俺の歌を聞け

たけのこ

第1話

「皆さんは今、幸せですか?」


緑明学園の体育館にて、いつもの定型句から始まる朝の全校集会。壇上に立つのは見目麗しい生徒会長である。


「叶わない夢を捨て、用意された己の能力に相応しい道を進み、自らの力を最大限に発揮しながら生きることは今の時代、当たり前になっています。そうして、全人類の幸福のために皆が足並みを揃えて心を豊かにしてますが、この学園には目標が定まらない人や、決まった道を進むことへの不安を抱えている人もたくさんいますね」


滔々と流れる生温い言葉で紡がれた変わり映えのしない演説は続く。


「その不安を否定するつもりはありません。明確なビジョンがあり非凡な能力がある者だけでなく、全ての人類が幸福になれるなんて、そう簡単に信じることはできませんよね」


いつからだろうか。

レールの敷かれた人生は効率よく、安心安全が保障され、何より間違いがない、その言葉が生まれて社会の通念に至ったのは。

生まれ持った才能や能力、教育で身につけた経験、それらによって将来の職業が決定される時代。

将来の夢やなりたい職業など環境によって左右される不確かなものよりも、慣習に従い道を進むことが常識となった社会。

自分なりの指針があろうとなかろうと、人間は必要とされる場所で社会貢献、最大多数の幸福のために働く、それが当たり前の生き方となった。

人として、これが正しい在り方なのかと疑問を持つことさえ、今では異端となっている。


そして、生徒会長からいつもの締めの言葉が放たれる。


「しかし、今の社会は私たちに優しく手を差し伸べてくれます。迷いながらも、自分の能力を活かして生きていけることは、きっと幸せに繋がります。もしも不安であれば、私たち生徒会が協力しますので、いつでも相談に来てください。それでは以上になります。ご清聴、ありがとうございました」


空気が震えんばかりの大きな拍手が起こる。


しかし、そこに。


「ちょぉっと待った!」


大声を上げながら、壇上に誰かが現れる。

それは、ウルフカットにポニーテールで赤髪のロックな男子生徒だった。

彼は赤色のフライングVを引っ提げ、上部にバッテリーとマルチエフェクターをくっつけたドでかいアンプを持っている。

そして、生徒会長へ近づきそのアンプをドカンとステージ上へ下ろす。


「よくもまぁこんな話に感激できるもんだ。かいつまんでしまえば、皆、将来の不安(チャンス)と考える力を引き換えに、家畜としての生き方と幸福を手に入れるように進化するということだろうが」


生徒らがざわつく中、彼は演台からマイクを奪い語る。

そして、片腕でギターを一ストロークすると歪んだデカい音が響き渡る。


「人間とは死の恐怖に怯えながら生を歓び謳いながら生きる生き物だ。幸せなんて麻薬を手に入れるために金の奴隷になり生きるなんて間違ってる。だから、こんな下らねぇ話よりも、情熱に満ちた俺の歌を聞かせてやるよ!」


「何やってんだお前!」


怒鳴りながら現れた女教師がギター男を拘束し連行する。

続いて二人の教師が現れ、壇上は綺麗さっぱり片付いた。


今やこの場に異議を唱える者は誰もいない。

現代では珍しく前時代的で自由な校風が売りだという甘い文句に釣られた生徒らも、ご覧の有り様。

ここ、緑明学園も蓋を開けてみれば、所詮は社会の流れに逆らえなかった場所なのだ。

行き着く先は皆と同じ、少しの悩む猶予があるだけで結局は社会人として矯正されるだけ。

今、壇上に立つ生徒会長はさながら、迷える子羊を正しい道に誘導する羊飼いだろう。


そして今日もまた、何も変わらない日々が連綿と過ぎていくのであった。



指導室に先の集会で問題を起こした男、早水創一と、その騒ぎをいの一番に収めていた女教師の高橋先生が座っている。


「まったく、しばらく大人しくしていたと思えば、すぐこれだ。お前はもう少し慎ましく生きることはできないのか」


「若者よ、今を焦って生きろ」


「なんだ、それは」


「最高にイカしたバンドマンの言葉っすよ。『人は皆、必ず大人になる。その事実を誰も理解しちゃいない。そして、その時が来て必ず後悔する。絶対に、平等に例外なく嘆き悲しむ時が来る。ああ、何度も言ってやるさ。大人になるってことを誰も理解しちゃいないんだ』ってね」


高橋先生は訝しげな顔を見せる。


「……それが、なんだというんだ」


「今のうちに、出来ることはすべてやっておかなきゃならない。なんでも行動に起こして壁にぶつかって、初めて自分の無力さを知れる、それがスタートラインになる、そうして、ようやく次に進むための課題が明確になる。そして、コンクリートのようにこびりついた世の中の常識が削れ剥がれ、本当の自分が顔を出すんですよ。大人になってそれに気付いても、もう手遅れなんですよ」


「まるで、蛇に唆されたアダムのようだな。知ろうとしなければ、余計なことをしなければ楽に生きていけるのに。お前は、幸せになりたくないのか」


「んなもん、クソくらえっすよ。あんな、下を向いて歩く現代人みたいになりたくはないんでね」

   

「……はぁ」


ただ話し合いをするだけで問題は解決しない、そう分かっていながらも、どこまでも平行線が続く会話に彼女は頭を抱える。


「……じゃあ、そうだな。どうだ、人間嫌い病の方は、少しくらい改善してはいないのか」


「ああ、それは、最近は発症の原因となるものを避けているんで、問題ないっすよ」


「お前なぁ。その生き方にとやかく言うつもりはないが、そのままで本当に真っ当に生きていけると思っているのか。私が言いたいことは理解できるな?」


人と関わらず生きていくなんて、よほど恵まれた環境でなければ不可能だと、彼もそれは重々承知している。


「早水がそれでいいのなら、もう何も言うことはできない。しかし、君の担任として周りから圧力をかけられるのは面倒くさいんだぞ。この学校での君の扱いは割れ物注意だからな」


「普段は、普通の生徒でしょう」


「髪を真っ赤に染めた奴が何を言っているんだ。それに、お前は何時何処で何の拍子に爆発するかも知れない危険人物だ、こちらとしても必要以上の気を使わなければならない」


教師にあるまじき発言ではあるが、彼女の正直な物言いは寧ろ彼にとっては心地のいいものだった。


「そこで、だ。単刀直入に言う。早水、これから集団生活に慣れるように部活に入れ」


「お断りします」


「最後まで話を聞け。お前みたいな社会不適合者を無理やり既存の部活に入れるつもりはない。新しく社会不適合者向けのものを立ち上げるから、そこに入れと言っているんだ」


「そんな、碌でもないメンバーを集めて閉じ込めて活動しちゃ、余計に社会に馴染めなくなるでしょ」


「こっちの事情も酌量してくれ。お前のような常人か狂人か微妙な位置にいる奴は教師として手が出しにくが、放置しているとお上が黙っちゃいないんだ。ならばいっそ、大人が口出しするのではなく面倒くさい奴らを集めて当人同士で問題解決をしてほしい。乱暴な物言いだが、協力してくれると助かる」


「きっと、失敗しますよ。問題がある人間同士、分かち合えるものがあるかといえば、答えはノーだし、傷を舐め合うだけになって腐る可能性だってある」


その言葉を受け、高橋先生は面倒な奴だと苦い表情を作る。


「別に、古傷を晒し合う必要なんてない。他人の過去なんざどう足掻いても理解できるものじゃないからな。だが、お互いを理解し合える未来を築くことなら、これからいくらでもできる。とにかく、他者との繋がりと何かしらの実績を作るため、とでも思えばいい。成績は普通で学校行事にも積極的に参加しないお先真っ暗なお前の、将来の選択肢を広げるための活動さ」


「拒否権は?」


「もちろん、ある。その場合、私がタバコを吸う本数は増えるがな。はぁ、また校長教頭主任その他諸々からの小言が増えるなぁ」


飄々とした顔をしながらタバコを吸うジェスチャーをとる先生。

いくつもの場面で助けてもらった恩がある彼女に対して、感謝の念を幾分か持っている彼にとっては、そのふざけた発言にも逆らい難い。


「そう難しく考えるな。試しに入部して、合わなければ辞めていい」


「……はい。それで、いったいどんな部活なんすか?」


「社会不適合者であるお前たちが生き抜く術を学ぶ、社会部だ」


「……ちなみに、活動内容は?」


「名目上は社会について学び、何かしらの奉仕活動を行う部活となっている。なに、安心していい。実際はお前たちの社会復帰を目指した緩いものだ」


「結構、適当なんすね」


「正に適当、と言ってもらおう」


こんなもの、上手くいくと思う方が間違いである。

高橋先生もそのあたりはわかっているはずだが、世間からのプレッシャーというやつだろうか。


「でも、この時代に社会部なんて、えらく浮いていると思いませんか?」


「気にするな。ここに入部するのは元々浮いている奴らだけだ。何とも思われないさ」


いくら言葉を重ねようと、彼女の心内では彼が入部することは既に決定事項のようで、こうなればいくら駄々をこねたとしても意味はない。


「お前、なにかにつけてロックだ、ロックンロールだ、なんて言ってるじゃないか。あの時の勢いはどうしたんだ」


「ロックは好きだけど人間は嫌いなんすよ」


「バカ、人間同士が生み出すドラマこそロックだろうが。とにかく、明るい未来のためにガンバ」


彼女らしくない物言いと寒気を伴う圧力の前に、彼はため息をつく。


「はぁ。わかりましたよ。言われた通り、合わなければすぐに辞めますからね」


「構わないが、よく考えて行動しろよ」


彼女が机に差し出す入部届けにサインをして挨拶をし退室する早水。

そして、誰もいないオレンジの廊下を、彼は重たいものを引きずりながら歩き出した。


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