第4話 私はあなたの下僕なのです




 

「鉄の塊のくせに速いナ! スゲェー!」

 

 自動車の速度が上がってから、狐がしきりに歓声を上げていた。 

 喋る狐に運転手もさぞ驚くのではなかろうかと思ったのだが、なんてことはない、男は平然としていた。喋る狐は世の中に普通にいるものなのだろうか。ふと自分の常識を疑いたくなる。

 座席に沈んでいた身体を起こすと、ちょうど砂利道にしかかったところなのか尻がポンポンと跳ねた。 


「あるじ、水と握り飯くらいしかありませんが食べられますか?」


 帳が座席に置いてあった包みを解いて差し出してきた。


「俺の軽食用に近くの弁当屋で調達したもので申し訳ないのですが、顔色があまりに悪いので。何か腹に入れたほうがいい」


 ああ食事だ。志季はつばを呑み込み、こくこくと頷く。


「ありがとうございます。わ、おむすびがあったかい」

「それはよかった」

「…………おいしい。おいしいです。ありがとうございます」


 ご飯の甘みと辛めの塩が口の中に広がる。フサのときには我慢できていた涙が溢れてくる。あったかい食事なんていつぶりだろう。

 おいしい、おいしい、と繰り返して食べ続ける姿は食いしん坊のように見えているかもしれない。だが、気にする余裕はなかった。


「誰も取りませんから、ゆっくり」

「はひ……」

 

 それから食べ終わるまでの間、帳は無言だったがこちらを観察するような視線は終始感じていた。

 しかし嗚咽を漏らしながら握り飯を食べるという醜態を一度晒してしまうと、不思議と気分がすっきりするもので。相手が少々得体の知れない男であったとしても、志季の緊張は解けていた。

 一通り食べ終わったのを見届けてから、帳が身体ごとこちらを向く。


「すこし眠られますか?」

「大丈夫です。それより今の状況の説明がほしいです」

「そうでしょうね。さて、どこから説明を進めましょうか」


 狐は握り飯の包みについている米粒を舐めていた。


「あるじははらい師と聞いて、聞き覚えはありますか?」

「いえ」

「では、順を追って説明した方が早いでしょうね」


 帳はさらりと黒髪を流して口を開く。


 この日本国には古来平安の世より帝に仕える、祓い師と呼ばれる者たちがいた。祓い師は人や地に取り憑いた〈けがれ〉を身に引き受け、祓い清める特別な霊力を持つ神職だという。

 都や有力貴族の裏で暗躍し、あやかしの祓い落としやみそぎを行い、人々の生活を守ってきた。

 そんな人知れず活躍していた祓い師たちも、時代を経るごとに数を減らしていき、今や残るは四季家しきけと呼ばれる四家のみとなった――桜庭さくらば家、くちなし家、桔流きりゅう家、椿木つばき家である。

 この四家は浄化した地に清らかな花弁を散らすことから、特に花祓はなばらいとも呼ばれていた。


 四季家当主はその身のどこかに花の痣――花紋かもんを証として持ち、当主の座は代々一族で受け継がれる。当代が没すると、当主の血を引く者に花紋が現れ、花紋が現れた者が当主として担ぎ上げられるのだという。

 

 帳は一呼吸置く。


「なかでも椿木家は一年前、当主の椿木雪弥ゆきやさまが急逝なされて以降、次代当主がご子息ご息女に見つかりませんでした。途方に暮れていたところ白羽の矢が立ったのが、雪弥さまのめかけであった澄子すみこさまです」

「なんで、お母さんがそこで……」


 驚きで言葉が続かない。

 

 澄子は確かに志季の母の名だ。

 山代澄子やましろすみこ――線の細い優しい女性だった。父親はどこぞの名もなき男で病で亡くなったと聞かされ続けていただけに、にわかには信じられなかった。まさか母がそんな大層な家の妾であったなんて。

  

「でも母は八年前に亡くなっていますし、何かの勘違いでは」

「いいえ、澄子さまは確かに雪弥さまのお妾でした。二年ほどと短い間でしたが、椿木家の屋敷にも身を置いていました」


 帳が謳うように続ける。

 

「十八年も前のことになります。澄子さまは雪弥さまに見初められて椿木家に招かれました……が、澄子さまは身分が低く正妻や他のお妾から酷く扱われることが多かったそうです。雪弥さまは実情をご存知なかったとか」

「……」

「酷遇に耐えかねた澄子さまはある日、椿木家から逃げ出すことを決めた……ですが、その時しくも腹の中にはあなたが宿っていた」


 ――まさか、そんな。帳が嘆息する。


「澄子さまご自身も志季さまの存在には気づかれていなかったのだと思います。そうでなければ、雪に閉ざされた山深い屋敷からひとりで逃げだしはしなかった」


 嫌な予感がする。嘘だと言って欲しい。


「雪弥さまも澄子さまの腹に子がいると知っていれば、もっと早い段階で血眼になっておふたりを探していた。子が雪弥さまの血を引くならば、次代当主の可能性も秘めていますからね」

「ま、待ってください。椿木家の花紋って、もしかして――」

「はい。志季さま、あなたですよ」


 ああ、やっぱり。志季はいよいよ固まってしまう。


「花紋の確認が取れていませんが、間違いないでしょう。花紋についてご自身で思い当たる節はございますか?」

「それ、は」


 左胸――心臓の上に視線を落とす。いつからだか忘れたが、不思議な形の痣があることには気づいていた。殴られたり、ぶたれたりすることが日常茶飯事だったためか、どこかでできた痣がそのまま消えずに残ってしまったのだと思っていた。

 帳がぐいと顔を覗き込んでくる。


「心当たりがおありなのですね?」

「つ、椿の形かどうかはわかりません。モヤモヤとした痣で」

「ふむ。祓い師として力を完全に解放していないので、痣の発現も不完全なのでしょう。確認した方が早いのですが――」


 志季は咄嗟に着物のあわせを握りしめる。場所が場所だけに男の人に晒すのは抵抗がある。


「では屋敷に着いた時点でクロに確認させましょう」

「クロ?」

「この狐ですよ。これでも一応メスです」


 それまで静かに窓辺に張り付いていた狐がぐるりと振り返る。

 

「一応ってなんダヨ! どう見ても淑女だろうガヨ!」

「真の淑女は自身のことを淑女とは言わないものです」


 窓から離れて憤慨する狐――もとい、クロを観察する。黒狐で名前はクロ。狸と思いきや狐なのに、名前はえらく安直な獣である。


「あの、帳さまとクロさんは椿木家とどういった関係の方なのですか?」

「様は不要ですし、敬語も止めてください」

「そうダゾ。こんな不誠実な男にサマをつける必要ナイ」


 帳が端正な笑みを浮かべてクロの頭を鷲掴みにした。クロから悲鳴が上がる。


「私は代々四季家にお仕えする一族、こよみ家から椿木家へと派遣されたあなたの従者です」

「従者?」

「祓い師は戦う力を持ち得ない。故に四家当主は身の安全を守るために暦家から護衛となる従者をつけるのが慣わしです」

「でも私が当主だとまだ決まったわけでは」

「繰り返しますが、雪弥さまの血を引くご子息ご息女はみな確認しています。残りは志季さまだけ……あなた以外にありえない」

「ひぇ」


 情けない声が出た。


「もし私じゃなかったとしたら……?」

「だとしてもお連れします。椿木家の血を引く人間であることには変わりありませんし、保護対象になりますから」


 どう足掻いても詰んでいるということか。

 帳がニコリと微笑む。

 

「私は椿木家に出入りしてますが椿木家の人間ではありません。当主に仕え、守るために存在する。ですから私はあなたの下僕なのです。存分に使ってください」


 帳の嫣然とした笑みに志季は乾いた笑いしか出なかった。


 

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