第2話

2XXX年、世界は青に包まれた。

漸進する地球温暖化と共に止まることを知らない海面上昇、いつの間にか地球は殆どの陸地を失い、地平は青に染まっていた。

そして、生活圏を奪われた人間は海を埋め立てながら何とか凌ぐも虚しく、遂には無数の柱を海上に立て、その上に土地を築き上げた。

都市部を橋で繋ぎ、海上に浮かぶ無数のニューロンの様相を呈したこの国、日本はかつての美しい緑を失い、灰色の世界へと生まれ変わったのだ。


そのような場所で人々は生きる歓びを忘れ、腐った幸福を齧りながら決められたレールの上を、下を向いて歩くだけの生物へと成り果てた。

これこそが人類の行き着く先だと言わんばかりに。


しかし、その人の流れに逆らい、青空の下、不貞腐れた顔でギターを背負いスケートボードで道を走る革ジャン姿の男がいた。

そう、彼こそ、あの問題児の早水創一である。

晴天の休日、彼は今、とある場所へと向かっている。


ビル群を抜け別の都市へ向かう橋に辿り着いた彼はブレーキをかけスケートボードを抱え、人通りもなくウミネコの鳴き声と自動車の走行音だけが響く橋の歩道を進む。

途中、橋の脇に腰ほどの鉄網のドアが現れ、それを開き下へ続く階段を降りると、海に面した小さい船着場があり、そこには数人の年老いた男性らがいる。


「おっさん、いつもの場所に」


「あいよ」


慣れた様子で一人の男性と共に彼は木製の小さいボートに乗り込む。

そして、エンジンがかかるや否や、緩やかな波を立てながらボートは進んでいく。

途中、墓標のように灰色の柱が建ち並ぶ中、ボロ屋やらゴミの山やらを載せた土地が顔を覗かせる。

そう、この国は全ての土地を失ったわけではない。

ほんの僅か、山の天辺や埋立地が海面から顔を出し点在しているのだ。

そして、その母なる大地こそ日本だと、海上都市は日本ではないと、故郷を捨てられずに危険に身をさらし日々を過ごす者も少なくない。

当然、そこには行政の手が入る余地もなく、見るに堪えない荒れた場所となっており、上で暮らす人々はそれを地底と呼び、そこに住む人々を地底人と差別している。


「着いたぜ」


「あざっす」


とある浮き島に辿り着いた創一は船頭に料金を支払いボードから降りる。

ひび割れ歪んだコンクリートの上に朽ちた木材や錆びたトタンでできた建造物が並び、その上に無数の海鳥が止まっている。


そして、十分程歩みを進めた彼は目的地に辿り着く。

そこは、『Over Drive』と記された看板が提げてあるプレハブ小屋があり、その十数メートル奥にはコンテナハウスがずらりと横に並んでいる。


ここは地底の音楽スタジオ。

現代のエンターテイメントは演者が飽和しないように選ばれた人間のみが携わるように管理されているため、都市部では音楽スタジオも限られた者しか利用できない。

しかし、そのようなルールも地底人は知らぬ顔。

この場所は金さえ払えば誰でも利用できる


創一はプレハブ小屋に近づき小窓から顔を出す初老の男性に声を掛ける。


「じいさん、いつもの場所、空いてる?」


「もちろん」


「じゃあ、そこで」


「はいよ」


部屋の鍵を受け取った創一は一番左のコンテナハウスへ入室する。


「お、来た来た。よっ、少年」


「げっ」


そこには、ジャージ姿にスカジャンを羽織った金髪ヤンキーがいた。

名前は一番星キラリ。

あからさまな偽名を名乗る、年齢も職業も不詳な怪しい暇人である。


「なんだよ、そのウンザリした顔は。こんな美人なお姉さんに出会えるんだからもっと嬉しそうにしなよ」


「俺、ロックに魂捧げてるんで」


「バカ、ロックといえば女だろ」


「それより、ここ、空き部屋って聞いたんですけど」


ドッキリ大成功の札を掲げるキラリお姉さんを無視し、彼は練習の準備を着々と進める。

取り出したギターとスタジオ備え付けの真空管アンプの間に歪み系のエフェクターを一つだけ取り付け、たったそれだけの簡単な作業。

その様子を彼女は微笑みながら眺めている。


そして、準備を終えた創一はギターを奏で始める。

音の輪郭もはっきりしない歪んだデカい音が鳴り響く。

彼の音楽はパワーコードを掻き鳴らし、それに叫ぶような歌を載せるだけの素人丸出しのものだ。

しかし、キラリお姉さんからは金や流行のための音楽よりも数億倍マシだという評価を得ている。


創一が演奏を始め数十分後。

一段落ついたようで音が鳴り止む。


「そういや、少年。この前、スカイボードの話をしていたよな」


「え?ああ、そうっすね」


突拍子もなく話を切り出すキラリお姉さん。

スカイボード、それは文字通り空を飛ぶ板である。

サーフボードより少し大きめで反重力装置を搭載したそれは、一人のバンドマンを乗せ突如として世に現れた。


「もし、もしもだ、それが今、目の前にあったら、少年は乗ってみたいか」


「急になんすか。まぁ、興味はあるけど、あれは曰く付きでしょ?」


バンドマン音楽を奏でながら空を飛び、各地に設置されたモニターやスピーカー、ホログラムなどで街中に映像を流し演奏を響かせたゲリラライブ。

いずれは最先端のエンターテイメントとして一部のファンから期待されていたそれは、とある事故によって幕を閉じた。


「発展に失敗はつきものだ。たった一回の過ちで全部ご破算にしてしまうなんて、どうかしているだろ」


「人が死んだんだから、当然じゃないっすか」


そう、三度目のライブ時にスカイボードの制御を誤ったバンドマンが高層ビルに突っ込んでしまい、死亡する事故が発生したのだ。

その上、スカイボードの構造はブラックボックスであり、その危険性から闇に葬られたのである。


「まぁ、問題は色々あったさ。それでも、あの時だけは皆、確かに空を見上げていたんだ」


「……そうっすね」


いつもは俯き歩く現代人も、その時ばかりは青空を見上げて全身で音を感じていた。

そして、創一も、そのうちの一人であった。


「はぁ。もう一度、ああいうスカッとする出来事が起きないもんかねぇ」


窓から青空を眺め黄昏始めた彼女を前に何も言えなくなった創一は再びギターを鳴らし始める。


そうして、彼の休日は過ぎていくのであった。

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