8
淋も僕も力仕事には向いていないので、何かと彼にお世話になることが多い。彼は口が堅く、どんな依頼でも金さえ払えば引き受けてくれるので、それなりに重宝している。
「…………」
慣れない沈黙が続く中、遠くから物音が聞こえてきて、なんとなく時計を開く。相変わらず仕事が早い。
居ても立ってもいられずそわそわしていた淋は、二足ほど遅れてその足音に気づき、小走りで駆け寄った。
「遠藤さん!」
「この子で合ってますな」
淋が赤子を受け取って用心深く調べる。
「あ、はい。合ってます。ホントにお疲れ様でした。その、後処理もよろしくお願いします」
「おう、任せとけ」
「お疲れ様でした。淋、早く」
「うん。こっち!」
淋に引っ張られるようにして宿に戻り、赤子から
死ね。
淋が、お前に愛情を
嫌なら、生き延びろ。
健康に育って、この子の愛に報いるんだ。
冰寢が完全に消滅したことを確認して、赤子の心臓に耳を近づける。
「…………」
風に揺れる木の葉。
無神経な時計の針。
淋の不安な息遣い。
その合間を縫って。
「生きてる」
「ホント⁈ よかった、よかった……!」
「喜ぶのはまだ早い。僕にできることはここまでだ。後は自分で助かるしかない。だから」
一呼吸を入れる。
「もし助からなくても、君の責任ではない」
「うん。あたし、頑張る」
淋は家に着くや否や、僕のことなど荷物のようにほったらかして一所懸命に赤子の世話をした。
「もうすぐ朝だぞ。ほどほどにして寝ろ」
「うん。先に寝てて」
これは徹夜だな。僕は自分だけ眠りにつくのも気が引けると思い、淋のそばで横になった。
「ここで寝るの?」
「いや、寝ない」
「目、閉じてるんだけど」
「目だけ閉じてるのさ」
「へー」
欠伸。
「何かあったら起こしてくれ」
「寝る気まんまんっ」
…………
「ね、ね! 雨人!」
「うっぷはっ」
いつの間にか眠っていたようだ。結構耐えた気がするんだが……。
「目……覚ましたよ!」
「確かに、覚めたけど」
「何ボケてんの? 赤ちゃんのことだよ!」
「あー……」
そんなこともあったっけ。生き延びたのか。よかった。これで淋を悲しませずに済む。
しばらく赤子を抱いていた淋は、何かを決心したように呟いた。
「この子、あたしが絶対幸せにする」
「……そうかい」
「ところでさ」
「うん」
「……この子がここにいるってこと、鈴さんに知らせるべきかな」
さて、どうだろう。そうしたら鈴も少しは安心できるかもしれない。が、それは未来の禍根を残すことになる。いつか鈴が未練がましく何らかの行動を起こしたら、またややこしいことになってしまう。彼女はもうここに来ることはないし、黙っていれば隠し通せるはず。だからあまり知らせたくはない。
「君はどうしたい」
「かわいそうだけど、やっぱり黙っといた方がいいと思う」
「どうして」
「うちって芝陰からそこまで遠くはないじゃん。自分の子が手の届くところにいると知ったら、もどかしくなってもっとツラい思いをすると思うの」
確かに。どうせ会うことが叶わないなら、近くにいるよりいっそ遠く離れている方が諦めもつくものだ。ここまでの思いやりだ。もうそれでいいだろう。
「好きにすればいい」
井戸端は女の情報収集の場といえる。淋は僕以外の生命体には大体愛想がいいので、井戸端での人望が厚い。そこから得た耳学問で淋は何とか赤子の世話をしていった。
そのおかげか赤子はそのうち元気を取り戻し、よく食べるようになった。その様子を見守って笑う淋から幸せが伝わる。僕は密かに、やはり助けて良かったな、と思った。
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