第31話 助っ人
どこの学校でも、普通科であればまず間違いなく体育の時間はある。青祥学園は中学校まではきちんと「今日の授業はバレーボール」「水泳」「持久走」など、カリキュラムに沿って体育の指導を行うが、高等部になると、もう「勉強の合間にのびのびと体を動かしてくれればそれでいい」ということで、生徒たちがめいめい好きなスポーツを選んで参加するシステムになっている。男女ともに同じ時間に授業があるが、もちろん、男女は別々に分かれて行う。
今日は一日の終わりに体育の授業で、郁未はソフトボールに参加していた。グラウンドの対角で、男子たちのグループも同じくソフトボールに興じている。品のない言い方をすれば、青祥学園は「金持ち学校」である。歴史も長い。新宿という東京の中心と言ってもよい場所にキャンパスを構えておきながら、広々としたグラウンドを備えている。男女が二組でソフトボールをしても、打球が飛んでくる心配はほとんどない。
あの葛原とかいう、
実際、自分にとって脅威となりそうな男子たちのグループは全員病院送りになった。自分はハナから入っていなかったが、裏RINEグループも消滅したらしい。自分に対するどんな悪口が書き込まれていたのだろうか、想像するだけで嫌な気分になるが、そんな気分をもよおす時間すら勿体ないと感じる。
体育の授業が終わって、校舎に戻ろうとグラウンドの端を歩く。校舎に近い方のグラウンドでは、男子たちが残って勝負の続きをやるらしい。男子生徒の一人が提案する。
「誰か軟球持ってるやついない?ソフトじゃなくて、野球やらねーか?」
硬球は流石にハードルが高いということだろう。
「いいぜ、俺持ってるから」
おそらくこの生徒は、こういう展開を見越して自宅から軟球を持参してきたのだろう。
「よっしゃ、ナイス!」
「
「俺もー」
2人が離脱した。
「えー、山本がいないとピッチャーが一人しかいなくなるじゃん…」
グラウンドの向こうから歩いてきた郁未が男子たちの目に留まったのは、この時だった。
「おーい、棗田!メンバー足りねーんだ。入ってくんない?」
「えー、さすがに男子と一緒にやるのは無理だよ」
「大丈夫、大丈夫。…ピッチャーとかやったことないよな?さすがに」
「いや無理だって」
皆のテンションが下がりかけたその時。見慣れない人物が声をかけてきた。
「面白そーなことやってんじゃねーか。私らも混ぜてくれよ」
先日、郁未の目の前で村冨たちに暴力の限りを尽くした新任の用務員・金田一温子と、同時に赴任してきた事務員・星子万優だった。
♦
その日、七海が担当しているクラスのITリテラシーの授業を終えると、九頭龍の人格に変わった凛太郎が教室の入り口に立っていた。瞳は緑色になっている。人差し指をチョイチョイと動かして。『こっちへ来い』のジェスチャーをする。
「何よ」
「七海よ。聞きたいんじゃがの…」
廊下の壁に寄りかかって九頭龍凛太郎が話し出す。
「どうして人間の学校とやらは、これほど意味のないことを学ばせておるのじゃ?」
「意味のないことって… どういう意味?」
「おぬしも
「そうね…。今の社会の仕事の中で、ITの要素がないものは、ほとんどゼロと言っていいんじゃないかしら」
「ならば、ITを必須科目にして、英語や数学などは選択科目にすればよかろう」
「…私もそう思うけど…」
「おぬし、大学は英文科じゃったな。今のギャラクティカの仕事で使ってるスキルは独学か?」
「うん。webデザインのオンラインスクールに40万円かかっちゃった」
七海の例はある意味非常に象徴的といえる。日本という国に生まれた学生のほとんどが英語の勉強を奨励される。受験でほぼ100%必須だからというのは、その理由の大きな要素だろう。だがITはまだまだ英語に比べて受験における市民権が低い。七海はその『現在の日本の教育における中心』ともいうべき英語を専門に学んだ。だが、その英語が仕事にはつながらなかった。結局ITを独学で学んで仕事にしているのである。
「大学は4年間もあるのじゃろう?その分の学費と時間を、初めからオンラインスクールにかけていたら、今の何倍ものスキルが身についていたのではないのか?」
「でも…英語も好きだったし」
「本当に英語が好きなら、英語の方を独学すればよかったのではないか?」
七海はぐうの音も出ない。
「…そんなに詰めないでよ…
何だか悲しくなってきちゃった。」
「オォ、すまぬ。つい、な。…
どうもこの国の今の教育は、子供を不幸にするような仕組みになっている気がしてならぬ。」
「九ちゃんの言う『意味のない勉強』ってのは、大学受験の勉強のことよね。まだまだいい大学に行けばいい人生が送れるはずだっていう信仰が根強いんじゃないかしら」
「おぬしが受験勉強とやらで身に着けた知識は、今の仕事でまったく役に立っておらんのだろう?」
「…そうだけど… 受験でも大学でも、何かを一生懸命勉強する過程で頭脳が磨かれるっていう考え方なんじゃないかしら」
「同じ時間を使うなら、社会に出てから役に立つ知識を勉強して頭脳を磨けばよかろうが」
「うっ…」
かつてここまで七海が九頭龍にやり込められたことがあっただろうか。
「純粋な学問がやりたい人間は大学に行けばよかろう。だがいい会社に就職していい人生を送るために大学に行く、それを目的として受験勉強があるとするなら、受験制度も大学そのものも、無駄どころか害悪でしかないな。働くために必要なスキルを身に着ける時間とお金を、若者から奪っているんじゃから。」
「ひえ~… 極端な論理。」
「分かった。この学校に専門職養成コースを作ろう。卒業したら全員、儂らの関連会社で雇うようにする。それならば問題ないじゃろ?みんな就職のために受験勉強をするくらいなら、初めからその労力をスキルを身に着けるために使えばよい。ITだけに限らず、自分がなりたい職業に必要なスキルを学べばよいわ」
「…まぁ、そうね。それなら誰からも文句が出ないかしら」
「決まりじゃな。
この後、文部科学省主導(実質的には梅ケ谷の主導)のもと、青祥学院の高等部と大学に、『高度専門職養成コース』ができた。ITスキルを中心に、いろいろな業界で働く社会人を講師に迎え、ここで学ぶ内容が実際に社会に出てからの現場でどのように使われていくのかが、可能な限り生徒たちにとって想像しやすいようなカリキュラムが組まれた。このコースを卒業した生徒の就職率は100%であり(九頭龍凛太郎と梅ケ谷の経営する会社の関連企業がすべて雇った)、平均の年収は同学年の平均の1.5~1.8倍ほどであるという統計が出始め、似たようなコースは全国各地の高校・大学に設立された。以前ほど『大学受験』というものに重きが置かれなくなる日も近いのだが、それはまた別のお話。
「それはそうとな…」
「?」
「さっきから、校庭で面白い余興がなされておるようじゃな」
♦
金田一と星子は、野球部のキャッチャーである亀井にボールの握り方と投げ方、軽いキャッチボールの仕方を教えてもらうと、すぐにコツをつかんだ。亀井は年上の、タイプは違うが凄まじい美女二人に密着することができて、顔を赤らめっぱなしだ。
「よし、じゃあいっちょ、ピッチャーってのをやらせてくれや」
金田一温子用務員こと
「え、いきなりピッチャーやるんですか?」
亀井が焦って尋ねる。
「いいから、座って球を受けな」
金熊童子は亀井に対し、人差し指を下に向けて『座れ』のジェスチャーをした。亀井はしぶしぶキャッチャー役を引き受ける。
金熊童子はゆっくりと投球のモーションに入り、
「…おぉぉぉラァ!」
というガラの悪い掛け声とともに、亀井の構えたミットの中に剛速球を投げ込んだ。
ドパァン!
という乾いた破裂音とともに、野球ボールに今日生まれて初めて触るという女性が投げたというのが信じられないほどの衝撃が伝わる。
(ちょ、ちょっと待ってくれ… 150キロくらい出てるんじゃないのか?)
亀井をはじめ、横から見ていたクラスメートたちも皆、開いた口が塞がらない。
(あんな球…打てるやついるのか?)
そこからは、
星熊童子がストレートだけで3人を三球三振に斬った後、引き続いて野球部の亀井がキャッチャー役を引き受ける。相手チームのピッチャーは
こちらもストレートだけだが、ストライクゾーンを散らしてコーナーを突いてくる。金熊童子には及ばないが130キロは出ているだろう。
(こちらもなかなか… 二人とも、ストレートだけなら今すぐプロでも通用するんじゃないか…?プロ野球って女子もあるんだっけ…)
〔※作者註:現在の日本では、生物学上女性でもプロテストに合格すればプロ野球選手にはなれるそうです。もちろん、いわゆる女子プロ野球とは別の話です。〕
金熊童子の剛速球には誰一人バットがカスりもせず、星熊童子のコーナーを突く球には皆面白いように打ち取られてゆく。
「ハッハー、こんなもんか、高校生!?」
「張り合いがないわ…」
金熊と星熊はそれぞれ、ボールを投げながら口にした。
ピッチャー金熊に対して、先攻の星熊チームは8人が三振し、あとはバッター星熊童子を残すのみとなった。
「…代打を指名してもいいかしら?」
「こちらとしても、ぜひ勝負したいねぇ。
…いるんだろ?葛原凛太郎!」
「呼ばれんでもここで見ておるわい。弱い者いじめの好きな女どもじゃの」
いつの間にか、七海との話を終えたスーツ姿の九頭龍凛太郎が、ギャラリーの中に混ざって立っていた。
(つづく)
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