「ほら、抱いてみて」

「もういいって」

「そう言わずにさ。ね? 今ぐっすり眠ってるから大丈夫よ。……多分」

「…………」


 淋はどうにか僕に赤子を懐かせたがる様子だったが、何度かこの世の終わりとばかりに泣かれただけで、まだこれといった成果はなかった。別に構わないけれど、僕のために気を遣ってくれているというのに断るのも悪い。


 床でくつろいでいた僕は、渋々体を起こして赤子を受け取った。首を支え、体に密着させる。や、やったか。


ウギャーッ!! ウギャーッ!!

ニャー!


 鼓膜を叩く耳障りな音に顔をしかめてしまう。淋は急いで赤子をあやした。


「ごめんねー、怖かった? よしよしママだよ。もう大丈夫ー。怖い人もういない。ほら、泣かないでー。――もう、何でだろうね」


 誰だ怖い人は。僕じゃあるまい。


「まあ、生存本能だろ」

「またそんなこと言って……。あ、そういえばさ、そろそろこの子に名前をつけてあげたいんだけど」

「うむ」


 赤子の名前はつち占い師に占ってもらうのが習わしだ。彼らは赤子の生年月日、土地の風水、親の夢や願い、そして宝石を投じてできた模様を用いて占いを行い、偉大なる土から字を授かる。


「誕生日さえ分かれば占ってもらえるんでしょ?」

「一応はね。適当なものになってしまうけど」

「やっぱり鈴さんに色々聞いとけばよかったかも……」

「そんなもん、一々こだわらなくてもいい」

「あんたはこだわらなさすぎんだよ!」



 僕たちはさすらい土占い師の天幕を訪れた。れんを潜ると粘土と鉱物の臭いに加齢臭が混じって漂ってくる。


「失礼します。夜分すみません」


 淋が挨拶すると、占い師は振り向きもせずに静かに言った。


「待っとったんじゃよ。赤ん坊の名付けじゃろ。そこに座りたまえ」

「えっ⁈ ど、どうやって分かったんですか? すごい!」

「どうも何も、若い女が赤子を抱いて来たんならそれしかな――くはっ……!」


 みぞおちに淋の肘が突き刺さる。呻く僕をよそに、淋はいつものよそ行きの声を出した。


「誕生日は小満の8日目です。えと、孤児を拾ったので、それ以外は……」

「そうか。どうも最近は、孤児が多いのう。宝石の希望は?」

「オススメはありますか? あんまりお金は出せないんですが……」

「うむ。昨日、ちょうどええ黄水晶が入ったのじゃ。――ほら」


 占い師はごそごそと箱の中を探り、小さな袋を取り出して淋の手のひらに注いだ。


「わぁ、キレイ……! 水晶なのにみかん色に色づいてて爽やかな感じ」

「ほう、気に入ったか」

「はい!」

「これは一万二千ぶんはするものじゃが、可愛いお客さんに今回だけ一万雯にしてやる。どうじゃ?」

「あら、ふふ。ありがとうございます。じゃあこれにしちゃおうかしら。ね、いいでしょ?」


 いや、ちょろすぎるだろこいつ……。


「まあ、それくらいなら」

「ありがとー。って、どっか痛いの? 顔色悪いよ?」

「何でもねー」


  占い師は巧みに砂を広げ、儀式の準備を整えた。砂と小石が織り成す穏やかな音に和んでいると、淋がぼそっと呟く。


せい、みたいなのはもらえないかしら……」


 セイ。……せいのことか。


「半貴石でそれはさすがに無理だろ」

「え、今声出ちゃってた? うう……」


 字は、良い意味を持っているほど、余計な意味がないほど、俗世に汚れてないほど、それでいて簡潔なほど美しいものとされる。そういう意味で、惺は完璧に近い。よほどの金持ちか、貴族でもなければそんな字は使えない。


「君もそういう名前が欲しかったか」

「いやいや、別に。キレイとは思うけど、あたしなんか、ね。はは!」

「……そうかい」


 会話に間が空くと、占い師の低い呻き声が聞こえてきた。何か問題でもあるんだろうか。


 淋の耳元にささやく。


「まさか金が足りないとか言い出すんじゃないだろうな」

「あんたはさ……」

「何、ヤブの決まり文句だぞ」

「はぁ……。何で人をそんなに疑うのかしら」


 その時、占い師は納得いかないと言わんばかりに口を開いた。


「うむ……変じゃのう……。この子からは何も見えん。土から授かった寿命も、もうとっくに終わっとる」


 驚愕した淋が僕の腕に捕まる。占い師の声はだんだん確信に満ちたものになっていった。


「何か、この世ならざる存在によって、本来の運命からすくい上げられた。そうとしか思えんのう。なあ、若い精霊師さんよ」と言い終えた占い師が不敵に笑う。


 ほう。隠世かくりよの介入によって現世うつしよの流れが変わったということか。まさにその通りだ。この老人、只者ではない。


 杖を握り直し、老人を睨む。


「僕を、止める気ですか」

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