留守番 ➂ 突然の来客
「タイラー! 居留守なんて使ってないで、出て来なさい!」
女性が、納屋の入り口から声を上げるのが聞こえる。
(あなたみたいな女性に、タイラーさんは振り向きませんよ!)
などと心の中でドーチェはマウントを取る。
お前自身もその対象だろう、とタイラーがいたらツッコまれそうだ。
(今日から雇われた使用人ってことにして、主は今は留守ってことで……)
覚悟を決めたドーチェは、頭の中で女性との会話を想定し始める。
しかし、それより先に女性の方から……
「あら、あんなところに女物の下着がぶら下がってる!」
「!?!?」
今彼女、なんて言った?
ドーチェは、思わず耳を疑う。
「やっぱりね! タイラーにもようやく……」
——女が出来たんだ。
あり得ない。ちゃんと裏口の〝見えない〟位置に干しておいたはずなのに。
なのに、なんで見えてしまったの!?
「うふふ、いいネタ掴んじゃった。早速みんなに……」
「だめぇぇぇぇぇぇ!」
ドーチェは暗がりから飛び出し、納屋の前に立つ女性の腰に抱きついた。
もちろん、想定していた会話など頭の中から全て飛んでしまっている。
今の彼女には、女性をこの家から出すまいとすることしか考えられなかった。
「あらら、まさか本当にいるとは思わなかった。 それもこんなに小さな女の子だなんて」
驚いた女性の声を聞いたドーチェは、自分の浅慮に対する羞恥で増々動けなくなってしまうのだった。
* * *
「お騒がせして、申し訳ございませんでした……」
ドーチェが深々と女性に頭を下げた。
女性は、少し困惑しながらも首を左右に振る。
耳で揺れるイヤリングが、大人の色気を増幅していた。
「ううん、カマを掛けたアタシにも落ち度はあるわ。 ごめんなさいね、ドーチェさん」
「ああ、初日からこんな醜態を晒してしまうなんて……。 もう私、本当にダメかもしれません……」
頭を下げたまま、ドーチェは自分の情けなさに打ち震えていた。
戦乙女なら、もっと冷静に、毅然とした態度で出て行くべきだった。
間違っても、干していた下着を見られたくらいで狼狽えるなんてこと、あってはならないはずなのに。
「心配しないで、ドーチェさん。 ワタシ、黙っててあげるから」
「……本当ですか?」
「本当よ。 アタシね、タイラーに女が出来たって聞いて、てっきり悪い女が擦り寄ってきたんだと思ったの。 だからそいつに一泡吹かせてやろうと思ったんだけど……」
「出てきたのがこんな小娘で、拍子抜けしましたか?」
顔を上げたドーチェが、女性をジト目で睨みつける。
その視線に苦笑いしながらも、女性は話を続けた。
「まあね。 でも安心した。 あなたみたいに小さな戦乙女さんが、彼に擦り寄ってどうこうするなんてあるはずないもの」
「そう、ですか?」
ドーチェの目に、少し光が戻る。
〝小さな〟のところに、少し引っかかりを感じるが。
「うん、そうよ。 だってドーチェさん、彼のことを好きと言うより、尊敬してる感じじゃない?」
「は、はい、一応は……」
朝の出来事のことを思うと、〝一応〟という他なかった。
「ふんふん、一応ね。 まあ、そこは深く聞かないでおいてあげるわ」
「恐れ入ります……」
悪戯っぽく微笑む女性に、ドーチェは再び頭を下げた。
無骨なタイラーの周囲にはいそうにない、気立ての良い女性。
口ぶりからして彼とは知り合いみたいだけど、どういう関係なのだろう。
もしかして、恋人? それとも……
ドーチェの脳内が、また桃色に染まり始める。
「ああ、そういえば自己紹介がまだだったわね。 私は『ウルスラ』。 タイラーとは、なんというかその、腐れ縁みたいな感じよ」
「ウルスラ様……」
「様はいらないわ、ドーチェさん。 ここにはまた時々来ると思うから、そのときはよろしくね」
「は、はい! よろしくお願いいたします! あ、あと、私も「さん」と呼ばずに呼び捨てで結構です1」
ドーチェの歯切れのよい返事に、ウルスラは口元に手をやりながらフフと笑った。
「元気がよくて結構! その元気、タイラーにも分けてやって欲しいわ」
「受け取ってもらえるでしょうか?」
「うーん……無理ね、あの顔じゃ」
ウルスラが今度はハハハと口を開けて笑う。それに釣られてドーチェも「そうですね」と言ってフフッと笑った。
目の前に座っている人は、悪い人ではない。
ドーチェの中で、ウルスラはそう認識されつつあった。
「さて、そろそろお暇するわ。 あなたにもまだやることがあるみたいだし」
ウルスラが、座っていた丸太のスツールから立ち上がる。
彼女の長い足がしなやかに伸び上がる様が、ドーチェの目には釘付けだった。
「どうしたの、ドーチェ?」
「い、いえ、ウルスラさんの足、とても綺麗だなあ、って」
「やめてよ、綺麗だなんて! これでも他の娘に比べると全然細くないなのよ?」
「そうなのですか?」
そうよ、と肩を竦めるウルスラを、ドーチェは興味深そうに見た。
彼女よりも細い足を持つ人がたくさんいる仕事場があるなんて。
一体彼女は、どんなところで働いているのだろう。
その疑問が口から出そうになるのを、ドーチェは喉の奥に押し込めた。
なぜなら、彼女の仕事が〝水商売〟かもしれないと思ったからだ。
偏見かもしれなかったが、美人、それも女性が働く店というと、選択肢はおのずと限られてくる。
この【世界樹】でも、現世【ミッドガルド】と同様、そういう店の営業は認められている。 とはいえ、そういった職業に後ろ暗いイメージがあることは拭えなかった。
ましてや、自分のような小娘が嬉々として聞いていい話題ではない。 いくら年若い彼女でも、それくらいは弁えていた。
それに、せっかくこうして〝タイラー〟という共通の話題を持つ人に会うことが出来たのだ。それをみすみす不意にするなんて、ドーチェには出来なかった。
「ウルスラさん」
「ん、なあに、ドーチェさん?」
「今後とも、よろしくお願いいたしますね!」
「え、ええ、こちらこそ……?」
ウルスラは、一瞬小首を傾げたが、「ま、いっか」と思い直して門へと歩き出した。
「ああ、そうだ。 タイラーに伝えておいてくれる? 〝可愛い助手さんが出来てよかったわね〟って!」
「ウ、ウルスラさん! そんな、助手さんだなんて……」
ドーチェが、照れ臭そうに髪の毛をくしゃくしゃとかき上げた。
〝可愛い〟はともかく、〝助手さん〟だなんて。
そう見えていたのなら、お世辞でも嬉しかった。
御前試合での失態が、吹き飛びそうになるくらいには。
「あれ、そういえば私、自己紹介しましたか? それに【戦乙女】だってことも……」
そう尋ねようとしたときには、ウルスラの姿はもうなかった。
木の門だけが、風でユラユラと揺れているばかりだった。
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