第19話 シャッター商店街

 われらが九頭龍凛太郎は、ヤクザマンションことレイヴンズマンションから脱出して千沙都をタクシーで自宅に帰した後、スカウトマン正代しょうだいの住むマンションに来ていた。


「おい女衒ぜげん、名はなんと申すか」


「…正代しょうだいです」


「変わった名前じゃの。儂のことは分かっておるな?」


「えっと… 九頭龍大明神様、でしたっけ」

(もちろん、正代は凛太郎が『自分はキャラを演じているのだからそれに合わせろ、正体を詮索するな』という意味で言っているのだと思っている。)


「そうじゃ。分かればよろしい。それはそうと、なかなかいい所に住んでおるな。千沙都が稼いだ金で贅沢していたようじゃの」


「…はい、正直、ものすごく助かっていました…」

正代は、説教を覚悟した。この優男に「そんな、女を食い物にするような仕事は今すぐやめろ」と言われれば、はい、と答えるしかない。華奢で小柄な優男なのに、このあらがいがたいオーラは、一体どこから出てくるのだろうか。


「安心せい。儂は度量の広い龍じゃ。先ほどの渡世人とせいにんたちもそうじゃが、必要悪と呼ぶべき存在がなくては世の中が成り立たんことくらいは承知しておる。おぬしもこの仕事が好きであれば、やめる必要はない。ただし、女子おなごを泣かすなよ。泣かすような真似をしたら、その時は…」


「その時は…?」


「殺す」


「やっぱり!」


「それはそうと、おぬしの女衒ぜげん業者の頭目のことについて聞かせてもらうぞ。…しばし待て」


「?」


九頭龍凛太郎は携帯を取り出してある人物にかけた。


「…うめか、儂じゃ。今平気かの?

今から、うちの会社の従業員の住所を送るから、異変がないかぬしの眷属に見張らせてくれるか。頼む。…恩に着る。

 それからの。今からある女衒業者の頭目について、手下の女衒が説明をするから、それもぬしの眷属を使つこうて居場所を突き止めてほしいんじゃ。では、変わるぞ。

…よし話せ、正代とやら。」


 九頭龍凛太郎は携帯をスピーカー通話モードにすると、正代に話すよう促した。そのあと正代が話したことは、読者にとって目新しい内容は含んでいない。要するにスカウトマンチーム『Mauve(モーヴ)』のトップである双子、藤島正博・史博兄弟が、新宿最大のヤクザ組織・旭日会のトップである小関伝七の顔に泥を塗ったため、新宿じゅうのヤクザたちが双子の居場所を突き止めるべく奔走しているが、双子の居場所は『モーヴ』の組織内でもトップシークレットになっており誰も分からないというのが現状、という話である。


「承知しました。居場所が分かり次第連絡します」

電話の向こうで、梅ケ谷がクールな声色で返した。


「それと梅よ。もう一つ、頼まれてくれるか」


「…何でしょう?」



 千沙都たちがヤクザマンションに監禁された土曜日の週明け。ギャラクティカの総務兼受付係で、「チカラくん」というワイルド系男子と交際中であるらしい(女子従業員の中では周知の内容だ)小畔こあぜ美樹子が、営業部の凛太郎に電話を繋げる。


「クズリンくん、『ピーチデリ』の竹ノ内さんからお電話です。ちょっと怖そうな人なんだけど…」


「あ、竹ノ内さんですね。大丈夫ですよ。ありがとうございます。」


美樹子は、

(クズリンくん、最近ちょっと頼もしくなってきたかしら?)

と思った。すぐに


(そんなワケ、あるはずないか。気のせい、気のせい)

と思い直した。




「はい、葛原です。…竹ノ内さん、先日はご迷惑をおかけしました。」


「てめぇ。いい度胸してるよ… お前、今度一人でウチの事務所に来い」


「一人で行くのは構いませんが、そちらは、双子の藤島兄弟を探しているんですよね?藤島兄弟を見つけて、連れていって謝罪させます。私も、そちらをイジメたこと…じゃなくて、暴力を振るったことは悪いと思ってますので、謝ります。それでこの件は終わりにしてもらえませんか。ダメなら、警察に相談するしかなくなりますが。」


竹ノ内は、予想外の申し出に驚いた。

「…見つけるったって、どうやって双子を見つけんだ。信じるわけがねーだろうが」


「捜索の方法は企業秘密ということにさせてほしいんですが、近日中に必ず見つけますので。では、双子の身柄を確保でき次第、連絡します。この携帯の番号でいいですね?では、失礼します」


「オ、オイ!ちょっと待て!…」

竹ノ内は声を荒げたが、もう通話は切れていた。



 都内某所。シャッター商店街の中のひときわ大きな一店舗を、双子の藤島兄弟が隠れ家にしている。シャッター商店街というのは、1階部分にはシャッターが下りていても、2階を何らかの事務所として使っているケースはままある。藤島ツインズも、そうした一見無人の2階部分に住み着いて、根城にしているのである。


「…どうすんだよ正兄まさにい。このまま嵐が過ぎ去るのを待つだけか。仲間もどんどん狩られてるみたいだぜ。こっちから仕掛けていったほうがいいんじゃねえのか」


「落ち着け、史博ふみひろ。やるにせよ、頃合いってもんがあるだろ。もう少しタイミングを見計らってからだ。」


「そんなに悠長に構えてっと、仲間全部ボコられちまうぜ。『Mauve(モーヴ)』が終わっちまうよ。せっかくここまでデカくしたのに」


「そん時は、また俺とお前でイチからやり直せばいいだろ。焦るなよ。人生なげーんだから」


正兄まさにいのプラス思考には、毎回恐れいるぜ…」


「何も心配ねーよ。最近、力が漲って《みなぎ》って仕方がねぇ。ヤクザども、全員返り討ちにしてやる。」


「俺も、最近急に調子がいいんだ。先週くらいから、かな…」


「おー。これなら、何でもできそうな気がしてくる…」


双子が物騒な話を続けていると突然、表のシャッターがガシャン、ガシャンと乱暴に叩かれる音した。ノックのつもりらしい。


「…!」


藤島兄弟の2人は顔を見合わせると、各々自分のそばにあったバット、角材を武器として手にした。史博が先行して、2階から階段で階下のシャッターに降りていった。


「誰だ?」

史博が尋ねた。返事はない。果たして、誰がどうやってこの場所を突き止めたのか。


ガキィイイン!

「ヒェッ!」

藤島兄弟が相手の出方を伺っていると、突然シャッターを突き破って、人の腕が出てきた。

その腕は、そのままギャリギャリと耳障りな音を立てて、シャッターをまるで紙細工のように素手で破っていく。


こんなことができるのは、人間ではない。

果たして、何者か。



同じ日の、しばらく前の時間帯。


「この辺りかのう…」


九頭龍凛太郎は、梅ケ谷に頼んで調べてもらった、藤島兄弟の隠れ家であるらしい場所に一人でやってきた。都内の23区内ではあるが、新宿ではない。さびれたシャッター通りで、周りには人通りもほとんどないような場所である。


(本当にこんなところに女衒ぜげんの頭目が潜んでおるのかのう…)


やはり、大体の場所を聞いて、あとはカンと匂いを頼りになんとかするから自分一人だけでよい、と、「一緒に行きましょうか」と提案してくれた梅ケ谷の好意を断ったのは不味かったか。


(うーん… 妙な匂いがこの辺りからしてくるのは、確かなのじゃが…)


凛太郎が道に迷っていると。


ガシャン!

ギャリギャリギャリ!


と、金属を破壊していくような嫌な音が遠くで聞こえた。もしかすると…


「おや。先を越されたかの」



 隠れ家にしている店舗のシャッターに大穴が開いた向こう側には、背の高い若い男が立っていた。内村組の懐刀ふところがたな重黒木じゅうくろき ひろむである。

「…藤島兄弟で間違いないな?」


屋内の藤島兄弟は、シャッターを破壊されている間にこの男を攻撃することはできたのかも知れない。だがあまりの迫力に気圧されて、動くことができなかった。


「お前… 旭日会きょくじつかいだな」

やっとのことで兄の正博が口を開く。


「内村組のもんだ。悪いがそれ以上は名のらねーよ。」

あくまで重黒木は雇われの用心棒であり、本業はクラブのセキュリティスタッフだ。ましてや、今はカワイイ彼女もできた。組同士の抗争ならある程度の仁義もあるかもしれないが、相手は半グレである。周囲の人間をトラブルに巻き込む可能性は、できるだけ小さくしておきたい。


「…お前らに恨みはねーんだけどな。こちとら雇われの身なんでね。悪く思わないでくれよ」

そう言うと、重黒木はシャッターに開けた大穴から中に入ってきた。


「あんまりナメてると、死ぬぜ…っ!」

言うと同時に、史博がバールで殴りかかる。重黒木はヒョイと体をかわす。


「おーやだやだ、こっちは丸腰なのに。これだから半グレはよ。」


「うるせー!」

史博は逆上してさらにバールで襲いかかる。目がどす黒く変色している。

重黒木は今度は避けずに、間合いに踏み込んで史博のバールを持つ手を自身の左手で押さえ、同時に顔面に


ゴキッ!


と重たい一撃を食らわせる。史博はノビてしまって動かない。

――一撃で勝負がついてしまった。


かと思うと、息つく間もなく後ろから、正博のバットによる一撃が重黒木の頭部を正確に狙って振り下ろされる。今回は避ける余裕はない。かろうじて左腕でガードする。ズキン、と痛みが走り、重黒木の顔が苦痛にゆがむ。史博と同じで目がどす黒く濁らせた正博の顔も、ニヤリと醜悪にゆがむが、こちらは相手の腕が折れたことを確信した顔である。

…が。


てーな、コラ!!」


言うが早いか、重黒木はガードした左腕でバットを巻き込んで追撃ができないようにすると、間髪入れずに思い切り正博の腹部に右脚で蹴りを叩き込んだ。ドスン、と鈍い音がした。


「…!ゴホッ…!グゥ…」


正博はうずくまる。意識はあるが、呼吸ができないようだ。もう戦闘続行は不可能だろう。こちらも、一発でカタがついた。


「ゴフ… て…てめぇ。ホントに人間か…?」

なんとか意識を保っている正博が、口からヒューヒューと息をする音をたてながら尋ねる。


重黒木はそれには答えず、煙草を取り出して火をつけながら言った。

「ふぅ… ったくイテー。俺じゃなかったら骨が折れてるぞ…

おい、内村組の車を呼ぶから、大人しくしてろよ。安心しろ。殺したり拷問したりはしねーよ。詫びさえ入れりゃ帰してくれるってよ。俺も同席するか…ら…」


彼はポトリ、と、吸い始めたばかりの煙草を落とした。今倒した二人の体に、異変が起きていたからだ。


「ア…オァ…」


藤島正博は苦しそうな呻き声をあげている。見ると、正博・史博兄弟の目・鼻・口からドロドロとした黒い、粘性のある液体のような物質が流れ出てきた。やがてその液体は別々の人型を成していった。


(つづく)

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