第24話 学校へ行こう!


 旭日会きょくじつかいくに公認(黙認)の自警団となった新宿には、学校があるイメージはあまりない。ついでに言うと人が住んでいるイメージもあまりない。新宿といえばやはりきれいなオフィスビルと雑多な店舗がある場所、ということになるのだろう。ちなみに東京都の市区町村別の人口ランキングも学校数ランキングも、新宿区は大体15位前後である。


 新宿にある私立・青祥せいしょう学院、通称『青学せいがく』は、幼稚園、初等部、中等部、高等部、そして大学まで備えたマンモス学校法人である。芸能人の子女が多く通うことでも知られている。学費そのものはそれなりにするものの、一般人が払えない金額ではない(それでも相当高収入の家でないと厳しいが)。だが学費と別に毎年寄付金を募る制度があり(建前上は寄付金は任意である。)、芸能人や財界・政界で活躍する親たちからの寄付金の額は、一般庶民の金銭感覚からは到底理解できないものとなっている。


 飛知和ひちわ もえは、高等部の1年生。幼稚園から生え抜きの青学生せいがくせいだ。この学年の女子スクールカーストのトップにいる。欧米の学校でいうと「女王バチクイーンビー」だ。萌の母親は飛知和ゆきという。旧姓は寒川さんがわ。寒川幸といえば日本で一番有名な歌劇団の元トップスターで、国民的大女優だ。そして夫、つまり萌の父親である飛知和ひちわ一俊かずとしは、国内最大の広告代理店である株式会社帝国電信、通称『電信』の重役で、グループ全体を牽引けんいんする杉野秀久ひでひさ社長の右腕的存在(より正確には、たくさんある腕のうちの一本)である。現在の青祥学院高等部の父母会の会長は一俊が務めている。


 容姿端麗で運動も勉強もよくでき、何より母親が「超」のつく有名女優である萌は、幼稚園、初等部(小学校)、中等部と、常に学校の女王として君臨し続けてきた。先生を含む周囲の人間から、自分が特別扱いされるのは当たり前だと思っていた。クラス内でも萌の取り巻き軍団が自然と形成され、いつの間にか自分専属の手下たちがいるような感覚になっていた。私がこの学年の女王様。それが自然の、おかしがたい摂理。高校に入ってからも当然、それは続くと思っていた。


 幼稚園から進学する度に、内部進学組(エスカレーター組)と受験組の割合が半々になる。幼稚園は一学年およそ50人。初等部(小学生)に上がると小学校入試で50人入学してくるので一学年100人。同様に中等部は200人、高等部で400人が同学年の仲間の人数ということになる。高校受験で入学してきた受験組200名の中の一人に、棗田なつめだ郁未いくみがいた。飛知和萌は、この棗田郁未にあらゆる分野で後れをとった。


 郁未は勉強もスポーツも本当によくできた。試験では常に学年10番前後だった。女子には比較的珍しく、特に理系科目が抜群によくできた。かといってガリ勉というわけではなく、ちゃんと自分のためになる学びがしたい、というタイプだった。その割には苦手科目はなく、えり好みせずどの授業も真面目に聞いていた。学問でも競技でも習い事でも、「何を習うか」と同じくらい、いやそれ以上に「誰に習うか」は極めて重要である。大体どこの学校にも「○○先生が嫌いだからこの科目が嫌いになった」という生徒がいるもので、たいていは同情に値するのであるが、郁未はそういう傾向とは無縁だった。身体能力も高かった。「放課後は学校の勉強以外にも、将来を見据えていろいろと勉強する時間に充てたい」という理由で部活動には入らなかったが、球技大会や体育祭などではどの種目に参加しても女子の中でエース級の実力を発揮した。そしてそのことを鼻にかける様子も全くなかった。高校1年生の1学期が始まって2ヵ月もたつ頃には、クラスのほとんどは棗田郁未のファンになっていた。それまで圧倒的にクラスの女王格だった飛知和萌は、きわめて不愉快な思いだった。


 さて。いじめというものは高等動物の本能なのかもしれない。猫も犬もいじめをする。このさき人間がどれだけ進歩しても、あるいは進化するほど一層、いじめを根絶することは難しいだろう。そしていじめは、いじめが起こる空間が閉じられているほど、そしてその空間にいる人間に均一であることが求められるほど、激化する。戦前の日本軍の若手間のいじめは凄まじかったそうだ。軍人として均一に仕事をこなせるような訓練を受けるからこそ、その基準に満たないものに対する攻撃が行われたのだろう。自衛隊や一部の警察にも、同様の風潮がひょっとしたら残っているかもしれない。そして、ある意味最も均一で、最も閉じられた空間というのが学校である。なにせ同い年の人間ばかり何百人も集まり、同じ科目を同じ先生に習うのであるから。


 ただ、いじめというのは、自分より優れたものを攻撃対象に選ぶケースは少ない。このあたりが、人間のいじめも動物的な本能の延長であると考えることができる所以ゆえんである。動物は自分より強い同種の個体に対しては、基本的に逆らうことはしない。群れで生活する動物の場合はなおさらそうだ。ところが人間は動物と違って頭を使う。自分よりも優れている相手を「イジメたい」とあらかじめターゲットに選定しておいて、しかる後にそのターゲットが自分より劣っているところを徹底的に探す、ということが人間にはできる。飛知和萌は、棗田郁未が自分より劣ってところがないか、探しに探した。そして見つけた。その瞬間、萌は小躍りしたものである。


ある日、萌は、わざと周囲のクラスメートたちにも聞こえるように、そしてできるだけ無邪気な感じを装って、郁未に声をかけた。


「郁未~。アンタん、寄付金収めてないんだって?」


その日からの動きは早かった。郁未にとっての地獄が始まった。


(つづく)

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