2
久木は水滴を払い、
「これ、
「えっ、片波家から……?」
和みかけた空気が熱を失う。淋は急いで封を切って手紙を読み進んだ。ほんの少し、彼女の息の乱れを感じる。
「雨人、
「ふむ」
鈴は淋の教育係だった。去年彼女が片波家に嫁いだ時、何かあったら連絡を入れるようにと伝えてはおいたが、こうして手紙が届いたのは今回が初めてになる。
「見に行くんでしょ?」
「ああ」と拭き終えた水晶柱を
「分かりました。すぐ支度しますので、少しお待ちください」
「はい。んじゃ、俺は外で待ちますんで」
湿った足音がそそくさと玄関を出る。凡そ、煙草でも吸うのだろう。
「さ、早く」
淋の促しに僕は一度伸びをし、おもむろに身を起こした。
鞄を背負い、雨合羽を羽織り、杖を携えて渋々外に出る。よりによってこんな雨天に芝陰だなんて。雨の音を聞くのは好きだけど、雨の中を行くのはあまり好きではない。淋に続いて馬車に乗り込む。
「久木さん、出発してくださーい」
「はい。そんじゃ行きます」
あまり元気のない返事の後、馬車は
毎回思うけれど、馬車は意外と居心地がいい。二人しかいない、小ぢんまりとした四角い空間。僕は余った世界を切り落とし、ただぼうっと、時間の流れを惜しむ。
「毎回思うんだけどさ、馬車って窮屈だよねー。暗いし狭いし、誰かさんはすぐ寝ちゃうし」
向かい席の淋が独り言のように呟く。今日はやけにちょっかいを出される気がする。うっすらと目を開けると、窓外の空は既に真っ黒に染まっていた。日が暮れて怖くなったか。本当、手間のかかるやつだ。
「鈴と連絡は取ってる」
「まあね。月に一度くらい」
芝陰は用事もなく行くには費用も時間もかかりすぎるので、淋は手紙のやり取りだけで満足している様子だった。鈴に随分と懐いていたから、さぞ心配しているだろう。こういう時は慰めの言葉をかけるのが適切だ。
「大したことじゃないといいね」
「うん……。そうだね」
「大したことなら、僕が解決してあげるさ」
「ぷふっ」
やがて淋は雨音を背景に鈴との思い出話をし始めた。
淋は、僕みたいな無口な男も話題に困らなくて済む程度には、喋るのが好きだ。誰にも相手してもらえないと飼い猫を捕まえて延々と一人話をするくらいである。
僕が彼女の話を聞き流している間、馬車は道に沿って雨の帳を裂いていった。
片波家は平民だけど、その辺りではそれなりに名の知れた家だと聞く。家業が
「結婚したい相手がいます」と言ってきた際には、そういう年頃だったし、そこまでは驚かなかった。当時の僕は幸せになった鈴が淋のいい手本になることを願い、泣きながら
揺れる馬車の中、追想とうたた寝の境を
薄い布越しに体温が伝わる。冷え性の僕と違って淋の体はとても温かい。
遠い冬の日。寒くて眠れないという
「何ニヤニヤしてんの。ほら、起きて。着いたわよ」
眠っていたはずの淋に揺り起こされる。僕もすっかり寝入っていたようだ。見残しの夢が現実に逆流して、寝ぼけた頭を襲う。そう、片波家に向かう途中だっけ。到着したのか。
僕は欠伸混じりに答え、淋の手を取った。
「あ、久木、戻ったのか。ではこちらが――」
「こんばんは。精霊師の雨人です」
片波家の提灯を持った男に挨拶する。この家の使用人だろう。
「精霊師様、遠路はるばるお疲れさまです。こちらへどうぞ」
「失礼しますっ」
淋がぺこりと頭を下げ、僕たちは家の中に入った。淋は鈴のことが心配でならないのか、柄にもなく黙って大人しく歩いていた。積もる話もあるだろう。せっかくだし、二人がお喋りできればいいのに。
ところが、あいにく鈴は眠っていた。医師から話を聞くと、数ヶ月前から次第に体が弱ってきて、近頃では色んな症状を訴えるようになったが、はっきりとした原因が見つからないという。今はただ対症療法を施しているそうだった。
「鈴さん、お腹が……」
部屋の扉を開けた淋が驚いたように声を
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