鈴は『二ヶ月』とだけ書いた。かなり差し迫っている。


――ホウホウ サガス ホショウハ デキナイ


「あ、ありがとうございます……!」


 鈴の切実な言葉に、とぐろを巻いていた罪悪感が心臓をむ。


 鈴。君に礼を言われる筋合いはない。ただ僕には君を不幸にさせない必要があるだけだ。淋が君を、大切に思っている限り。


――レンラクスル



 鈴の挨拶を後ろに部屋を出る。深く溜め息をつき、一度伸びをした。


 これは、いささか面倒なことになりそうだ。


「誰も来なかったよ。安心して」


 横から淋が声をかける。見張りをしてくれていたようだ。


「ご苦労。――淋」

「うん。なに?」

「煙草」

「……うん。ちょっと待ってね」


 僕は煙草をする。といっても、年に数本しか吸わない。その薬理作用に期待するというより、自分には『煙草まで吸ったんだからストレスは減る』と思い込ませ、周囲の人々には『僕が苛立っている』ことを知らせる、一種の儀式に近い。


 壁にもたれ煙草をくわえる。淋がマッチをり、僕は深く、息を吸った。



「どうしたの?」


 淋が吸い殻を仕舞いながらおずおずと訊いてくる。けど、こんなところで話すわけにもいかない。


「もう帰ろう」

「あのね、鈴さんに何かあったらあたしだって――」

「淋。もう……帰ろう」


 幸い、雨はいつしか弱まって小降りになっていた。帰り道の馬車の中、霖の湿りだけが余った空間を満たしていた。



「お茶でも飲む?」

「頼む」

「でも、やっと雨が止んでくれたんだね」

「そうだな。長かった」

「明日の空が楽しみ」と、淋は食卓にお茶を置いた。


 不幸の知らせに、良い時なんてものが存在するんだろうか。分からない。分からないなら、しゅんじゅんする理由もない。


 振り返った淋の背中に向け、僕は重い口を開いた。


「鈴が浮気をした」


 数秒の間。盆が床に落ち、胸ぐらを掴まれる。


「は?」

「本人に確認した」

「で……?」

「妊娠した」

「浮気相手の子を……」


 淋が息を呑む。


「双子のうち、一人は夫の子、もう一人は浮気相手の子だと思う。そうとしか考えられない」


 稀に、女の体で二つの卵子が同時に排出されることがある。普通に受精すれば二卵性双生児になるのだが、その時偶然、体内に二人からの精子が混ざっていて、それがそれぞれ受精したら。その場合、双子に別々のカイセイが取りつくのも納得できる。いわば、自然のびゅう


「そんなこと……できるの?」

「可能性としてはれいではない」

「もしそれがバレたら、鈴さんは……」


 僕を掴んだ手が力なく離れていく。

 途方に暮れそうな虚しさが、僕を丸ごと呑み込んでいく。


 どれほどの時が経てば、僕は君を守れるほど強くなれるんだろうか。一体どれほどの。


「ね、なにか方法はないの? 鈴さんを助けてよ……」

「鈴は諦めたくないと言ったが、まあ、それしかなかろう」

「なに……? 雨人……鈴さんに言ったの? 下ろせ、って……?」


 淋が唖然とする。やはり何かを間違えたようだ。答えられず顔を背けると、淋は悲しそうに怒鳴りつけた。


「雨人!」

「…………」

「子供なんてまた作ればいいって思ってるでしょ! 違うのよ……! あんたから見ればまだ生まれてもない子だろうけどさ、鈴さんにとってはもう大切な家族なの。家族を諦めるわけないでしょ……!」


 人の感情は難解だ。それはきっと、僕が空っぽな人間だからだ。精一杯、人の真似をしているだけの。


「でも、それ以外の方法なんて……」


 しかし、それは理想に過ぎない。このまま双子を産ませるのは、その結果として淋に伸しかかるであろう悲しみの総量から考えて、最悪の手だ。


「ある」

「お前、無茶言うんじゃね――」

「きっとある!」

「…………」

「きっと、あるよ……。ね、そうでしょ……?」


 裾をぎゅっと握られる。忌々しい、淋の悲しみが僕の首を絞める。僕は天井に向け今日何回目かも分からない溜め息を漏らして、そっと淋の肩を抱いた。


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