第23話 修羅場

 「新宿スカウト狩り事件」が、九頭龍凛太郎と梅ケ谷の暗躍によって(それから重黒木の活躍もあって)ひと段落し、新宿の治安が回復したある日。凛太郎はいつもの葛原凛太郎の人格で出社していた。あれ以降、外回り営業の予定が立て込んでおり、ヤクザマンションにスカウトマンとともに拉致されたいさむ千沙都ちさととはよく話せていなかった。


  最近の凛太郎は、九頭龍が眠っているときでも呼び起こして脳内で会話(相談)ができる。また、九頭龍の方から脳内に話しかけられることも多い。


『九ちゃん。…九ちゃん!起きてる?』


『何じゃ、騒々しい。最近はたらき過ぎで疲れとるんじゃ。寝させい』


『昼間の仕事をしたくないだけのくせに…』


『なんか言ったか』


『いいえー! …あのさ。千沙都ちゃん、というか千沙都ちゃんの前の職場のことなんだけど。』


『…うむ、そうじゃな。皆まで言うな…』



その日は久しぶりに外回りの予定がなく内勤だった。千沙都に声をかけなければ。

(はぁ… 千沙都ちゃん、心の傷とか負ってないかな。話しかけづらいな…)


「葛原さん!今日は内勤なんですね」

ボケッとコピー機のところで自分が印刷した資料が出てくるのを待っていると、千里の方から話しかけられた。


「い、勇さん!あ、あの…」

凛太郎の方がビクッと驚いてしまう。


「?どうしたんですか?」


千沙都は首をかしげる。普通の女子がやるといかにもあざとい仕草なのだろうが、この子がやると不思議と嫌味がない。さすが元・高級店のNo.1。


「…た…体調とか、大丈夫かな、と思って」


「ありがとうございます。全然大丈夫ですよ。おかげさまで」


千沙都は右腕をぐっと曲げて小さな力こぶを作ると、左手でポンポンと叩いて見せた。


「ちゃんと、葛原さんにお礼を言う機会を作らなきゃいけないですね」


「ちさ…勇さん」

凛太郎は『千沙都ちゃん』と言いかけて、慌てて言い直す。


「はい?」


「近いうちに、会社終わった後でちょっと話しできる日とか、あったりしない?子供たちがいるから、難しいかな…?」


「あ、子どもたちの面倒は友達が見てくれるから、事前に言っておけばいつでも大丈夫ですよ!今週末とかどうですか?」


「あ、うん!それで、申し訳ないんだけど…」


千沙都のほうは凛太郎と二人きりになりたくてなりたくて仕方ないので、話はこの上なくスムーズに決まりそうだった。凛太郎は素早く周囲を見回しながら、千沙都の耳元に口と手を近づけて小声でささやいたが、その声の調子は、それまでとはハッキリと異なるものだった。


「ウチまで、来てもらえるかの?」


千沙都の顔がぱっと赤くなった、ような気がした。



 その週の土曜。待ち合わせの駅で凛太郎の姿を見つけた千沙都はルンルンである。

凛太郎に挨拶すると、きわめて自然に腕を絡めてきた。凛太郎は顔を赤らめて、タジタジである。


 千沙都は、あることを思い出した。そういえば、PEARLパールに客として来た凛太郎が言っていたのは…

「…あ、でも… 葛原さんって、同棲してる彼女さんいるんですよね…?」

と、言う割には、まったく腕を離す気配がない。


「えーと…その件なんですが… 今から行くウチというのは、その、僕の部屋ではなくて、ある女性の部屋で…」

凛太郎はしどろもどろだ。今日は会社の外でも凛太郎モードである。九頭龍は寝ているらしい。


「それで、その女性は、君もよく知っている人だったりするわけで…」


もう限界である。これから予想される修羅場を想像するだけでめまいがしてきた凛太郎は、自らバトンタッチを願い出た。

(もうダメ!お願い、九ちゃん!)


凛太郎がギュッと目をつぶって、再びパッと開くと、瞳が緑色になっている。


「よう、千沙都。元気じゃったか。きちんと話すのは久しぶりじゃの」


「九頭龍さん!?」


そうこうしている間に、九頭龍凛太郎と千沙都は、に到着した。

九頭龍がチャイムを鳴らす。


「…はーい。お帰りなさ… あっ」


「えっ」


ドアを開けて出迎えた阿賀川七海と千沙都は、お互いの目と目を見つめて、思わず一瞬静止画のように固まった。



七海のマンションのリビングに通された千沙都は、出されたお茶を前に、さすがに少し気まずそうにしている。


さきほど千沙都にお茶を出したあと、部屋着姿の七海は『す、少しだけ待っててね、千沙都さん!』というと、九頭龍凛太郎の耳を引っ張ってキッチンの奥に引っ込んでいった。

二人は、


『…ちょっと!千里ちゃん呼ぶなら、前もって言っといてよ!』


『痛いのう… スマンスマン、つい忘れてての。凛太郎が知らせるかと思っとったんじゃが』


『仕事終わった後は、いっつもずっとアンタの人格じゃない…!だいたい、千里ちゃんは、アンタが人間じゃないってことは知ってんの?』


『おう、心配いらん。龍神に変わった姿も見られたことがあるぞ』


『呆れた…』


という軽い痴話喧嘩を済ませたのち、千里の待つリビングに戻ってきた。


「…ごめんね、お待たせしました…」


「あの~… 葛原さんと同棲されてたのって、阿賀川チーフだったんですね…」

おずおずと切り出す。


「あ、あの、えっと… かかか会社の人たちには、ななな内緒にしといてよね」


一方の七海も、予想もしない客人の登場に、驚きで呂律が回らない。これほど泡を食った『氷の女王』はなかなか見られない。

 こういう状況を、俗に「修羅場」と呼ぶのだろう。凛太郎が逃げ出したのも無理はない。


「…は、はい、もちろんです!」


「…で。九ちゃん、まさか用もなしにここに千沙都ちゃんを呼んだわけじゃないんでしょ?」


「さすが、話が早くて助かるわい。 …さて、千沙都よ。教えてほしいんじゃがの」


「はい…?」


「おぬしが以前に働いていたような職場の女子おなごたちの、引退後の生活について聞きたい。気を悪くするせんで欲しいのじゃが、七海には、おぬしを遊郭から身請けした顛末については話してある」


「私もクズ君も、夜のお仕事をする人たちに対する差別感情は一切ないから、安心してね。

 九ちゃん、言葉の選び方に気をつけなさいよ!」



それから小一時間ほど、千沙都の話は続いた。


「…なるほど、十分じゃ。よーく分かった。

 夜の仕事に就いた人をおおやけに特別扱いすることはできんがの。儂は女郎屋の女の身分は国が保証してやらんといかんと思っておる。もちろん中には、楽して金を稼ごうという気持ちでその道に足を踏み入れた者もおるかも知れん。が、理由はどうあれ、男のごうのために体を多少なりとも傷つける仕事を選んでくれたわけじゃ。生活を保障してやるのが筋じゃろう。


 …よし決めた。遊郭を引退した女子おなごたちの中で希望者は全員、新しく会社をつくって雇い上げることにしよう。資格が必要な仕事に就きたかったら、それを勉強している間も給料が支払われるような制度にすればよかろう」


「ま~た、若い子の前だからってカッコつけちゃって…」


「心配は無用じゃ。仕事はいくらでも作り出せるからの。」


「いくら何でも、大きく出過ぎじゃないの?」


「お金を先にもらえば、人はそれを使いたくなる。仕事をしたらお金がもらえる、という考え方を逆転させればよい。先にお金をもらうから、そのお金を使って買う商品が要る。だからその商品を作る仕事が生まれるのじゃ」


「前もいた気がするけど… そんなに商品作って、余ったらどうするのよ」


「…万が一、国内の人口だけでは消費が追い付かなくなったら、海外に向けて売ればよいぞ。購買力が足りない国には、日本からその国に山ほど支援金を送っといて、その代わりに日本の製品をたくさん買うように条約なり密約なり紳士協定なり、結ばせればオッケーじゃ。」


「それじゃあ日本政府の支出が増えて、税金上がっちゃうじゃない」


「じゃ・か・ら~ 必要なお金を、いくらでも生み出せる権利を儂がもっておるのじゃろうが」

(註:この世界の日本では、商品のこれ以上の値上げを原則禁止する法律が制定されており、インフレは起きません)


「あ…」


「税金などいらん。理論上、すべての税金はタダにできる。あとは、梅(※梅ケ谷のこと)がよしなにやってくれるわい」


「あの人、そんな権限あるの?大臣でもない、国会議員のイチ秘書でしょ?いくら天神さまだからって…」


「たわけもん。アイツがそんなタマなわけあるかい。議員の秘書は表向きの顔じゃ。奴は日本の国の根っこを取り仕切っておる。日本政府など表層にすぎん」


「日本の根っこ?」


「…梅ケ谷ヤツの名刺の裏のマーク、覚えておらんのか?」


七海は以前、参議院会館で梅ケ谷にもらった名刺の裏に描かれていた絵柄を思い出した。たしか…


「三本足の鳥のマークのこと?

 …わかった!日本サッカー協会?」


「あほか!」

九頭龍はズコッとずっこける仕草をした。


「まったく… 何にもしらんヤツじゃの。まあ、無理もないか」



千沙都は話が途中からチンプンカンプンである。それを察した七海が補足をする。


「ごめんね、千沙都ちゃん。何言っているか分かんないよね。

今、アプリで『りゅーポイント』、あるでしょ?円と換金できるポイントのやつ」


「はい…」


「進国党と協力して、あの仕事やったの、ウチの会社なんだ…

 ってゆーか、この人と梅ケ谷さんって人が実質的な責任者なんだけど。」


「…はぇー…」


「だからね。この人、お金を無限に生み出せる人なの」


(『人』じゃなくて、半分『龍』だけど)

七海は心の中で断りを入れた。



「千里。もう一つ、聞きたいのじゃが」


「はい…?」


「ぬしの場合は、いわゆる『のぞまぬ妊娠』というやつじゃろう。普通、そういった場合は、堕胎する女子おなごが多いのかのう?」


「まーた、デリカシーのない質問をする…」

言いながら、七海は今表に出てきている人格が凛太郎だったら、こんな質問をズケズケすることはできなかっただろうな、とも感じた。


「そ、そうですね…

子どもをろす子は多いと思います。私は、妊娠したのが双子だったっていう事もあって、産む決心が着きましたけど… 二人いっぺんに堕ろすのは、いくら何でも残酷すぎる気がして」


「…心から尊敬するわよ。本当に。」


「10代で妊娠して、恥ずかしかったりお金がなかったりで病院で堕ろすこともできずに一人で産んで、子どもを遺棄しちゃうケースもあるみたいですよね。」


「悲しい話じゃのう。子供は国の宝じゃというのに。口減らしをせにゃならん世の中でもあるまいし…

 よし、分かった。子育てをちゃんとする母親に対しての給付金を出す財団は作ってあるが、子育てを放棄する場合でも、出産するだけで500万円か1000万かもらえるシステムを作ろう。これで日本の少子化は解決間違いなしじゃ」


「どっひゃ~… 倫理的にものすごく問題があるように思うけど…」


「じゃからこそ、大っぴらにはできんじゃろ。儂の財団でひっそりやるのじゃ」


「孤児が増えちゃうじゃない。その子らは幸せに生きていけるのかしら」


「心配するな。ちゃんと孤児院も全国に作りまくる。奇麗で広い寮付きのやつをな。おいしい食事が毎日たらふく食べられるようにしよう。何より…」


「何より…?」


「その孤児たちには、儂が一生、神徳を与え続けてやる。龍神に守られた人生は、スゴイぞ」


「どう、スゴイんでしょうか…?」

千沙都は素朴な疑問をぶつける。


「そうじゃな。九頭龍と言えば金運、コレ常識。体力も根性も人の3倍は備わるから、バリバリ働いてまっとうに金が手に入る。あとは…」


「あとは?」


「エネルギーもものすごくなるから、愛人10人くらいは余裕で囲えるかの」


「コラーーーっ!!」

七海の、アンディ・フグを彷彿とさせるかかと落としが、凛太郎の後頭部に炸裂した。



 その後はデリバリーでピザを頼んで、たわいもない話に花を咲かせ、3人は楽しい時間を過ごした。


(その後を改めて、梅ケ谷も交えた話し合いを何度か進める中で、夜の仕事に就いた女性の再雇用先の創出事業は、梅ケ谷を責任者とし、国公認(黙認)の自警団となった旭日きょくじつ組、そして千里の古巣・PEARLパール槌田つちだ店長にも協力を仰ぐことになった。餅は餅屋である。千里の親友で今も龍ノ介・虎ノ介兄弟の世話を手伝ってくれているPEARLの後輩の朋美も、これでセカンドキャリアについては安心だろう。)


 その日、千沙都が七海のマンションを後にする直前。凛太郎はトイレに立つと、戻ってきたときには九頭龍から凛太郎の人格に戻っていた。


「…九ちゃん、疲れたから寝るってさ…」

凛太郎としては、修羅場を切り抜ける直前で放り出された気分である。


千沙都がいいと言うのに駅まで見送りに来た二人に対して、千沙都は深々と頭を下げた。


「今日は本当にありがとうございました!ホントーに楽しかったです!!

…でも…」


「?」「?」


「私、諦めませんからね。葛原さんのこと!」


七海と凛太郎は、顔を真っ赤にするタイミングまでもシンクロした。


(つづく)

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