第18話 チカラくん

九頭龍になった凛太郎は手をボキボキと鳴らしながら、部屋に入ってきた。


(凛太郎さん…!どうしてここに?)


「よう、しばらくじゃの。は元気か?」

九頭龍凛太郎は、千沙都に双子の子どもがいたことを覚えている。


だと…?てめぇ、あいつらのこと知ってんのか?」

竹ノ内は、「双子」といえばスカウト会社・モーヴの藤島兄弟のことだとばかり思っている。


「うん?双子ちゃんがどうかしたのか?

…聞きたいことがあれば腕ずくで聞くがよい」


凛太郎は、ニヤリと歯を、いや牙を見せて笑うと、ゆっくりと両腕を円を描くように動かし、右手で「クイクイッ」とヤクザたちに向けて挑発する仕草をした。映画「マトリックス」のネオが戦いの前にする仕草だ。ミーハーな龍である。


 そこからの光景は、今までの恐ろしい体験との落差があまりにも激しく、千沙都は半ば呆気にとられてしまった。


「クズリューパン―チ!」

「クズリューキーック!」


小学生、いや幼稚園児レベルの技名をいちいち叫びながら、凛太郎はヤクザたちを容赦なくボコボコにしていく。女の千沙都の目から見ても、明らかに凛太郎は小柄である。体の線も細く、女と喧嘩しても負けそうな体格でしかない。それがニコニコと笑いながら(そしてダサすぎる技名を叫びながら)、1対3で屈強なヤクザたちを完膚なきまでに叩きのめしてしまった。


「お前… 何モンだ…」

竹ノ内が苦しそうに尋ねる。どうやらこの男がこのヤクザたちのリーダー格らしい。


「儂か?覚えておけ。箱根は芦ノ湖にしずもる、九頭龍大明神様じゃ」


「てめぇ… 自分が何したか分かってんだろうな…」

そう吐き捨てると、竹ノ内の意識は闇に沈んでいった。


「うん?それはこちらの台詞じゃろう。儂のともがら(※仲間のこと)に手を出そうとしおって… 儂ですらまだ相手してもろうておらんというのに」


(そういえば、結局この人は私としなかったんだっけ…)

千沙都は今更になって思い出した。


「おーい、そこの!こいつらが気がつくまで放っておけ。それとも貴様も気絶するか?」


凛太郎は、向かいの部屋の入り口でビクビクしながら様子を伺っている加納に向かって話しかける。


「い、いえ…!」

加納はさらにビクッとして声を上げる。


「では、ずらかるとするかの。」


 九頭龍凛太郎と千沙都、それから正代の3人は、こうしてヤクザマンションから脱出した。

「凛太郎さん、今回も助けてもらって、本当にどうお礼をすればいいか…」


「礼などよい、よい。それにしてもおぬし、何かとトラブルに巻き込まれがちじゃの」


「…そう、ですね…」


「とりあえず、あの渡世人とせいにんどもがもうおぬしに手を出さないように手を打たねばな。おい、女衒ぜげん!」


「…はい!」

呆然自失気味であった正代しょうだいは、自分のことが呼ばれているのだと気づくまでにコンマ数秒時間がかかった。


「もう、この女子おなごには付きまとうなよ。…分かったな?」


ギロリ、と恐ろしいほど冷たい目を向けられた正代は、もう声を出すことすらできない。この男の目は、人間のものではない…爬虫類の目、龍の目だ。蛇に睨まれた蛙、とは、まさにこういう事を言うのだろう。正代は、無言のまま数度コクコクと頷くのが精一杯だった。


「約束をたがえば、その時は、分かっておろうな。

…ところで、あの渡世人とせいにんどもは、おぬしの所属する女衒ぜげん業者の頭目とうもくをさがしておるのじゃな?」


「はい、そうです…」


「ではそやつらの居場所を教えよ」


「ですから… あの人たちにも説明したんすけど、ホントに知らないんすよ…!」


「嘘なら殺すが、よいか?」


「ホントですよー!!」


「…わかった。千沙都はとりあえずタクシーで帰るがよい。タクシー代はあとでこの女衒に請求する」


千沙都「は、はい」

正代「えっ…」


「女衒。おぬしとは今後のことを話すぞ。とりあえずおぬしの部屋に案内せい」


「え、これからですか?」


「もちろんじゃ。はよう案内せんと殺すぞ」


「はいー!!」



 その日の夜。くだんのヤクザマンションの701号室。凛太郎が新規デリヘルのホームページ作成の料金見積もり説明を、加納と竹ノ内に対して行った部屋である。

クズリューパンチにキックでボコボコに腫れあがった顔の怪我に、応急処置を施した竹ノ内が、電話をかけている。そばには、おそらく竹ノ内らに加勢しなかった件と、ノビてしまった竹ノ内らをすぐに起こさなかった件とをとがめられて痛めつけられたのであろう。デリヘルの店長になるはずだった加納が、顔面を血まみれにして「うぅ…」とうめき声を上げながら床に転がっている。


「…はい、すみません、オヤジ。そうです。やつらと面識があるようです。…はい。重黒木じゅうくろきを使います。…では、失礼します。」



 クラブ『ナイトフラワー』。新宿で一番ヤバいクラブと言われ(何がヤバいのかはここでの詳述を避ける)、それだけに客同士のトラブルが多いナイトクラブとして知られている。一言で言えば治安の悪いクラブということになる。ここのクラブ経営には旭日会が絡んでおり、傘下である内村組の若頭・竹ノ内が仕切るフロント企業が経営元である。重黒木じゅうくろきちからという、苗字も名前も変わっている若い大男のスタッフが、この『ナイトフラワー』のセキュリティを一手に引き受けている。いわゆる用心棒というやつだ。もともとは渋谷や六本木の大型クラブと同じように、応援のセキュリティ要員は警備会社に頼んで数人派遣してもらっていたが、重黒木の別格の腕っぷしが竹ノ内の目に留まり、「こいつ一人だけで十分だな」と、セキュリティ、というか揉め事を起こす客を腕力で黙らせたり追い出したりする役目を一手に任された。そのうち、あまりの強さに組内外の抗争に助っ人として重黒木が呼び出されるようになった。


 今や重黒木の名前は、新宿の闇社会界隈では知らないものはいない。旭日会傘下の中で一番新参者で一番の弱小勢力である内村組が一目置かれているのは、組長の内村功泰やすのり懐刀ふところがたな重黒木の存在が大きい。だが重黒木はあくまでも組の構成員ではなく、クラブのいちスタッフである。中学生になったばかりの頃から、あまりの強さから喧嘩をするたびに相手が重傷を負うので、何度も鑑別所と少年院への出入りを繰り返し、ほぼ前科持ちと言ってもいい身分になってしまった。以来、表の仕事では生きていくことはハナから考えなかった。格闘家の道も真剣に考えたが、練習でも相手に怪我ばかりさせてしまうのでそれも諦め、クラブのセキュリティの仕事を始めた。生きるために、仕方なく闇の己の世界で腕力を振るい、お小遣いをもらっている。組内外の抗争の際に重黒木が出ていくようになってから、内村組は現在まで無敗、というか無敵状態である。重黒木は生まれてこの方、ケンカで負けたことは無い。人間としては異常なほど強いのである。


 だが本人の性質は極めて善良で、あくまで金のために仕方なく仕事をやっている。10代の頃から闇の世界で生きているが、心が闇に染まらなかったのは、段違いに強い己の肉体に、精神が助けられていた形であろう。


 さて、そんな重黒木は最近は機嫌がいい。美人の彼女ができたからである。クラブのボーイ仲間がセッティングしてくれた合コンで、相性のよさそうな女の子と付き合うことになった。「強い男が、しかも少し悪そうな男が好み」らしいが、大丈夫だろうか。さかずきはもらっていないし、今後ももらうつもりはないものの、シッカリと暴力団に関わる生き方をしてしまっている。自分の悪さの度合いは「少し」には収まっていないように思えて仕方ない。無事に隠し通せるものだろうか。女のカンは鋭いというし、いつかはバレるのだろう。今までもそうやって、付き合った女子との関係は長続きしなかった。ことに最近、新宿はヤクザによる「スカウト狩り」で非常にキナ臭い。自分がヤクザの関係者であることがバレる・バレないという話以前に、交際相手やその周辺の人間に危険が及ぶような事態だけは、絶対に避けたい。自分のように、ほとんど何が起きても平気なほど強い人間というのはまれだろうから。


 さて、そんな重黒木の、今日の仕事の様子は一体どのような様子だったのであろうか。


「…う…勘弁して…くれ…」


呻き声を上げながら、床に転がっている大勢のうちの一人が慈悲を乞う。


「…情けねーな、おい。恥ずかしくねーのか。大勢で獲物エモノもって一人を狙いやがってよ。それで返り討ちにされてりゃ世話ねーや」


重黒木が、あきれ果てたといったように言いながら、目の前に転がっているその男が被っている目出し帽を取る。


「こんなもんまで被って正体隠しやがってよ。無軌道むきどうにもほどがあんじゃねーのか、テメーら」


どうやら、武器を持って大勢がクラブ『ナイトフラワー』を襲撃したが、セキュリティの重黒木一人にさんざんに返り討ちに遭ったという顛末てんまつらしい。


「…で?テメーら、どこのもんだよ、オイ。」


「…」

目出し帽を取られた男が答えないでいると、重黒木はその耳を思い切りつねり上げた。

「いてぇえええ!!!分かった、言う、言うから、話してくれ!!」


「早く言わねーとこのまま耳引きちぎるぞ」


「と…東亜連合だ…」


「東亜連合、だろ」

重黒木は耳をつまんでいる手に一層力を籠める。


「ぎゃあああ!です、です!東亜連合です…!!」


「やっぱりか。だろうと思ったよ。…ったく、身ほど知らずの半グレ集団がよ…。

 どうすんだ、おい。今日は上得意様じょうとくいさまの誕生パーティーを貸し切りでやってたんだぜ。お前ら、そのお得意様に怪我させたんだ。残りのお客さんもビビッて帰っちまった。今日上がるはずだった収益と慰謝料、それから風評被害の損害賠償で軽く1億は内村組から請求が行くと思うから、死ぬまで働いて返せよ」


「…」


「それとなあ。一つ気になってることがあるんだよ。テメーら、あのお客さんを襲うときによ…『山名ー!』って言ってたよな?」


「…はい…」


「テメーらのターゲットの名前、『山名やまな』って名前だってことだよな。

…で、だ。」


重黒木は、一層の凄みを聞かせて、この半グレ集団のチンピラをにらみつける。


「あのお客さんの名前、山名じゃねーんだよ。」


「…!」


「…酔っぱらってよく話してたよ。自分とよく似た顔の、『山名 祐輔ゆうすけ』っていう実業家がいてよ…

 東亜連合と揉めてるらしいから、間違って自分が東亜連合に襲われないか心配でしょうがねーって。」


「…!!」

チンピラの顔からみるみる血の気が引き、ピクピクと引きつる。


「もう一遍聞くぜ。テメーらのターゲットの名前は『山名 祐輔』で間違いねーな?なら、人違いで今日の俺らのお得意さんを襲ったってことだ」


「…」


「ま、申し開きは事務所でしろや。心配するな。殺されることはねーよ。死んだら働いて1億返せなくなるからな」


真っ青な顔のチンピラは、泣くことすらできずに、ガックリとうなだれるしかなかった。


 重黒木は、チンピラから視線を離さぬまま、携帯を取り出し、内村組若頭でクラブの経営を取り仕切る竹ノ内に電話をかける。

「竹ノ内さん、今いいですか?うちのクラブを襲撃してきた半グレどもを今ボコったところなんですが… ハイ。身柄を引き取りに来ていただくことはできますか。10人くらいいるんですが。ハイ。お手数かけます」


電話の向こうの竹ノ内が返す。

「オウ、いつも助かるよ。10人かあ…事務所に入りきるかなぁ…まあいいや。こっちムシャクシャしてるとこでよ。思う存分ストレス発散させてもらおうかね。

…それはそうと、近々喧嘩の仕事を頼むから、そのつもりでいてくれ」


「分かりました。相手は?」


「…業者だ」


「は?」


「…うちで新しく始めるデリヘルのホームページを作らせようと思って、IT会社の営業マンを呼んだんだが、そいつがどこかの刺客だったみたいでな。タダもんじゃねえ。お前、知らねえか?葛原くずはらとかいう優男やさおとこだ。女みてぇな見た目なのに出鱈目でたらめえー。」


「いや…初めて聞きました。」


「そうか。こっちは携帯の番号とかも知ってるし、近いうちに必ずカタをつける。また連絡するわ」


「分かりました」


竹ノ内は一方的に電話を切った。いつもに増して機嫌が悪かったが、さてはその優男に、竹ノ内本人がノサれてしまったのか。まあ、どんな相手だろうが、今回も心配はないだろう。自分は特別に強い、おそらく世界最強の人間なのだから。


IT企業、か。

(そういえば、あの子、IT企業の受付嬢だったな…)


重黒木じゅうくろきちからは思い出した。新しい彼女は、本人曰く、同じ新宿のIT系の会社で受付嬢をしているらしい。小畔美樹子という子である。互いに「ミキちゃん」「チカラくん」と呼び合っている。


(つづく)

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