留守番 ⑤ 予期せぬ遭遇
「ドーチェ、さっきからどうしたの?」
「いえ、別に……」
ドーチェがタイラーの家に来てから、早一週間。
道具や庭師の仕事について、おおむね彼女の頭には入りつつあったし、留守番中の応対にも慣れてきた。
タイラーも「まだまだだな」とか「それくらい普通だ」などと小言を言いつつも、ここ最近は彼女がする報告には、頬を緩ませていた。
そして今夜、ついにタイラーによる【中間試験】が行われる。
この一週間でどれだけのことを学んだかテストし、その結果に対して彼がフィードバックをするらしい。
たとえ結果が悪くても現地には連れて行く、とタイラーは言っていた。
しかし、例えそうだとしても、どうせならお互いにわだかまりなく仕事がしたい。
だからドーチェは、ここまでめげずに学び続けてきたのだ。
そんな期待と不安が入り混じる心持ちのまま、彼女はタイラーの家から少し上層にある市場へ買い出しに行かされていたのだが……
「別に、って顔じゃないわよね、その作り笑い。 アンタもそう思うでしょ、ギーザ?」
「ウルスラの言う通りです。ドーチェさん、なにか心配事でもあるのですか?」
その道中で要注意人物、それもその両方にバッタリ出くわしてしまえば、こんな作り笑いにもなるのも当然だろう。
「お二方、今日はお会いできてとても嬉しいです。 ですが私、この後用事がありますので、これにて失礼いたします。 お代はこちらでお支払いしますので」
ドーチェが作り笑いのまま、会計を済ませてしまおうと立ち上がった。
タイラーから給金は出ていないが、館を追い出されたときに渡された路銀がまだ残っている。
しばらく自分の買い物を我慢すれば多分大丈夫、のはずだ。
しかし……
「えー嫌よ、まだ話し始めてから十分も経ってないわ。 そうでしょ、ギーザ?」
「ええ、その通りです」
「えぇ……」
わざとらしく頬を膨らませるウルスラに、ポケットの懐中時計を見ながらウェイターことギーザが続く。
そのテンポの良さは、さながら双子の姉弟のようだ。
しかし、彼らの身体的特徴は全くもって異なっている。
ウルスラは銀の長髪に碧色の目、ギーザは赤茶色の短髪に金色の目だった。
「それにこうして再会できたのですから、もう少しだけお話しをしていきませんか? この店のピザ、とても美味しいと評判なんです。 だよね、ウルスラ?」
「そうそう。 ……あとね、デザートもすっごく甘くてオススメよ?」
「ぐっ……」
美味しいピザ、甘いデザートと聞いて、ドーチェの心がぐらりと揺れる。
しかし今は、この場から早く離れたい気持ちの方がほんの少しだが勝っていた。
うっかり口を滑らせてしまいそうで、会話を楽しめそうにないからだ。
「じ、実は私、この後夕食の仕込みがあるのです。よい鶏肉が手に入ったので、さっさと捌かないと鮮度が……」
「えー、ここで食事していくくらい大丈夫よぉ」
「で、ですが、タイラーさんにまた美味しいと褒めていただきたいですし……」
少し頬を赤らめるドーチェに、ウルスラが「ぐっ……」と言葉を詰まらせる。
タイラーと彼女の関係を案じているだけに、ウルスラもはっきり「ダメ」と強くは言えないのだ。
「むぅ……。 腐れ縁としてはそういう惚気話は嬉しい限りなんだけどねえ……」
「ありがとうございます。 それでは……」
そう言ってそそくさと立ち去ろうとするドーチェの手を、誰かの手が掴んだ。
「ギ、ギーザさん?」
温厚そうに見えた彼が、痛いとまではいかないまでも、振りほどけない力で自分を掴んでいる。 想定外の事態に、ドーチェは恐怖を覚えた。
「ドーチェさん、ご存じかと思いますが、私もタイラーとはウルスラ共々昔から近しい間柄です。 ですからその弟子であるあなたにも、出来れば不快な思いをさせたくはありません」
「で、でしたら、早く手を離して……」
「ですが、それにも限度があります」
ドーチェが「限度?」と聞き返すよりも前に、ギーザが彼女の腕を引っ張り無理矢理に椅子に座り直させた。
その金色の双眸に射貫かれてしまったドーチェの身体は強張り、動けなくなる。
「あなたが今のようにウルスラを困らせるのなら、私はあなたを傷つけてしまうでしょう。 それは、たとえ相手がタイラーであっても変わりません」
「で、では、私はどうすればよいのですか?」
恐怖のあまり、ドーチェは反射的に首を“イヤイヤ”と左右に振る。
それを見たギーザは、彼女にいつものように柔和に微笑みかけた。
「そんなの簡単ですよ。ウルスラを困らせなければいいんです。 それだけで、私のこの怒りはすっぱり収まりますから」
柔和な表情のまま、ギーザは続ける。
しかしそれは、ドーチェにとって恐怖を払しょくするものとはならなかった。
「で、ですが、私は……」
「ドーチェさん、先程からなにを怖がっているのです? 私たちはただ、あなたとお話しがしたいだけなのですが?」
「そ、それは……」
豹変したギーザを前に、ドーチェは肩を震わせ涙目になる。
彼がウルスラをそこまで大切に思っていたなんて知らなかったし、それに対しては申し訳なかったと彼女自身も思っている。
だが彼らと話していると、警戒する以前に怖かったのだ……。
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