第26話 地獄・その2

「日本を代表するIT企業の一つ、株式会社ギャラクティカにお勤めの、阿賀川あかがわ七海さんと葛原凛太郎さんです。お二人の他にも、えー、文部科学省はじめ、政府からも非常に強力な人的支援をいただける予定です。みなさん、またとないチャンスですから、ITリテラシー講座で将来に必要なスキルの基本をおおいに学ぶように。詳しい話は、追って各担任からお話しがあるはずです。 …えー続きまして、新しい用務員さんと事務員さんもお一人ずつご紹介を…」


校長の話は続きそうだが、もう大したことは言いそうにない。ITリテラシー講座か…。郁未は部活には所属せず、プログラミングを独学していた。将来のための「自分の身になる勉強」である。独学ではどうしても分からないこともあるだろう。全く知らなかった知識も得られるかもしれない。がなかったら、是が非でも受講したいところだが、今はとてもそんな心の余裕がない。


その後、ホームルームで担任の先生から追加の説明があった。ITリテラシー講座は、受験まで時間がある高1生は必修コースで週1回×3週間、合計3時間。その後、希望者は約半年間、毎週2時間開講される選択コースも受講可能ということになるらしい。高2・高3生は、受験勉強に集中したい生徒も多いだろうと配慮から、希望者のみ事前に必修コースの内容は自習(教材はパスワードによるロックをかけて学校の公式ホームページに公開)のうえ、選択コースに合流するそうだ。高2高3生まで必修科目で行うと社会人講師の負担が大きすぎるのだろう。一学年、10クラス400人いるのだ。今日は2人しか紹介がなかったが、2人だけで10クラス全て教えきるのだろうか。それとも、他にも講師が来るのだろうか。



 ―1週間ほど前、日本国内某所。見覚えがある人物が定例会議らしきものを開いている。梅ケ谷うめがたにさとし、またの名を菅原道真すがわらのみちざねである。


「では、他に報告はありませんか。」


「一つお耳に入れたいことがあるんですが、いいですか?」

こう言ってきたのは、見た目がまだ少女の若い女…に見えるが、どことなく容貌が人間離れしている。よく見ると頭にけものの耳がある。


「はい、お願いします、黒麻呂くろまろ。」


クロマロと呼ばれたその少女が報告する。


「アタシが担当してるエリアの青祥学院っていう学校で、女の子が一人、いじめにあってます」


「…人間のくだらねーいじめを、道真様に1件ずつ解決しろってか?」

横槍を入れてきたのは若い男だが、こちらは常時、蛇のように長く二股に分かれた舌が口から出ている。


「うるさいな、蛟丸みずちまる。横から口を挟むんじゃないよ。今はアタシが道真様にお話ししてるんだ…。

 道真様、コレはただのいじめの域を超えております」


「分かりました。続けてください」


「その女の子は、家が貧乏だってクラスでいじめにあっていたんですが… この前、何人もの男子生徒たちに便所の個室で乱暴されました。その様子を携帯電話で撮影されたようです」


「…黒麻呂、悪かった。そいつら、俺が全員絞め殺すから場所を教えろ」

蛟丸と呼ばれた蛇男へびおとこの顔つきが変わった。


「黒麻呂、ありがとう。蛟丸みずちまるはちょっと落ち着いてください。」

梅ケ谷が蛇男をたしなめる。


「…他に報告はないですか?知っての通り、我々霊界の存在は、人間界に過度な干渉をすることは禁じられています。ですがね…」

梅ケ谷がニコッと口角を上げる。珍しい。実に珍しい。


「最近は、強い味方がいるんです。眷属の皆さん、これからはいつも以上に、細かいことでもドンドン報告してくださいね。では、他になければ、今日の定例会はこれで終わりにしましょう。解散」


黒麻呂、蛟丸の他にも大勢いた会議の出席者は。ペコリと梅ケ谷に向かって一礼をした。すると、次々と人ではないものに姿を変えて四散していった。それぞれの持ち場に戻るのだろう。狐の姿になったものもいる。狸もいる。蛟丸みずちまるは蛇になった。黒麻呂は黒猫の姿になった。あの日、郁未の足にすり寄っていった、野良猫のクロである。


「さて。を頼りましょうか。」

すべての眷属がいなくなった後、梅ケ谷は携帯を取り出した。



 同時刻、終業時間間際の株式会社ギャラクティカ社長室。社長の久田松が、総務の小畔美樹子から電話を受ける。


「江島めぐみ事務所の梅ケ谷さんからです」


「はーい、分かったよ… もしもし、久田松です。梅さん、お変わりないですか」


「…おかげさまで、何とか。しばらく私は文部科学省の人間という扱いになりそうです。…それで、またお願いしたいのですが」


「分かってるよ、あの二人でしょ?いつでもどうぞ」


「…ありがとうございます。話が早くて助かります。」


「なに堅苦しいこと言ってるの。僕と君の仲じゃないか…。これからもこの国を頼みますよ、(おさ)。」



その10分後、デザイン部の阿賀川七海と営業部の葛原凛太郎は、久田松に社長室まで呼ばれた。


「おう、来たか二人とも。まあ掛けて。」


仮想通貨とハワイの次は、何の業務命令だろうか。そういえばこのあいだはヤクザとも揉めたっけ。最近は普通の仕事をほとんどしていない気がする。


「君ら二人、高校で先生やってくれない?」



 棗田なつめだ郁未と飛知和ひちわもえがいるのは、高等部1年1組である。今日が最初のITリテラシー講座・必修コースの授業の日だ。講師は誰だろうか。あの女優みたいな美女ならいいと、1組の男子全員が思っていたが、残念ながらその思惑は外れてしまった。


 チャイムが鳴ると同時に入ってきたのは、全校朝礼の時にくだんの美女の隣に立っていた、冴えない小男こおとこだった。よく見ると整った顔をしているような気もしなくもないが、あの美人とは格が違いすぎるだろう。


「あ、改めまして、こんにちは… 葛原凛太郎といいます。1組の皆さんのITリテラシー講座を担当させていただきますので、どうぞよろしくお願いします…」


(この先生に習うなら、必修コースだけでいいかな…。選択コースまで延長する必要はなさそう。プログラミングは独学しよう)


と郁未は思った。少しの間だけ、あの出来事のことは頭から消えていた。


「あのですね… ITの関するスキルについて学ぶ前に、皆さんみたいな中高生だと、どうしてもネットいじめというものが避けて通れないんです。…うぅ…」


凛太郎は(ああ、今、出てきたいのね)と感じていた。最近は、自分の人格でいるときにも、九頭龍と交代するタイミングがある程度わかるようになってきた。ただ、タイミングが分かるだけで、相変わらず抵抗はできない。人格が変わるときの主導権は、あくまでも九頭龍にあるのだ。トホホ。


「このクラスのことは何も知りません。が、もしも、ネットにせよリアルにせよ、いじめがあった場合は、見過ごすことはできません。いじめに参加した人は…」


凛太郎は観念していた。

(ハイハイ、どうぞお出ましくださいな(泣))



 郁未は、全く興味の持てない葛原という社会人講師が話すのをボンヤリとながめていた。ある瞬間、葛原が瞬きをすると、瞳の色が変わったように見えた。印象的で奇麗な緑色の瞳だ。思わす吸い込まれるような、神秘的な緑の目。


「…いじめに参加した人間どもには、一人残らずを見せてやるから、そのつもりでな」


郁未は、葛原という頼りなさそうな小男から、突然熱風が吹いてきたように感じた。


(つづく)

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