7
「……どうした」
「この子、餌を食べてたらいきなり倒れちゃったの……! どうしよう、息をしないの……!」
「…………」
昨日、完成された錠剤を餌の中に混ぜておいた。淋が騙されるくらいなら一応、成功と言えるだろう。
「なんで? なんでぼーっとしてんの! しっかりして! この子死んじゃうよ……。早くなんとかしてよ。お願い、早ぐぅ……! ねぇ!」
「淋、すまない。実は――」
僕は猫の命を犠牲にしたことは伏せ、ただ人を騙せるか確認するためのものだったと説明した。それを聞いた淋は散々泣いて、悪口を吐いて、枕で僕を殴った。
次の日。淋が見守る中、猫は無事目を覚ました。それはそばに置いてあった焼き魚をくわえ、窓に乗って一つ鳴き声を上げては、そのまま家を去った。
「何してんの?」
「宿題」と文字をなぞる指を止めずに答える。
毎月、榎原家の紋章で
「そう。今度は返事送るの?」
「まあ、多分」
「内容決まったら呼んでね」と、淋はそっと部屋に入ってきた。本棚の本を取り、意味もなくパラパラとめくっている。
「今日、暑かったよね」
「確かに」
静寂。
「……お、お布団、夏用に変えなくてもいい?」
そこで僕の指は句点に触れ、読んでいた書類を机の上に放り投げた。
「言いたいことがあったら言え」
「うっ……」
淋がビクッと縮こまる。そして、躊躇いがちに言葉を紡いだ。
「孤児院に行くってさ、結局……奴隷になるってことだよね」
当然だ。あいつらもタダで商売してるわけではない。育児にかかった費用はそのまま子供の借金になり、返済が終わるまで労働施設や娼館などで働くことになる。奇跡は、滅多に起こらない。
「命名料くらいは出してあげる」
「ねぇ……」
淋が言い淀む。僕は思わず身構えた。
「その子、あたしが育てるのはダメ、かな……」
「はぁ……」
肺の底から溜め息が溢れる。この子は自分が何を言っているのか、果たして分かっているんだろうか。
「駄目に決まってんだろ」
「ね、お願い」
「お前、一体何を考えている。人間だぞ。猫の世話とは比べ物にならない」
「でも奴隷だなんて……。せっかく助けたのにかわいそうじゃない……」
可哀想。呆れて腹が立つ。君は、たかがそんな下らない理由で、また自分を犠牲にしようとしているのか。君を大切に思う人のことは、眼中にもないのか。
「お前は今も充分頑張っている。これ以上苦労させるわけにはいかない」
「苦労じゃ、ないよ。あたし、別に今の生活を苦労だなんて思ったことないもん。あたし、仕事もちゃんとするから。だからあたしに育てさせてよ」
一点の曇りもない、力強い声が響き渡る。
「お願い!」
もう鈴の出産予定日が近い。その小さな頭で、自分に何ができるのか、散々悩んできただろう。
分かっている。僕に、君を止める資格などないこと。止めたって、聞くはずもないこと。いつだって、君はそうだったから。
「分かったから、今日はもう休んでくれ」
「うん。……おやすみ」
「おやすみ」
その晩。僕は長い、長い夢を見て一晩中
明け方に訪ねてきた久木から鈴の陣痛が始まったとの伝達を受け、僕たちは急いで芝陰に向かった。
片波家近くの宿。淋にもう一度念を押す。
「共鳴器は――」
「反応しない方、でしょ」
共鳴器とは、生体の固有振動と共鳴する精霊具である。専門の精霊師に頼んで鈴の夫の髪の毛を入れたものを作ってもらった。もともとは本人の識別に用いられるものだけど、血がつながった者にも微細に反応する。
「ああ。錠剤は直前に砕いて水と一緒に飲ませて、体が冷めてきたら医師に見せればいい。怪しまれないようにな」
「うん、分かった。じゃ行ってくる」
淋は淡々と言い残して宿を出た。一緒に行きたい気持ちは山々だが、どうせ目立つ真似はできないし、僕の周りでそんな事件が起きたら真っ先に疑われることになる。ここは淋を信じるしかない。
ここ数日僕はほとんど生きた心地がしなかったが、幸い、赤子は主治医によって死亡が確認され、その日のうちに無事埋葬された。
その夜。墓地の入り口付近で便利屋の
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