第29話 白状

 萌の父親、飛知和ひちわ一俊かずとしは、日本最大にして世界有数の広告会社・帝国電信(通称・電信)の役員である。一人娘を溺愛しているこの男は、現在は青祥学園高等部の父母会の会長を務めている。したがって高等部の保護者たちが家庭ごとにいくらの寄付金を納入しているかを把握しており、学校で萌の地位を脅かしそうな棗田なつめだ郁未いくみおとしめるため、棗田家が寄付金を収めていないことをこっそり萌に教えたのも一俊である。


 一俊は役員報酬で年収は6千万円以上ある。さらに仕事で知り合いになり押しの一手で結婚した国民的女優・旧姓寒川さんがわゆきが女優業と不動産、アクセサリーブランド事業にも関わっているため、世帯収入は年間2億円をゆうに超える。毎年青祥学園へは5千万から8千万円の寄付をしている。学校の経営陣は飛知和家には頭があがらないはずだ。


 電信の仕事は激務である。本社のビルが完全に消灯されることはほとんどなく(24時間、誰かしらが仕事をしているからだ)、『不夜城』と呼ばれている。今日も一俊は5時に起床して出社し、6時にはデスクについていた。役員になってからはだいぶ拘束時間も短くなり、現在は大事な顧客や他の役員との会食などがなければ夕方には帰宅できており、愛する妻や娘との時間も確保できているが、30代までは休んだ記憶もなければ、睡眠をとった記憶すらないようなものだ。


 これだけ頑張って働いて、お金を生み出す仕事をしてきたんだ。今の何一つ不自由ない暮らし―欲しいものが買えて、何より美人で有名人の妻と、世界一美しくて優秀な娘がいる。そして他の重役たちと、他所よそでは言えないような贅沢までできるこの生活は、天からのご褒美だ。一俊はそう思っていた。


 夜10時ごろ、一俊が書斎でメールのチェックをしていると、コンコン、と扉が2回ノックされた。


「はい」


「萌だけど… 入ってもいい?お父さん。」


「どうぞ。…どうした?萌。」


萌は年頃のはずだが、目立った反抗期もない。本当に目に入れても痛くない存在だ。自分と同じように、いやそれ以上に、望むものがすべて手に入る人生をこの子には与えてあげたい…


この夜、萌は、父親にすべてを打ち明けた。いや、「すべてを」という表現は正しくない。自分に都合の良いように存分に脚色した。話しているうちに萌は泣いていたが、もちろん演技である。さすが国民的大女優の娘、見事なものだった。


「パパ… どうしたらいいかな…

私のファンクラブみたいな男子たちが勝手に暴走して、こんなことまでするなんて思ってもみなかった。そのうち学校にもバレちゃうだろうし…

何よりも、棗田さんが可哀そうで…」


最後の台詞も、もちろん嘘っぱちである。


一俊は今まで真剣に娘の話に聞き入っていたが、話がひと段落したことが分かると、おもむろに口を開いた。


「よくパパに教えてくれた。何も心配いらないよ。パパが全部解決するから。」


「ホント?」


萌はとびきりの笑顔を父親に向ける。今まで、この笑顔でいつだっでパパはイチコロだった。今回もそうだ。


「ああ。パパを信じなさい。ダテに日本一の会社の役員やってるわけじゃないぞ。問題解決ならお手のもんだ」


「ありがとう…!

 パパ、すごい!パパ大好き!!」


萌は一俊に抱きつく。抱きついた瞬間はどうせ顔が見えないので、萌は目が死んだ表情になる。ハグを解消して一俊と顔を合わせると、また先ほどの愛らしい笑顔に戻っている。女優魂がよほど色濃く遺伝したらしい。


「萌、一ついいか?」


「なあに、パパ」


「そのファンクラブの人間は、棗田さんの暴行の動画を録画したと言ったね。そのデータは萌も持ってるのか?」


「え…」


「正直に答えてくれ。そのデータが手元にあれば、こちらが有利になる」


「うん… 持ってるけど…」


一俊も馬鹿ではない。なんとなく自分の娘がではなく、あるいはグレーではないかと感づいていた。


「よし。そのデータをUSBメモリに入れて、パパに渡すんだ。それ以外のデータは全て消すこと。萌の携帯からも、ファンクラブの人間の携帯からも。パパ以外の人間がそのデータを絶対に持っていない状態にするんだ。分かったね」


「うん、分かった」


萌は後日、動画データが入った大柴おおしば電機製の白いUSBメモリを、一俊に渡した。



 梅ケ谷いわく『AIの通知』によって、飛知和萌が作成したクラスの裏RINEグループが消滅した翌日の午前中。青祥学院高等部の事務室で電話応対にいそしむ若い女が一人。いや、『勤しむ』という言葉は適切でないかも知れない。その女の応対にはやる気というものが全く感じられないからだ。


「…はい、もしもしー。青祥学園高等部です… はいー。」


「…あのですね。保護者のものなんですけれども。うちの子が先日入院しまして。あまりにひどい怪我だもんで、本人は『転んで階段から落ちた』って言ってたんですけど、とてもそうは見えませんでしたので、しつこく問い詰めましたのね。そしたらアナタ、おたくの女性の用務員に暴力を振るわれたって言うじゃありませんか」


「はぁ、そうでしたか。ご報告どうも。失礼しまーす」


ガチャリ。

数秒おいて、またけたたましく電話が鳴る。


「はい、青祥学園高等部です…」


「ちょっと、勝手に電話切らないでくださる?とにかく、これが本当なら事実関係を調査して、そちらの学校を訴えることも検討しなきゃいけませんわ。校長とお話しできるかしら?」


「できるとは思いますけど… そちらのお子さん含め、複数の男子生徒で一人の女子生徒を襲おうを襲おうとしたところを、こちらの用務員が助けたという報告を受けていますけれど。そのあたりのお話は、お子さんとはされていますでしょうか」


「え…?」

電話の相手の保護者は、二の句が継げないでいる。


「お話は終わりみたいですねー。じゃ、失礼しまーす」

星子という名札を付けた美しいラメ入りのメッシュの髪をしたその女性事務員は、眉ひとつ動かすことなく、再びガチャリと受話器を置いてしまった。事実、星子が事務員として働くようになってから、青祥学園の運営部にまで上がってくるクレームはほとんどゼロになった。


プルルルル…


「…次はなんなのよ。ホントに面倒ねぇ。」

星子こと星熊童子は、悪態をついてから再び受話器を取る。


「もしもし。青祥学園高等部でーす」


「どうも。1年1組・飛知和ひちわ萌の保護者の、一俊ですが。」

重々しい声の男からの電話だった。


「理事長か校長とお話がしたいのだがね」



 その数日後の帰りのホームルーム。棗田なつめだ郁未いくみは、担任の教諭に呼び出された。これから大事な話があるから、校長室に来てほしいとのことだった。


 郁未が担任とともに校長室に行くと、古澤ふるさわ校長と乳井にゅうい理事長が待っていた。重苦しい雰囲気である。


「棗田郁未さんだね。まぁ、こちらへ座ってください」


郁未は、校長室の高級そうな黒の革張りのソファに座るのが、こんなに居心地の悪いものだとは知らなかった。


まず、口火を切ったのは校長の古澤の方だった。


「呼び出して悪かったね。

…実は、先日ね。君と同じクラスの飛知和萌さんのお父様が見えてね。君も交えてお話をすることも考えたんだが、デリケートな問題だと判断して、飛知和さんと君と、別々にお話をすることにしたんだ」


続いて、理事長の乳井が話す。


「…萌さんのファンクラブのような男子生徒の集団があるらしいね。その子らが、郁未さんが萌さんのライバルだと敵愾心てきがいしんを持って暴走してしまって、その…」


乳井は少し言いにくそうに間をとった。


「…トイレで乱暴をはたらいて、その動画を撮ったということを聞いているんだが…

間違いはないかな?」


「…動画を撮られたのは事実です。飛知和さんの取り巻きの男子たちが勝手にやったのか、飛知和さんに指示されてやったのかは分かりません」


校長の古澤は明らかに狼狽の色を見せた。乳井理事長は冷静に応対をする。


「そうした件を調査するのも、事実確認をするのもとっても大変で時間がかかるものだということは、理解できるね?事実確認にはどうしても証拠が必要なんだ。証拠を集めるために、他の生徒の勉学だったり部活動にてる時間や、エネルギーをすごくいてしまうことになる。」


「…」

郁未は、形容しがたい怒りが腹の中に燃え上がるのを感じた。大人というのは、これほど汚い生き物なのか。


「そこで、飛知和さんのお父様からの提案なんだがね。飛知和さんが君のこれからの高校と大学の学費を出して、就職先の紹介までしてそうだ。その代わりに、今回の件は内密にしてほしい、と。

 それから、やはりひどいことをされた生徒たちと毎日顔を合わせないといけないのは辛かっただろう。新しい環境でやり直してみるのはどうだろうか。もちろん、費用は全て飛知和さんが出してそうだ。」



郁未はその日、自主退学を勧告された。


(つづく)

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