第34話 朝礼

 青祥学園の乳井にゅういとおる理事長との電話を切ったあと、猪原いはら薫子かおるこは九頭龍凛太郎に電話をかけていた。


「電話とメール、しといたぞ。取材に応じる日についての返信はまだだ。」


乳井との電話の時とは打って変わって、猪原はまるで男のように話す。


「そうか。ご苦労じゃったの。」


 猪原薫子は人間ではない。いさむ 千沙都ちさとに毒牙をむいた義理の父親、水内秀樹に寄生して瘴気を喰らっていた、茨木童子どうじという鬼である。新宿の公園で、千里をPEARLパールから身請けした帰りの凛太郎に、つるぎで一刀両断にされた。その後、舎弟的な存在の金熊きんくま童子・星熊童子とも、凛太郎は藤島兄弟の潜伏先であるシャッター通りの廃店舗内で戦うことになった。その2人は現在、それぞれ金田一温子、星子万優として青祥学園で働いている。


「ところで…

 ホントに良かったのか?『週刊文秋ぶんしゅう』と名乗ってしまって。」


「おぬし、鬼のくせに気を遣うやつじゃの。流石さすがは管理職じゃな。」


「話をはぐらかすんじゃないよ」


「オオ、すまんすまん。大丈夫じゃ。多分取材は拒否じゃろうから、このまま記事を週刊文秋に持ち込みじゃ。フリーの記者でも文秋に記事を載せれば立派に“文秋の記者”といってよいじゃろ」


週刊文秋といえば、『文秋砲』と言われる特ダネ記事で、数々の有名人の芸能生活や政治生命を実質的に葬ってきた雑誌であるが、その特ダネ記事の多くはフリー記者による持ち込みだと言われいてる。


「…先方の返事を待つ必要はない。今すぐ週刊文秋に電話じゃ」



 ところが。


 その後の対応の早さは、青祥学園もとい乳井理事長の方が一枚上手だった。


 ある日、凛太郎がITリテラシー講座の授業を終えて帰宅の準備をしていると(凛太郎と七海の二人は久田松社長から、青学せいがくでの授業の後は会社へ寄らずに直帰でよいと言われている)、他クラスでの授業を終えた梅ケ谷がやってきた。後ろには七海の姿もある。


「ちょっとお話合い、できますか。」


梅ケ谷が、メガネを中指でクイッと上げながら言った。



「なに、電信から圧力がかかってるじゃと?」

凛太郎の人格は九頭龍へと変わっている。


「はい。飛知和ひちわもえの父親は帝国電信グループの役員です。社長には及びませんが、『報道しない自由』発動のために会社を動かすことは簡単にできる立場なんでしょう。こちらの動きよりも早く根回しをされたようです」


「うーん…。」


が直接電話した文秋はもちろん、日本の主要メディアはほぼ網羅したつもりだけど、ことごとくダンマリ。日本のメディアにおける電信の影響力は、私たちの想像以上ね」

梅ケ谷の後を、七海が引き継いで説明した。


「うーん…」


九頭龍凛太郎は、さきほどから腕組みして頭を上下左右にゆっくりと倒しながら『うーん』しか言わない。




 九頭龍凛太郎はゆっくりと目を開けた。ふと、七海と目が合う。


「…」

「…」


数秒間、じーっと見つめ合った後に、二人は同時にニヤッと悪い顔になり、ハモった。


「「買収っちゃう?」」



♦ ♦ ♦


 飛知和家に、母親のゆきがいることは少ない。国民的大女優である飛知和幸、旧姓および芸名・寒川幸は最近はドラマの収録があるとかで、家族と一緒に過ごす時間自体が極端に短い。手料理はもちろん、一切の家事をしない。家事はすべて家事代行サービス、いうなれば家政婦さんをかなりの高給で雇ってやらせている。


今晩も希が収録で遅くなるようで、食卓を囲んでいるのは一俊と萌だけである。


「…萌。動画の件だけどな。」

見るからに高給そうな食事を口に運びながら、一俊はおもむろに口を開いた。


「?うん…」


「週刊文秋が嗅ぎつけてきたよ」


「え…‼」

萌は、背筋がゾクリと寒くなった。


「なに、心配いらない。パパの会社は日本一の広告代理店だ。日本中のメディア各社に、絶対にこの件を報道するなとお触れを出しておいた。日本のメディアは、パパの会社には逆らえないんだよ」


「ほんと…?パパ、すごい!ありがとう、パパ!!」


「萌の未来は、パパとママが守ってやるからな。安心しなさい」


萌は、心底この家に生まれてよかったと思った。私は神に選ばれた存在なんだ。何をやっても罰せられることはないし、特別な苦労をしなくても最高の人生を両親が用意してくれる。今までも、これからも。


 一俊も満足そうな笑みを浮かべる。たかが平民の娘に、上流階級である自分たち夫婦の大切な一人娘の人生に傷をつけさせるわけにはいかない。確かに、少しはつらい思いをしたのかも知れない。もしかすると萌に落ち度があるのかも知れない。それにしても、名前はよく知らないが、きみと萌とでは人間の価値が違うのだ。すまないが、運が悪かったと思って諦めてくれ。大体、青祥学園の父母会の寄付金も収められない家庭に生まれるきみが悪いんだ。

 私たちは選ばれた家族だ。社会的な責任が大きい分、ある程度の贅沢は当然許されている。誰もがうらやむ人生をこれからも一家全員で歩んでゆく。私たちはメディアの力で、日本という国をコントロールできる立場にある。何か起きても、天は、神は、私たちの味方なのだ。今までも、これからも。明日も、きっと。


♦ ♦ ♦


 翌日は月曜日だった。飛知和一俊はベンツのSクラスで出社した。飛んできた軟式野球ボールで以前の車は大破してしてオシャカになってしまったので、2台目である。ベンツのSクラスを乗り回す人など都心でもそうは見かけないが、聞くところによるとこの日本の道路には大きすぎる超高級車の持ち主のほとんどは運転手などは雇わず自分でハンドルを握るのだという。それほど別格の乗り心地で、一度乗ったら他の車は考えられないのだそうだ。


 一俊は帝国電信本社の地下の役員専用駐車場にベンツを停車した。向かいの駐車エリアには、電信グループ社長の杉野が乗るBMWの最上位モデルが停まっている。さあ、今日もいい日になりそうだ。


「あ、飛知和専務、おはようございます」


「ああ、おはよう」


女子社員に挨拶をされた一俊は、爽やかに返事をしたつもりだった。(実際、その通りだった)しかし、女子社員は一俊から逃げるようにそそくさと向こうへ駆けて行ってしまった。


(おかしいな…)


よく周囲を見渡してみると、様子が変なのは彼女だけではなかった。本社の様子が慌ただしい。朝から、というか24時間活気にあふれて仕事をしているのは電信グループの常だが、それとはどうも異質の、ソワソワとした感じを受ける。


(どうしたと言うのだ…)


 答えが見つからないまま、朝礼の時間が来た。毎週月曜の朝の朝礼は、社長の杉野が直々に訓示を垂れるのが習慣である。が…今日はどうやら朝礼の様子がおかしい。杉野社長が肩をすくめるように立っている横に、見慣れないメガネの男が立っている。その男が、まるで新しい社長になったかのように挨拶を始めてしまった。


「…皆さん、おはようございます。突然のことで、ほとんどの皆さんが初耳かとは思いますが、本日より帝国電信グループは、われわれ政府系の企業の傘下となりました。親会社となる株式会社ギャラクティカが経営方針を決定していくことにはなりますが、社名も存続しますし、皆さんの待遇も保証します。皆様におかれましては、今まで通り業務に励んでいただきたいと思います。


…申し遅れました。私、梅ケ谷と申します」



一俊は、顔じゅうの毛穴から一気に、ブワッと冷や汗が噴き出すのを感じた。


(つづく)

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