが――帳が女中らに代わり一時的に雑用を引き受けてくれていることは明白だった。


「先程ですが、どなたかとお会いしていませんでしたか? 遠目だったのでよく見えませんでしたが」


 食膳を下げながら帳が口を開く。

 見られていたのか――志季は先程の罵倒を思い出してきゅうと喉が絞まるような気分になった。


「綺麗な女の人に声をかけられて……帳さまによろしくお伝えくださいと言われました」

「綺麗な人?」


 帳の柳眉がひそめられる。そういえばこの男も綺麗な人のひとりだった、なんて思ったり。

 

「肌が白くて、私と同じくらいの歳の方です」

「ああ……雪乃ゆきのさんでしょうか」


 なぜだか苦虫を噛み潰したような顔をされた。


「椿木家の方ですか?」

「そうです。雪弥さまのご息女で、正妻千鶴ちづるさまの長女です」

「なるほど、だから」

「だから?」

「な、なんでもないです」


 だからあんなに敵対心むき出しだったのか。正妻の娘なら尚更、妾の娘に対していい気はしないに決まっている。志季が誤魔化すと、帳がじとりとした目を向けてくる。


「雪乃さんと何かありました? 何を話したんです?」

「特に何もありません。開口一番、帳さまはどこにいますかと聞かれたくらいで」


 聞いた途端に帳がため息を吐き出し、更に顔を顰めた。帳にこんな顔をさせる雪乃に俄然がぜん興味が湧く。志季は更に質問を重ねた。


「知り合いなんですか?」

「一応は」

「雪乃さんは一応といった感じじゃありませんでした」

「そうですか。……なぜそんなに前のめりなんです」

「に、人間関係の把握は大事かと思いまして」

「顔合わせの前に俺が説明をしますから、今日のところは何も考えずお休みになってください」


 これで終いだと言いたげに帳が立ち上がった。

 奥の襖を開けて布団を引っ張り出し始めた帳に、流石に手伝わないわけにはと志季が飛びつくと、すごい顔で引き離された。


「あなたはやらなくてよろしい。座っていてください」

「なぜですか」

「あるじには立場というものがあるのですよ」


 すげなく断られた。近づくと睨まれるので、結局帳が布団と悪戦苦闘する姿を遠目で眺めるしかない。

 あれこれやらせてしまっている――居心地の悪さから志季は姿勢を正して帳へと頭を下げる。


「帳、何から何までありがとうございます」

「いえ、これも仕事のうちですから。それに当主たるものそう安々やすやすと他人に頭を下げるものではありません。舐められますよ」


 淡々とした帳の返しに志季は項垂れた。

 どうするのが正解なのか。

 すると帳が手を止め、ため息をついた。


「……申し訳ありません。言い方がよくなかったですね」

 

 そろりと顔を上げると、どうしたものかと言いたげな帳と視線が絡まる。


「傲慢であれと言っているわけではなく、上に立つ者がへりくだると下の者の立場がなくなります。せめて口で礼を言うに留めてほしい、と言いたかったのです」

「わかりました、気をつけます」

「俺も口が悪いので……今後は言い方にも気をつけます」


 反省……ともとれるような表情。今までに見たことがない顔だ。その表情に後押しされて、志季はもう一歩踏み出してみる。


「帳、聞きたいことがあるのですけど」

「なんでしょう」

「あなたは本当はどんな人なのですか?」


 笑顔の隙間からふと見える辛辣な姿が気になる。どちらも帳には変わりないのだろうが、なんとなく聞いてみたい気持ちになった。


「……本当って」


 顔をそらして帳が笑う。


「どんな俺も俺ですが?」


 言われてみれば確かにそうだ。おかしな聞き方をしてしまった。

 

「そ、そうですよね。変なことを聞いてごめんなさい」


 するとスンと帳から表情が抜け落ちる。

 

「少し茶化しただけです。そう四角四面に受け取らないでください」


 ……冗談が絶妙にわかりにくい。志季が黙ると、帳が肩をすくめる。

 

「今もですよ。具体的に何が知りたいのです?」

「え、えと……」

「怒りませんから。正直にお話ください」


 微笑みを湛えた帳が小首を傾げる。

 言うか迷い、ここまできたならと志季は腹をくくる。

 

「と、帳は笑顔が胡散臭いです」

「はい?」

「本音がどこにあるのかよくわからないので、胡散臭い。だからあなたのことを信じたいのに信じきれない。」


 やぶれかぶれにそう吐き出すと、帳はぴたりと動きを止め、そして声を上げて笑った。

 今度もまた茶化された?

 志季は口を尖らせる。


「笑うところじゃなかったと思います」

「ふふっ……これは大変失礼いたしました。以後気をつけます」

「私は謝って欲しいわけではなく――」

「わかっています。思ったよりはっきり仰るので驚いただけです」


 黒曜石のような瞳がつうと細められる。


「取ってつけたように見えるのは、俺の性格が従者には向いていないからでしょう」


 手にしていた食膳を畳に置くと、帳が距離を詰めてきた。いつぞやに嗅いだ甘い香の匂いが鼻をくすぐる。

 

「――所詮はハリボテの主従ごっこですからね」


 帳は自身の右手袋を外し、手の甲を突き出した。そこには椿の痣が浮かび上がっていた。

  

「四当主の従者は当主の代替わりごとに暦家から選ばれるのです。天に選ばれれば逆らうことはできない。俺はあなたと同じなんです」

「同じ……帳も選ばれた?」

「ええ」


 黒黒とした瞳が志季の顔を覗き込む。


「これも天の配剤なのでしょう。望む望まないに限らず、あなたは当主の座を、俺はあなたの従者の座を得た。これは逃れようのない血が選んだ宿命なのですよ」


 宿命、と口の中で繰り返す。

 望まない形で互いに主従の糸で結ばれてしまった。志季が人の上に立つに相応しい人間でないのと同様に、帳もまた付き従う人間としては不相応。


「俺もあなたの『従者』となれるよう努力します。志季さまも『あるじ』となれるよう、精進してください」

 

 形のいい唇が弧を描く。


「形ばかりの主従ごっこも突き詰めれば本物の主従になれる。そうは思いませんか」


 絹糸のような帳の髪が、ことんと傾いた首の動きに合わせて波打つ。 


「クロ曰く、俺はらしいので外でご迷惑をおかけすることはないかと思います」

「猫被り……」


 自ら宣言されるといっそ清々しい。

 

「あるじは少し自信をおつけになられるところから始められた方がよいでしょう。それでは皆様に押し負けてしまう」


 的確な指摘に志季は頷くしかできない。そして、頼もしくも男が従者となったのだと、ようやく自覚した。




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