時雨の境

キド

1 順凪

「ホント、いつになったられるかしらね」


 窓越しにしとしととながあめが続いていた春分の果て。こんな日は訪れる人もなく、後回しにしていた水晶柱の清掃をこなしていると、夕食の支度をしていたりんがどんよりとした声でぼやいた。


 振り向きもせず、冗談交じりに反応する。


「たまにはいいじゃないか。雨も」

「たまにって、最近雨ばっかりなんですけどっ」


 淋は不満げに答え、窓際にたたずんだ。棚の上から、飼い猫がのっそりと身を起こす音がする。


「雨が好きだなんて、一日中家に閉じこもってる人の発想だよね。雨の日は散歩も行けないし、洗濯も乾かないし。あーあ、少しは人の心配もしてくれたらいいのに。ねー、クロ?――ふふ、よしよし」


 今日の淋はどうやらご機嫌斜めのようだ。もう何日も井戸端に行けなかったから、きっと町の娘たちとおしゃべりがしたくて仕方がないだろう。そのことだけでも、窓外の空模様が分かる。


「……ごほん」

あめひと、晴れ空にすることはできないの?」

「お前は自然を何だと思っているんだ」

「ちぇー」


 わざとらしい舌打ち。淋はそのまましばらく外を眺めていたが、特に興味を引くようなものは何もなかったのか、ふんと小さく鼻を鳴らし、僕のそばに腰を下ろした。


「そろそろそった方がいいんじゃない? ヒゲ」


 その言葉になんとなく顎をでる。無精ひげが指先で摘めるほど伸びていた。僕は特別な用事でもない限り、らない主義だ。


「髭が流行ればいいのに」


 そう思っているわけでも願っているわけでもないが、髭剃りは面倒なのでとりあえずごまかしてみる。しかし、というか当然というか、たちまち淋の呆れた声が響いた。


「流行るかそんなもん。汚ないってば!」

「……分かった。明日には剃るから」

「もう。あんた、ヒゲ生やしてるとめっちゃ老けて見えるからね」

「別に構わないけど」

「あたしが構うの! この前だって親子と勘違いされたし……」


 親子。この子が17で僕が8ほど上だから、さすがに親子ほどには離れていない。けど、それがどうしたっていうんだろう。よく分からない。覚えても覚えても、世界はよく分からないことだらけだ。


「それって、何か不都合でもあるのか」

「はー? 大ありよ! だって……ああ、もう! 大体あんたは――」


 コンコン


 僕が自分の安直な発言を後悔しかけた頃、誰かが玄関扉を叩いた。


「先生、いらっしゃいますか?」

「はーい」


 数秒前の苛立ちはどこへやら、淋が愛想よく答えて扉を開ける。


 すると世界は雨の音量を上げ、そのかすかな温もりをすぐさま打ち消した。


「こんばんは」


 しばかげの馬子であるひさの声。急いで来たようで息が荒い。


 芝陰はここ、ときすぎの隣町ではあるが、間に山を挟んでいて馬車で行ってもかなり時間がかかる。はて、何の用事なんだろうか。


「こんばんは。ひどい雨ですね。大丈夫でした?」

「はい。このくらい何ともありませんよ」

「へー。あっ、服びしょびしょじゃないですか! ちょっと待ってください。タオル持ってきますから」

「いえいえ、大丈夫っす。どうせまた濡れるんで。それより――」


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