第28話 裏〇INE

 棗田なつめだ郁未いくみは、金田一きんだいち温子あつこという名前の『新しい用務員のお姉さん』が、村冨の取り巻きたち全員を完膚なきまでにボコボコにしてゆく様を、呆気に取られて眺めていた。『ゴキッ』『ボリッ』と骨が砕け、折れる音が聞こえる。およそ学校の職員が生徒たちに(というより、人が人に)振るう暴力の範疇はんちゅうをはるかに超えている。

 村冨は隙を見て逃げようとしていたが、金田一温子は


「逃げんじゃねー!」


という雄たけびとともに、ネコ科の猛獣のような跳躍を見せて一瞬のうちに追いつくと、後ろから村冨の頭をアイアンクローで鷲づかみにし、そのまま地面に叩きつけた。

…頭が割れてしまったのではないだろうか。郁未は心配になってしまった。


「あのクソ龍に『校内の治安を守れ』って言われててよォ…。仕事しねーと、永久に封印されちゃうんだわ。お仕事しながら、ストレス解消させてくれよ」


(いや、アンタが一番治安を悪化させそうなんですが…)

郁未は、心の中で思ったことを口には出さなかった。


「そんで?動画ってのは何なんだい?」

金田一温子こと金熊童子は、一番顔面を腫らして息も絶え絶えの村冨の髪を手で掴んで乱暴に引っ張りながら尋ねる。


「ら…ぁ…」

村冨は口がきけないほどのダメージである。


「隠し事するとブチ殺すぜ。あ、殺すのはダメか。

でもなぁ。あのクソ龍から『までなら儂が治すから、暴力全然OK』って言われてんだ。よかったなあ、お前ら。


…どれだけ痛めつけても、何度でも治してもらえるぜ」


ニタァアと笑みを浮かべる金熊。ぞくり、という悪寒とともに、村冨は自分の股間を生温かいものが濡らしていくのを感じた。


「…おい」


「は、はい」

金熊は、今度は郁未の方を向く。


「テメーも、シャキッとしろ。自分よりはるかに次元の低い奴らに、良いようにされてんじゃねえ…。

 アタイが喰っちまうぞ」



 翌日の夜。

 飛知和ひちわもえは、焦っていた。萌は昨日、村冨たちのグループに金をやって、棗田郁未とをしに行かせた。ところが、そのグループは今日一人残らず登校してきていない。


「ねー聞いた?男子たち、何人もひどい怪我で長期入院らしいよ」


朝のホームルームで男子の欠席者がたくさんいることが分かりひとしきりクラスがざわついた後、近くの席にいる女子が噂話をしていた。まさか、郁未が一人でやったのかだろうか?実は、自分が暴行を受けた復讐のために、ひそかに格闘技を習得していたとか…


(ないない、まだ1ヵ月も経ってないんだもん。いくら何でも1ヵ月で男を何人も病院送りにできるほど強くはならないでしょ…)


ということは、郁未側にボディーガードがいるということか… それにしても、自分が首謀者であることが学校側に知られないか、気が気でない。村冨から郁未にもらう目論見もくろみは失敗に終わった。使えない兵隊たちは病院送りになってしまった。自分で言いに行くしかないか。そうすると「自分の差し金です」ってわざわざ郁未に知らせるようなものだ。


(まあ、おおかた感づいてはいるんだろうけどね)


ちょっと抑止力をチラつかせてみるか…? 本気で動画を拡散させる気はない。クラスの中でちょっとでも噂になれば… いや、そうなると郁未がヤケを起こして、学校側にチクりに行ってしまうかも知れない。


(最終兵器っていうのは、使いどころが難しいものね。核兵器を保持している国の気持ちが分かった気がするわ)


 ピロン、とRINEの通知音が鳴る。グループRINEだ。萌は自分が管理者の、1年1組のRINEグループを開いた。これはもちらん、学校側や担任の教員からのお知らせを周知するための公式クラスRINEグループではない。萌が勝手につくったもので、郁未はこのグループには入っていない。こうした裏〇INEグループが、ひと昔・ふた昔前のいわゆる「学校裏サイト」に相当すると言ってよいだろう。


【Maimai】

『郁未の動画、本人には送った方がよくない?チクったらこれを拡散するぞ、みたいな。ウチが送ろうか?萌から送る?』


自分の取り巻きの女子の一人、岩部いわぶ舞香まいかだった。郁未を男子たちに襲わせる手引きをした女生徒である。郁未が暴行されている動画のデータは、撮影した舞香のスマホの中にある元データと、萌のUSBメモリにあるコピーの2つしかない。


(ハァ、脳みそ足りねーんだよ。アンタは)


【もえみん】

『ん- それも考えたんだけど、ヤケ起こされても面倒かなと思ってwww』


この返事をグループRINEで投稿した瞬間。


パッ、と、萌の携帯の画面に、テレビ電話の画面のウィンドウが開かれる。もちろん、萌には身に覚えはない。

画面に映っているのは、金髪に近い色の短髪にフチなしメガネをかけた若いスーツ姿の男だった。男は画面の向こうから話しかけてくる。自動でグループ通話が始まっているようだ。


「…突然、申し訳ありません。私、文部科学省の梅ケ谷うめがたにと申します。阿賀川さん、葛原さんとともに『ITリテラシー講座』の講師を務めることになりました… 今、こちらのグループRINEを見ていらっしゃるのは、飛知和萌さんと岩部舞香さんですね。お二人、聞こえていますでしょうか。少しお話ししても大丈夫ですか?」


「え?はい、まあ、ちょっとなら…」

舞香は自室で、泡を食ったような反応をする。


「今、『動画』という投稿がなされたようなんですが、よろしければどんな動画なのか教えてもらえませんか?

…あ、このRINEはいつも検閲のようなことをしているわけではありませんので、安心してくださいね。文科省とこちらの学校共同の取り組みとして、学生のRINEいじめをAIでチェックすることで防げるか、という試みを試験的にやってまして。」


「…!!い、今はちょっと…晩ご飯に行かないといけなくて…」

こちらは萌である。


「承知しました。では、こちらのグループRINEに専用の携帯番号を送りますので、お手すきの時で構いませんので、ご連絡ください。

…くれぐれも、よろしくお願いしますね。」


梅ケ谷と名乗った眼鏡の男は、最後にこう付け加えた。

「では、私はこれで失礼します。万一RINEいじめにつながりそうな会話だとAIが判断した場合のみ、私たちスタッフに通知が来るようなシステムになっていますので、これからもどうぞ安心してこのRINEグループはご使用を続けてください」


当然、そのあとメッセージを送る人間は誰もいなかった。萌の作った裏RINEグループは、事実上消滅した。


 その夜、岩部舞香は風呂から上がると自分のスマホがなくなっているのに気付いた。いくら探しても見つからなかった。何者かが侵入したように、閉まっていたはずの自室の窓が開いていた。



 同じ夜、さらに遅い時間。


 じっくりと数時間考え込んだ萌は、全てを打ち明けることを決意した。もう、に頼るしかない。


 萌はある部屋のドアをコンコンと2回ノックする。


「はい」


重みのある声が、ノックに応えた。


(つづく)

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