第5話 見世物にされたくはないでしょう



 三


  


 自動車に揺られること数時間。

 気づけば景色は当たり一面銀世界。勾配こうばいのぬるい山道にさしかかっていた。椿木つばき屋敷は帝都から離れたところにあるとは聞いていたが、予想以上の山中に驚いてしまう。車がひっくり返りやしないか冷や冷やである。

 しばらく雪道をのろのろと登り、山裾まで見える山腹さんぷくに差し掛かったかという頃、ようやく着いたと声がかかった。

 促されるまま窓から外を覗いた志季しきは、あんぐりと口を開けた。

 

 信じられない。こんなの御殿ごてんだ。


 自動車がくぐり抜けようとしている正面玄関――唐門からもんを見上げて変な声が出た。雪をのせた重厚な瓦がこちらを見下ろしている。いかめしい門構えからは白壁の外郭がずうっと左右に伸びていて。どれだけ大きい屋敷なのだろうか。

 門の先には思った通り、豪華絢爛公家くげ屋敷がでーんと広がっていて。

 志季はすがるようにとばりの着物の袖を引く。


「帳さま、あのですね」

「あるじ、敬語を」

「え、あ。と……ごめんなさい。でも敬語は許してください。慣れなくて……」


 性格もあるが今まで誰にでも敬語だった。突然変えろと言われても困ってしまう。

 志季の困り果てた顔を見かねてか、帳は渋々と頷いた。


「それで、なんでしょうか?」 

「帳、あの、ここは一体」

「椿木家本家のお屋敷です。広さも慣れれば普通になりますよ。ここで降りて中門ちゅうもんから中へ入るので、降りる支度をしてください」


 存分に使っていいなどと言っておきながらこの返し、つれないではないか。

 志季の狼狽具合を尻目に、帳は窓を開けて随身所ずいしんどころから人を呼びつけていた。帳の姿を認めて、着物に股引きといかにも下男げなんといった風貌の男達が駆けてくる。

 志季はそのやりとりをできる限り気配を殺して見守る。

 

 なにしろ不躾な視線があちこちから飛んでくるのだ。これではまるで見世物――いや、品定めされているのか。

 気づいてから、ふと頬に殴られた痕があったことを思い出し俯いた。すこし、人の視線が怖い。

 

「あるじ、大丈夫だゾ」


 ぽふんとあたたかいクロの前脚が膝に乗る。


「クロ……」

「ここにいるのはみんな小物ダ。こんな奴らで怯えてちゃ、椿木家の人間とは渡り合えないからナ」

「あ、はい」


 慰められているのか、脅されているのか。

 自動車から降りた志季は帳に背を押されて足早に屋敷内へと足を踏み入れた。案内あないの女中が先を行き、二人と一匹は小さな和室へと連れられた。


「御用がございましたらいつでもお声がけくださいまし」


 女は板の間に額がつくほど深々と礼をすると、ふすまを閉める。彼女の足音が完全に遠くなってから帳が口を開く。


「今日からこの部屋を使っていただきます。あるじの体調がよくなりましたら椿木家の者と顔を合わせてもらいます。よろしいですか?」


 頷くと、帳は部屋の奥の衣紋掛えもんかけに掛かる着物を示す。


「お召し替えの際に花紋かもんの確認をさせてください。クロ」

「あいよ」


 顔見知りに身体を見られるのは多少の気恥ずかしさがある。それがいくら狐といえどもだ。

 志季の顔色を読んだのか、帳がさらりと口を開く。


「今後は俺が選定した女中をあるじには付けます。彼ら以外の前で肌をお出しにならないよう。今後もお召し替えの際は必ずクロが付き添います」

「それは……?」

「誰彼構わず花紋を見せるなという意味です。クロは監視のための付き添いです」


 監視――随分物騒な単語だ。


「花紋は人に見せるものではないということですか?」

「違います。あなたの不完全な花紋が本家の人間からどう見えるのか、よくお考えください」

 

 帳がため息を落とす。


「車内へ投げかけられた視線の意味、ここがあなたにとってどんな場所かご理解されたでしょう」 

 

 帳は笑顔が消え失せると、冷徹な印象にがらりと変わる――初めてみた彼の真顔に身体が強張る。


「あるじも本家の女中へ引き渡して見世物にされたくはないでしょう?」

 

「オイ、帳」

 

 クロが剣呑な声を上げる。

 

「そんな言い方すんナ」

「すべて事実でしょう」

「ひねくれたお前とあるじは違ウ。従者なら従者らしく振る舞エ」


 椿木家が次期当主を探して志季に行き着いた経緯は聞いたが、だからといって椿木家が志季を歓迎するつもりがないことは、ここへ来る前から勘づいていた。

 逃げ出した妾腹しょうふくの娘が次期当主だなんて、本家の人間からしてみれば承服しかねるに決まっている。


「……私は大丈夫ですから」


 帳とクロ、両者の張り詰めた空気を取りなすべく志季は声を上げたつもりだったのだが、更にクロは鼻先に皺を寄せた。


「あるじィ、文句言っていいんだゾ」

「なぜ? 帳は事実を事実として伝えてくれただけですから、文句だなんて」

「ハァ……なんでこのあるじにこの従者なんだカ」

 

 嘆息するクロに首を傾けていると、帳と一瞬視線が交わった。帳は仏頂面から瞬きひとつすると、ほほえみを張り付けた。

 

「先程は大変失礼いたしました。言葉選びを間違いました。どうぞお許しください」


 とってつけた、という表現がこれほどしっくりくる笑顔があるだろうか。

 なんだか帳という人がわからない――志季は困惑する。彼は優しい顔をしながら随分とあけすけな物言いをする。クロの言う通り、自らを従者と名乗るにしてはあまりに慇懃無礼で。

 

「アッ!?」


 志季の思考を突き破るクロの声。閃いたとばかりに顔を上げる。

 

「あるじが怒らないのは祟りがあるから怒りたくないとかカ!? なら気にすんナ! そんなもの存在しないからナ!」


 祟りの話は自動車の中で既に話してあったが、それに対する返答は彼らから聞いていなかった。志季の頭から帳のことがぽんと吹き飛んだ。


「それってどういう」

「ああ、その話もありましたね。話は着替えの後でしましょう」

 

 帳もあっさりとしたものだ。

 

「まずはそのしなびた着物の召し替えと花紋の確認を。ほら、クロ」 

「へいへーい」


 色々聞きたいことはあるのに、二人は話を進めていってしまう。帳は部屋の隅に畳まれていた衝立ついたてを広げて、その陰に移動していった。退出はせずこのまま残るようだ。


「よーし着替えっゾ」


 クロもクロで話す気はないらしく、意気揚々と衣紋掛けの着物をくわえて引きずり落としていた。

 置いていかれた志季は諦めて着替えることにした。

 

 目利きに自信はないが、この着物は高価な物なんだろうなと思った。艶やかさな絹の白地に大振りの椿と雪輪ゆきわが大胆にあしらわれた華やかながらだ。

 ああ、絶対に衣装負けする。襦袢じゅばん姿でうめく志季にクロが素っ頓狂な声を上げる。


「オオウ! あるじ随分せてんナァ! ちゃんと食ってんのカ?」 

「最低限は、一応」

「絶対最低限も食ってないダロ。もっと肉つけろヨ。メスは肥えてなんぼだゾ」


 なるほど? クロが狸に見える理由がわかった気がする。


「胸の形は悪くなイ。太ればまな板から卒業できるゾ」

「ま、まな板……」

「どーんとした胸は女の武器ダ。ナァ、帳?」

「俺に話を振らないでもらえますか」


 衝立の裏からうんざりとした帳の声が飛ぶ。そういえば彼もいたのだった。

 見られないとはいえ、先程までの会話も聞かれていたのかと思うと顔に熱がのぼる。

 

「で、痣はっと……あーこれカァ」


 襦袢をはだけて座った志季の太腿にクロのぽってりとした前脚が乗る。丸っこい目を更に丸くして、鼻を寄せてくる。

 ぼんやりとした薄墨色の痣だ。見ようによっては花の形をしているが、椿の花と断定できるほど明瞭ではない。


「なるほどナァ」

「どうですか?」

 

 そろっとえりを合わせると、クロが「しまっていいぞ」と頷いた。


「あるにはあるんだが不完全ダ。あるじの言う霊障れいしょうもそれが原因ぽいナ」

「でしょうね」


 帳とクロは得心した様子だが、志季は首を傾げるばかり。

 帯を咥えてきたクロに従い、志季は着物に袖を通したのだった。

 


 

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