第6話 なんてみっともない


 


   

 ため息とともに志季しきはひとり畳に寝転がる。とばりとクロは部屋から追い出した。ひとりになりたかったのだ。せっかく着付けた帯が潰れてしまうかもと思ったが、起き上がる気にはなれなかった。


「……全部私のせいだった」


 先程までのやり取りを思い出す。

 痣が不完全なのは志季しきの祓い師としての霊力が中途半端に発現しているせいだととばりは言った。そんな力、使った覚えもないと反論しかけた志季を帳は一蹴した。

 

「祓い師はその身にけがれを引き受け、清め祓います。見たところ、今の志季さまは穢れを引き受ける力のみが発現している状態なのですよ」


 横に座るクロが志季の背後あたりに視線をずらす。


「あるじは穢れを受け容れる器が大きいんダ。今も穢れ……黒いモヤがあるじにくっついてル。結構すごいゾ。べったりダ」


 志季は慌てて周りを確認するが、自分では何も見えない。


「ここまで穢れに侵されれば意識を保つことも難シイ。でもあるじは平然としてル。力が相当強いんだと思ウ」


 そして言葉を引き継いだ帳はこう締めくくった。

 志季の身の回りで不幸が起きていたのも、その穢れのせいだと。人の悪意やよどみを無意識に身に引き受け、祓うことができず周囲に流してしまっていた。祓い師として完全に力を覚醒できれば、疫病神などと呼ばれることもなくなるだろう――と。


 天井を仰ぐ。木目が雲龍のように渦巻いている。志季の心中もまた、罪悪感と己の中に眠る未知の力への畏怖が渦巻いていた。


 身の回りの不幸は全て志季に原因があった。

 志季が中途半端な力を持っていたせいで、周りの人達を傷つけていた。

 

 周囲のそしりは全て正しかったのだ。


「私はやっぱり疫病神だったのね」


 口に出してみると、それがいかに罪深いことなのか実感する。無知であったことが一番の罪。誰かを傷つけておいて、そんなつもりじゃなかったと開き直れるほど志季は強くなかった。


「力を制御できるようにならないといけない」


 今の志季は歩く災厄らしい。祓いの力を手に入れないと、穢ればかりを引き寄せて周囲に影響を及ぼす。訓練がいると言われたが、どれくらいで身につくものなのだろう。

 そもそも、いきなり見知らぬ家に連れてこられて当主だと言われて実感がないのに、追加で自分の能力について考えなければいけないなんて。


「はあ……少し外に出よう」


 志季はのろのろと身体を起こす。寝癖のついた髪を撫でつけると、黒黒とした長髪が肩口から滑り落ちる。着物だけ着て二人を追い出してしまったので髪はおろしたままだ。垂らし髪でわらべのような見た目なのがすこし気になるが、目の前の庭に出るくらいならいいだろうか。


 障子を開けて周囲を見渡す。廊下は点々と灯る電灯で明るいが、控えの女中も帳たちもいない。静寂の中、板間に赤絨毯を敷いた廊下が真っ直ぐに伸びているだけ。

 そもそもここは客間らしい。母屋はずっと奥にあるので、使用人の往来も稀なのだろう。

 

 志季はそろりと部屋から出ると、縁側に腰をおろした。人目がないことをいいことに、踏石ふみいしに素足を投げ出す。冷えた石が気持ちいい。

 

 見上げた空には細い三日月がのぼっていた。凍星が冴え冴えと瞬いている。冬は日暮れが早くて夜も長い。暗闇では何もできないので、寒さが増すにつれ早々はやばやとこにつくのが普通なのだが、この屋敷は違うようだ。

 志季のいた和室からは障子越しにうっすらと電灯の明かりが漏れていた。今いる縁側にも電灯が煌々と輝いている。

 洋燈ランプも手燭もいらないだなんて夢のような場所だこと。庶民には到底真似できない。こんな雪山にどうやって電気をひいているのか、疑問ではあったけれど。

 

 志季は何度目かのため息を吐く。ほうと白い息が顔にかかった。

 昨日まで牢に繋がれていたのに、今はこんな豪邸にいるだなんて。ここに母も住んでいたのだと思うと、不思議な気分だった。


 しばらくぼんやりと冷気にあたっていると、ふと視線を感じた。顔を上げると、縁側から伸びる廊下の端に見知らぬ女性が立っていた。


「あなたは――」


 女性は呟いて、ゆっくりと近づいてくる。 

 綺麗な人だ。歳は志季と同じくらいだろうか。月明かりの下、白雪のような肌が眩しい。

 一本結びの真っ直ぐな黒髪を揺らし、女性は志季の真横まで来た。


「ねえ、帳さまはどちらに?」


 開口一番、女性はそう言った。鈴を転がしたような可愛らしい声だ。しかしはっきりと志季へ向けた棘を感じ、志季は無意識に手のひらを握り合わせる。

 帳たちは部屋から追い出したのだとも言えず、志季はまごつく。


「い、今は席を外していますが」

「そう」

 

 女性は淡い水色のつむぎに紺の上掛けを羽織っていた。どう見ても女中ではない。椿木家の人間だろうか。

 女性は志季を上から下まで値踏みするように睨めつける。


「あなたがやっと見つかったっていう次期当主よね?」

「は、はい。山代やましろ志季しきと――」


 遮るように女性が口を開く。


「随分みすぼらしいこと」


 流れるような罵倒。志季は怒りよりも先に呆気にとられた。


「逃げ出した妾腹の娘って聞いていたからどんなにいやしい子がくるのかと思っていたけど……想像以上ね」


 見上げた先のかんばせは、はっきりと侮蔑の念をあらわにしていた。女性は口端を吊り上げる。


「それにその穢れ……なんてみっともない。祓い師の血を引く人間でこんなに汚れている人、初めて見たわ。こんなのが椿木家当主になるだなんて、他家になんて思われるか」


 穢れが見えるということは、やはり祓い師のひとりか。

 

「失礼ですが、あなたはどなたでしょうか」

「あら、わたしを知らないなんて。自分が無知ですと言ってるようなものよ?」


 志季は唇を噛む。

 突然拉致されるように連れてこられたのだ、知るわけない――と言ってやりたいが、それを彼女にぶつけたところで意味はない。無知が恥なのは彼女にとって当たり前なのだ。本来なら全てを把握した人間が当主の座に就くべきだろうから。


「……まあいいわ。帳さまによろしくお伝えしておいて」


 そう言い残して女性は引き返していった。

 志季は散々投げつけられたたくさんの悪意に言葉を失くしていた。しばらく呆けていると、背後の板間が軋んだことに気づいた。


「ここで何をなさっているんです」

「ひえっ!」


 足音なく近づいてきた帳にも非があると思うが、志季は思いきり飛び上がった。


「び、っくりしました」

「おひとりで何をなさっていたんですか?」


 怪訝そうな顔をした帳が、薄く開いたままの和室の襖を一瞥する。


「ちょっと頭を冷やそうと」

「頭だけでなく全身が冷えてしまいますよ」

 

 帳は湯気のたつ食膳を持っていた。

 豪華な夕餉だ。一汁三菜、久方ぶりのちゃんとした食事を前に我慢できない志季の腹がぐうと鳴った。思わず手を当てる。


「中へどうぞ。火鉢も用意していますから運び入れましょう」


 帳は気にした様子もなく、食膳を持って部屋の中へと入っていった。



 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る