苦難⑥ 鎧に着替えて
「『備える』といっても、ここまでする必要があるのですか?」
「念には念を、だ。 どうにも嫌な予感がするのでな……腹のそれ、止まるのか?」
「止まります!」
ドーチェが頬を膨らませながら、鎖で編まれたスカートを腰に巻く。
背中につけられた金具が、パチンと小気味の良い音を立てた。
「ほう、中々似合うじゃないか」
「フフン。 どうですか、この雄姿!」
そう言うとドーチェはその場で一回転してみせた。
彼女の手で丹念に磨かれた鋼の軽鎧は、左肩から胸元、右腹までを防御。
同じく鋼でできた小手を両腕に嵌めることで、防御力が補われていた。
下半身は、鎖製のスカートがシャラシャラという音をさせながら膝上までを覆い、それより下には比較的簡素な皮製のレギンスとブーツを履いただけだった。
それらを纏っているだけで、彼女の頬がほころぶ。
それもそのはず、この防具は、彼女の体躯や彼女の【呪文】主体の戦法に合わせてオーディンが技師に造らせた『
(オーディン様が私だけの為に……)
フヒヒ、と気持ちが悪い声が彼女の口から漏れる。
一方、タイラーの口元は、その鎧を見たことで不機嫌そうに歪んでいた。
「ふむ、腹に対して守りが薄いな。足りない部分は【呪文】で守ればいいとでも思っているのか? オーディンめ、大事な娘に中々酷なものを授けたものだ」
「い、いいんですよ、これで! 敵から間合いを取って【呪文】を放つためには、私の鎧は動きやすくないといけないのです! ……腕力も、まだ足りませんし?」
「それができれば、な。 【邪竜堕とし】の時にやったあの連続した跳躍を、それを着た上でできるか?」
「大丈夫です! そのために日々鍛えていますから!」
そう言ってドーチェがその場でシュッ、シュッとパンチを繰り出してみせる。
しかし、タイラーからすれば腰の入っていないその拳はまだまだ弱く、威力は綿のようだった。
呆れた彼の頭が小さく左右に振られた。
「まあ、ないよりはマシか。 ちなみに、武器はなにを使うのだ?」
「はい、これです!」
ドーチェが足元の細長い木箱を大事そうに拾い上げ、封を解く。
木箱の中に入っていたのは、簡素な鞘に納められた一振りの
「ほお、【戦乙女】の武具にしては装飾が少ないな。 ——悪くない」
「ええ、やはり武具は本来簡素であるべきですよね。 でもこの剣、それだけじゃないんです」
得意げに鼻を鳴らす彼女が、鞘から短剣を抜き放つ。 するとその瞬間、刃の表面を僅かにだが光が走った。
「ほう、それは……」
「はい! これは『短剣』でもあり、『杖』でもあるのです! 例えば……」
彼女の短剣を握る手に力が籠る。
彼女はそっと目を閉じ、桃色の唇を震わせた。
「【
彼女の呼びかけに応じ、短剣の表面が柄の方から光を帯び始める。
それと同時に微細な【印】が浮かび上がり、やがて刃が紅く染まった。
その様子は、彼女が剪定で使った『印付きの鋏』をはるかに超えていた。
「ふう……成功です。 どうぞ、よろしければ触ってみてください」
そう言って彼女がタイラーにそっと刃を差し出す。
タイラーは「いや、いい」と言って辞退したが、その目尻は懐かしいものを見るように緩んでいた。
「それにしても、【印】を【呪文】の道筋とする剣か。 【印】の意味をそのまま再現する武具はよく見るが……」
「そうですね、私も初めて見ました。 魔力を維持する【
「おお、彫られた【印】が読めるのか。 増々もって昔のアイツを見ているようだな。 とはいえ、魔力量は雲泥の差だ。使い過ぎれば身を滅ぼすぞ?」
「わかっています。 こうしている間も、気を張りっぱなしですから……」
その言葉通り、彼女の額には脂汗が滲み、呼吸も荒くなっていた。
「わかった、もう十分だ。 それはお前の『切り札』、切りどころを見誤るなよ」
そうタイラーに言われたドーチェはコクリと頷き、震える手で炎を帯びた剣を鞘に戻す。
途端に彼女の口から大きな吐息が吐き出され、両腕もだらりと下に向けられた。
「……まだまだ精進が足りませんね。 でも、ちょっと嬉しいです」
「うん? それはどうしてだ?」
そう尋ねたタイラーに、彼女は息を整えながら答えた。
「あなたに、『オーディン様を見ているようだ』と言われたから、です」
「なんだ、そんなことか。 さっきも言ったが、そこは別に似なくても……」
「いいえ、似ます。 似てしまいます。 それが私ができる数少ない戦い方なので」
「そうか……神ではない【戦乙女】には険しい道だぞ、それでもいいか?」
「——はい!」
顔中を脂汗でいっぱいにしながら、ドーチェがニカッと笑ってみせる。
タイラーはその様子に小さくため息をつきながら、彼女の頭を撫でようと手を伸ばした。
その時——
玄関のドアがバタンと乱暴に開け放たれる。
ドーチェとタイラーは顔を見合わせ、二人で玄関へ向かった。
玄関では蝶番が半分外れたドアが、辛うじて壁にぶら下がっており、そのすぐ横に黒い毛の塊に四本の脚が生えたなにかが立っていた。
その毛の塊からは、焼け焦げた匂いがするとともに、床の絨毯には仄かに霜が降りていた。
そして……
「お前ら、殺して、叔母ちゃんを取り戻す——!」
——取り戻す。 毛の塊がそう喋るのを、二人は確かに聞いていた。
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