「何ヶ月だっけ」と声を潜め尋ねる。

「えと……手紙をもらったのが寒露で今は春分だから、17、4。五ヶ月半。それに二ヶ月を足すと、七ヶ月半くらいだね」

「もうそんなに経ったか」

「ホントにねー。鈴さん結婚したのが昨日みたいなのに、もうすぐ子供が生まれるだなんて。これが大事にならなければいいけれど……」


 結婚して身籠もる。言ってしまえばそれだけのことだけど、身近な人が母親になるというのはやはり不思議な感覚だ。いつか淋も伴侶を見つけ家庭を持つだろう。その日が待ち遠しくもあり、永遠に迎えたくないとも思ってしまう。


 いや、駄目だ。今は集中しないと。首を振って雑念を払い、一度深呼吸をする。


「さ、始めるか」

「了解」


 淋が手慣れた様子で人を払い、席を整え、ガタッと扉を閉める。それを合図に僕は鈴の隣に正座した。


 部屋は静かで、三人の呼吸音だけが繰り返される。ろうそくの淡い匂いが鼻をかすめ、左手に持った杖の取手から水晶柱に蓄えられた力を感じる。調子はいい。全ての感覚が研ぎ澄まされている。


 そう判断した僕はゆっくりと、まぶたを開けた。


 空間を充満する光の流動。それは木立に漂う蛍火のようで、現れては消え、浮いては沈み、集っては散り、流れてはよどむ。この光の名は精霊。現世うつしよに起きる、自然現象の根源を成す存在だ。


 目の前に眠っている鈴に焦点を合わせる。渦巻く光は次第にぼやけ、 彼女の周りを飛び交っている、かすかに点滅する光が視界に浮かぶ。


 右手を上げ、白い画面を作る。これは実在するものではなく、強く思い描くことで心象を具現化したものだ。意図的に作られた幻影ともいえる。


 この画面は水晶柱と共鳴し、現世を彷徨う隠世かくりよの存在に、人間の意志を伝える。


 次に眼で読み込んだ精霊の光を画面上に展開する。数秒の間を空け、無数の山と谷からなる波形が表れる。既に見当はついていた。人差し指で横軸を移動し、中指を少し曲げて解像度を上げる。


「…………」


 すると案の定、カイセイの特徴的な模様が画面上に浮かび上がった。


 徊徃は新しい生命に生命力を与える精霊であり、妊娠の証となる。時には重大な意味を持つこともあるが、今更新しい情報にはならないだろう。


 徊徃は大人しく、病気を引き起こすような精霊ではない。今回の件とは無関係のはずだ。他に負の精霊が取りついた気配はないし、精霊がかかわってないなら僕の出番はない。この辺で終わりにするか。


 僕はそこまで考え画面を閉じようとしたが、その瞬間、波形から妙な違和感を覚えた。何だろう。よく分からない。けど、精霊師としての直感が訴えている。


 これは多分、無視してはならない。


「雨人?」

「静かに」


 淋が大げさに口を塞ぐ。まったく、気が散る。さて。


 観測された精霊が目まぐるしく乱れ飛ぶ中、僕はしばらくその違和感の出所を探り続けた。


 もしかして……。


 淋がしびれる足をもぞもぞし始めた頃、僕はついにある可能性に思い至った。一番鋭い山に焦点を合わせ、解像度を限界まで引き上げる。すると軽い目まいと共に、波形の微細構造が姿を現した。


 拡大された山の先端をにらむ。驚くことに、それはわずかに二つに分かれていた。これは重なりの証拠。つまり、鈴には二つのカイセイが同時に取りついていたことになる。


 そんなものは、聞いたこともない。


「…………」


 記憶の棚をあさっても役立つ情報は見つからない。双生児の場合でも複数の徊徃が取りつくことはない。


 なら、これは何だ。徊徃は歴史が長く、ほとんどの性質が解明されている。今回だけ例外というのは考えにくい。自然は必ず、理由を持っている。


 それはさておき、今なら鈴の症状も納得がいく。普段は群れることのない精霊による不協和音が何ヶ月も続いていたのだ。そのせいで体が弱り、病気になったとするとつじつまが合う。


 再び画面を浮かばせる。今度は薬指を慎重に曲げ、微細構造がぼやけてくるまで徊徃の力を減らした。この程度なら胎児にも問題はないだろう。


 作業を終えて疲れた目を抑えると、淋が額の汗を拭ってくれる。自然の最も深い秘密は不安定で移ろいやすい。目は脳と両界をつなぐ通路になるので、精霊師にとって一番弱い輪になる。


「鈴の夫を呼んできてくれ」

「鈴さん……大丈夫、だよね」


 淋の心細い声にようやく、自分の表情が固まっていたことに気づく。手紙を読んだ時から今までずっと、鈴の安否だけが気になっていたんだろう。なのに僕は黙り込んでこの子を不安にさせてしまった。


 僕は顔を上げ、淋にぎこちない笑顔を作ってみせた。


「ああ、もう大丈夫さ」


 鈴の家族には曖昧な言葉で、彼女がもうすぐ健康を取り戻すだろうことをほのめかした。自然には秘密が多い。だから均衡を保つためには、それを扱う人もそれなりに謎めいた言い方をする必要がある、というのが僕の師匠の持論だった。


 客室で一息ついていると、片波家で食事を用意してくれるそうだったので、お礼を言い、ここで夕食を摂って帰ることにした。


「鈴と話すことはないのかい」

「そりゃいっぱいあるよ。でも今は病人だし、あんなぐっすり眠ってるのに起こすのも悪いし……」

「そうか」


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