「ああ、きっとある。だから泣くな」



 数日後。


「ぎゃああああ――!」


 台所から叫び声が響く。概ね、鼠でも出たんだろう。


「うるさいぞ」

「なによその反応は! ねぇー聞いてよーサクラが捕まえたネズミが動かなくなってさー死んだと思って掃除しようとしたらあたしの足の間を抜けて逃げちゃったの! あーびっくりしたー」


 淋がほとんど息もつかずにまくし立てる。この小さい子は、たったそれくらいのことでこんなにも騒ぐ。


「災難だったね、鼠も」

「なんだとー」


 肩を揺さぶられる中、考えがひらめく。あるいはこの方法なら、鈴を助けられるかもしれない。


 その夜。僕はヒョウシンの作用に注目した。


 冰寢は冬眠に導く精霊である。まだ春が来ないうちに目覚めてしまった熊などを再び眠らせる時に使われるので、麓の精霊師には馴染み深い。冬眠しない動物に無理やり取りつけると一時的な仮死状態に落とす。


 僕が立てた作戦は次のようなものだった。


 腹の中の子は二人。血筋を確認する方法はいくつかある。それで片波家の子と私生児を識別する。


 冰寢を使って私生児は死んだことにさせ、素早く埋葬する。産婆を買収して淋を立ち会わせば無理はないはず。


 通常、水子や死産児はその姿を家族には見せないことになっている。子供を亡くした家族の悲しみを軽減させるためであるが、そのおかげで周りの人に赤子の特徴を捉えられずに済む。


 そして闇に紛れ墓を掘り起こし、冰寢を取り除けば子供の命も確保できる。二ヶ月後は小満の辺り。凍え死にすることはないだろう。


 若干の不確定要素はあるが、まあまあ穏便な方法だし、これで皆、最悪の不幸を回避することができる。


 私生児は孤児になる代わりに死を免れ、

 片波家は子供を一人失う代わりに家庭の崩壊を免れ、

 僕は面倒事に巻き込まれる代わりに淋を悲しませずに済む。

 各自、それくらいの不幸ならどうにかしのげるはずだ。


 翌朝、僕は淋に計画を伝えた。喜んでくれるだろうという期待とは違い、淋は少しも霽れないまま、ぽつりと呟いた。


「じゃ、その子は……その後どうなるの」

「孤児院に送れば、死なない程度には面倒を見てくれる」


 口を出た言葉が乾いた空気をかすめていく。耐え難い沈黙の中、淋は必死に涙を堪えていた。


「……うん、分かった。あたしにできることがあったら手伝うよ」


 本人の希望もあり、鈴とのやり取りは淋が直接行うことにした。もし誰かが鈴の心に寄り添う必要があるのなら、淋以外に適任者はいないだろう。


 やがて鈴からも同意を得た僕は、錠剤作りに取り組んだ。


 錠剤を作ること自体はさほど難しくない。基本的には、細かく砕いた白土と精霊を浸透させた水晶の粉末を一緒に練って生地を作り、打錠して錠剤とし、熱を加えて固めるだけだ。


 浸透を除けばそこら辺の娘でもすぐ覚えられる簡単な仕事だが、当然、その浸透された精霊こそが錠剤の効果を決定する。


 ただし精霊はその力を正確に測ることができないので、的確な効果を出すためには何より精霊師の経験と感覚が重要になってくる。


 問題は、僕が今までヒョウシンで錠剤を作ったことがないということだった。



 晴れた日の朝方。トボトボ、餌やりを終えて戻ってきた淋が溜め息交じりに零す。


「最近、猫が減った気がするんだよね」

「またそれか」

「いや、今度はホントだって! 毎日来てくれてた子も急に来なくなったし、どうしちゃったんだろう……」

「所詮は野良猫だ。どっか旅にでも出たんだろ。あまり情をかけるな」

「……仕方ないってのは分かるけどさ、やっぱりいなくなるのは淋しいね」


 淋は窓を開けて風を入れ込んだ。大きく息を吸い、ゆっくりと吐く。


「うーん、いい風。今日は天気もいいし、今ごろ可愛いメス猫でも追っかけてるのかも。ふふっ。元気にしてるといいな」



 裏庭の向こう側にある雑木林に向かう。淋は一度眠ると朝日が昇るまでは二度と起きない。だから夜は、行動しやすい。


 入口から北に百歩。西に五十歩。そしてまた北に百歩。穴の前に着き、猫の死骸を放り投げる。これで14匹。僕は14の命と引き換えに、今日、薬効の調整に成功した。


 生ぬるい風が木々の間を吹き抜ける。ざわざわと葉鳴りが響き、死臭が重く漂う。


 ふと悪寒がする。息が詰まってきて、震える手を動かして懐のぎんしょうとうを握りしめる。


 僕とて罪なき命を奪いたくはない。だとしても。君のためなら、僕は躊躇わない。それが僕の、責任。


 吸い込まれそうな闇の底。僕はシャベルで穴を埋めた。



「ね、ねぇ! 雨人! 起きてってば!」



 いきなり淋に叩き起されて盛大に欠 伸を漏らす。最近はほとんど眠れていない。


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