普段は我がままばかり言っているけど、本当に我慢すべき時はちゃんと我慢する。健気な子だ。


 二人で運ばれてきた夕飯を食べる。しつこく止まない雨と、親しい人の不調でさすがの淋も気が滅入ったらしく、だらだらと日頃の不満を垂れていた。


「――でね、こっそりついてってみたらサクラのやつ、また別のオスとやってたのよ」


 なんで当たり前のように仕事サボってんだお前。


「へえ」

「ホント、節操がないわね。クロもいるのにさ。ひどいでしょ?」

「それはひどいね」

「ねー」


 猫に節操も何もあるわけないだろ、と思いつつもあいづちを打つ。それができるくらいの社会性を、僕は榎原さんに叩き込まれていた。


 「そういや――」と言いかけた時、ある考えが頭をよぎる。双子になれない、二つの存在。つまり……そうか。


「うん?」


 もしが本当なら、このままだと鈴は間違いなく片波家から追い出される。産まれた子たちも無事では済まないだろう。さて、僕は現世にどこまで干渉すべきだろうか。淋は鈴のことを実の姉のように慕っていた。鈴がそんな目に遭ったら、それはこの子にとって取り返しのつかない傷になるはずだ。それだけは阻止しなければならない。


「なに? もしもーし。聞こえないか」


 いや、焦るな。まず事実関係を確認したい。これがゆうだといいんだが……。


「淋」

「キャッ」


 何を驚くんだろう。


「淋、鈴に話がある」

「またいきなり……。なんの話?」

「子供にはまだ早い。君はここで待ってろ」

「あっそ。いってらっしゃい」


 ふんと顔を背けた淋を残して鈴の部屋に向かう。最近、淋は子供扱いをされるとねるようになった。それがなんとも子供らしい。今は法律上まだ未成年という理屈で合法的に子供扱いをしているわけだが、そう言っていられるのも今のうちだ。今秋、淋は成人を迎える。


「え、雨人さん……? えっ、お久しぶりです。こんなところまでどうしたんですか? 淋ちゃんは――」


 挨拶を交わす余裕などない。人差し指を口元に当てると、鈴はハッと口を閉ざした。


 「手を」と差し出した手に鈴の手が添えられる。昼の言葉は鳥が聞き、夜の言葉はねずみが聞くという。用心して損はないだろう。


 僕は立てた指をそのまま鈴の手の平に滑らせた。

 

――トツゼン スマナイ ショウジキニ コタエテクレ


 丸。


――ニンシン シタコロ


 少し躊躇ためらって、続ける。


――ホカノ オトコトモ ネタカ


 鈴の柔らかい手の平に不相応な、重苦しい問いを残して右手を下ろす。違って欲しいけど、多分、違わない。彼女は答えずにいたが、部屋を訪れた不気味な静寂こそが事のてんまつを語っていた。


 め息をつく。


――フタゴノ チチオヤガ チガウ


「えっ⁈」


――ボクヲ シンジルカ


 沈黙の間を縫って鈴の動揺が伝わる。あるいは、ずっと前からそのことが気がかりだったのかもしれない。


 やがて鈴は涙声を零した。


「私……本当……。いや、私、どうしたら……」

「…………」


 複雑に考えることはない。もっとも手っ取り早い解決法は、問題そのものを消してしまうこと。僕はそのか細い解答用紙に一字ずつ答えを書いた。


――ミズコ


 このまま放っておくと遅かれ早かれ気づく人は出てくる。家族まで疑心暗鬼になったらもう取り返しがつかない。が、今ならまだ間に合う。腹の中の子を過去の過ちと共に流せばいい。鈴はまだ若いし、これから子供なんていくらでも作れる。


 しかし鈴の返事は、あるいは僕が彼女から初めて聞くような、そんな不慣れなものだった。


「できません」

「鈴」

「どうか、お願いします……。どうか……」


 眉間にしわを寄せる。カイセイを取り除けば胎児は発生を止めて死滅する。その後、また新しく作れば何の問題もない。まだ産まれもしない細胞の塊だ。何を恐れているのか。


「雨人さん……!」

『雨人さん――!』


 一瞬、鈴の声に榎原さんの声が重なる。いつも僕を正しく導こうとした、あの厳しくも優しい声。僕はまた判断を誤ったんですか、榎原さん。


 もしそうなら、僕とてあまり強引な手は使いたくない。ここは一旦話を受け入れて、淋の意見を聞く必要がありそうだ。


――ヨテイビヲ


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