第3話

目覚ましの音 がけたたましく鳴る部屋。

ベッド上の毛布に包まれた物体がモゾモゾと動きだしたと思えば、そこから腕が飛び出し、すぐ傍の丸テーブルの上を探り出す。

そして、スマホを探し当てた手は滞りなくアラーム音を止める。


鳥のさえずりだけが響く静かな時間が訪れるも、唐突にベッドの毛布が吹き飛ぶ。

現れたのは早水創一だ。


ここらで起床しないとさすがに遅刻してしまうので、気合を入れて勢いよく起き上がる。

そして、重たい頭を抱え洗面所に向かい顔を洗い、ボサボサの髪を濡らし後ろで結える。


彼がこのような髪形をしているのはお洒落を意識している訳ではない。

ただ、自分の容姿に無頓着で髪を伸ばし放題にしているだけである。


その後、彼がリビングへ向かうとキッチンには弁当を仕込む母の姿があり、食卓には朝食が用意されている。


「おはよう」


彼は母に挨拶をし、食卓に着き三つ並んだ配膳の一つを食べ始める。

この家庭は家族団らんで食卓を囲むことは無いため、創一もこの状況には慣れたものだが、この生活音しかない静かさは体に毒だろう。


そのまま言葉を発することもなく朝食を食べ終わり、空になった皿を流しへと持って行き水へと浸ける創一だが、隣にいる母は彼をちらりとも見はしない。

しかし、彼はいつものことだと特段気にもせず、自室へ戻り身支度を始める。

公共の交通機関を利用すれば登校時間まではもう少し余裕はあるのだが、彼は二度とそれらは利用しないと決めているのだ。

それも、彼が抱える精神的な病のせいなのだ。


―――幼い頃から早水創一が抱えている奇妙な病気。それは、人の群れに身を投じてしまうと身体的な拒否反応が起こる、という具合のものだ。


例えば、公共の乗り物や人混みに踏み入ってしまうと、一時して発汗と動悸、吐き気や頭痛が表れ始め、遂には立ってはいられなくなるような症状だ。

しかし、普通に生きていこうと思えば、それは避けられない道であり、実際に彼は苦しい思いを何度も経験している。

そして、質の悪いことに、そんな日々を重ねるごとに症状は悪化していき、ついには人通りの多い道は歩けなくなり、学校行事や催し物にも普通に参加できないようになってしまったのだ。

こうなってしまえば社会不適合者として世界の隅で生きるしかなさそうだが、それ以外の異常は全く見られないため、何とかギリギリの所で普通の人間として社会にしがみついているのだ。

しかし、彼は髪を赤く染めてからは自らそれを手放そうとしているようだが。


そんなこんなで、彼の移動手段はスカイボードへの憧れもあり、もっぱらスケートボードになったのだ。


その後、制服に着替え終わった創一はギターと鞄を肩に提げてリビングへと向かい、台所に並んだ二つの弁当の片方を鞄へと入れて準備は完了。

そして玄関に立てかけたスケートボードを抱え、いってきます、とだけ言葉を投げかけ登校する彼。

家の中とは対照的にこれでもかと眩しい青空の下、彼は顔をしかめながらスケートボードに乗り走り始める。


ただ道を無心で走り、住宅街を抜け、少しだけ賑わい始める街道を通り、数十分の時間をかけて学校に到着した彼は若干の吐き気を抱えながら早足で校舎内へ向かう。

髪を染めてた当初は皆の注目を集めていたが、今では腫物扱いされ、むしろ皆から目が合わないように避けられる日々。

そして誰彼が織りなす喧騒の中、まるで創一だけが別次元にいるように日常風景から切り離されたまま、彼は誰とも挨拶を交わずに教室へ辿り着く。


ガヤガヤと賑わう教室、一つの部屋にこれだけの人間がいるというだけで創一は息苦しさを覚えるが、席が左隅の一番後ろと目立たない場所であることが唯一の救いである。

実は、この状況は彼の席が他の生徒に囲まれないようにと、担任の高橋先生の計らいにより生まれたものであり、創一自身もそれを薄々感じ取っている。

そのようなフォローを察すればすればするほど、社会や大人に唾を吐き捨ててしまいたい彼に割り切れない感情が生まれてしまうのである。



しばらくするとチャイムと同時に高橋先生が入室し、今日もまた変わらない日常が始まる。

教室の隅で、まるでそこに存在しないように、創一はいつも通り空気と一体化して過ごすのみ。

彼はイかれた人間に成ることで、ようやく今の地位を確立したが、それは同時に現代社会における健全なレールから足を踏み外したことになる。

ああ、自らのアイデンティティを足掻き残そうとした結果が孤独など、悲しい話である。



そんなこんなであっという間に昼休み。

創一は弁当を抱え、一人静かに席を立ち教室を後にする。

向かう場所は彼が定期的に通っている屋上だ。

開放された屋上と言えば人気スポットのように思えるが、開放される代わりに設置された高い鉄柵が閉鎖感を煽り、わざわざそこまで通う必要性も感じないのか利用する者は皆無である。

彼にはむしろ、眺めも悪く閉鎖的な無人の場所が絶好の昼食スポットなのだ。

人目を避けコソコソと階段を上がり、冷たいドアノブに手をかけ軋むドアを開く。

迎えるのは緑色の鉄柵に囲まれた無骨で寂しい風景。

その上には申し訳程度にベンチが四脚ほど置かれている。

特にこだわりがあるわけでもないが、いつも通りに奥のベンチに腰を掛け弁当箱を開く。

感慨があるわけでもなく事務的に食べ進めると十数分程度で食べ終わる。

あとはだらだらと午後を過ごし、いつも通りの一日が終わるのである。

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