第16話 ヤ〇ザマンションは実在する!
「お前、スカウトだな。ちょっとツラ貸せや。」
「いや、ちょっと…何か失礼がありましたか?」
「失礼だと?ありまくりだぞ、ボケが… お前、どこのスカウトだ?」
「え…?」
「所属のスカウト会社はどこだって聞いてんだよ」
「…Mauve(モーヴ)です」
「モーヴかよ!ちょっと事務所来いや!」
千沙都が警察を呼ぼうとしていると、後ろからもう一人の人物がぎゅっと力をこめて千里の肩をつかむ。
「ハイ、変な気起こさない。
…滅多のことすると、あとでもっとずーっと面倒なことになるの分かるよね…?」
小柄でメガネをかけた、ベストを来た人物だった。坊主の大男の相棒らしい。
「…」
千沙都は声が出ない。
「はい、お二人さん、事務所にご案内ね」
千沙都は目の前が真っ暗になる気がした。
♦
新宿歌舞伎町のアパートには、「ヤクザマンション」と呼ばれ、反社会的勢力団体が50以上入居していると言われる大きな2棟建てのマンションが存在する(※実話です)。正代と千沙都が連れていかれたのは、その一室だった。千沙都は奥の合皮張りのソファーに座るように小柄なメガネの男に指示され、「絶対逃げるなよ」と念を押された。
さきほどから、岩切という名らしい坊主の大男が、正代の腹を、10秒に一度くらいの間隔で執拗に殴っている。
「…そろそろ言う気になったかい?」
小柄なメガネの男が尋ねる。こちらは矢野という名前らしい。
「こっちも気ぃ使ってんだぜ?顔は殴らねえように。最近は警察の見回りが厳しくてねぇ。大声なんか出されて通報されても面倒…」
言っているそばから、
『このヤロー、ナメてんのかコラ!!もういっぺん言ってみろ!』
と怒号が飛び交っているのが聞こえる。おそらくははす向かいか、そう遠くない部屋だ。一つの組で複数部屋を借りているのだろうか。それとも違うヤクザの組なのか。このマンションはそれほどヤクザの入居者が多いのか。そして絶えずこのように怒号が飛び交っているのだろうか。
「…言ってるそばから、これだ。ここら辺の組はみんな今、スカウトを尋問してるとこだよ… で?あいつら、どこよ?」
「うぅ…知りません…トップの居場所は末端のスカウトは誰も知らないし、連絡先すら秘密なんです…」
「じゃあ、連絡先を知っている先輩か誰かを呼び出してもらおうか」
「勘弁してください… あとで殺される…」
「じゃあ、今俺たちに殺されるか?」
岩切がすごむ。
「…」
「あの兄弟は、完全に俺ら本職の人間をナメ腐ったの。分からせてあげなきゃねぇ」
藤島正博・史博の双子の兄弟は、正代が所属するスカウトマングループ『Mauve(モーヴ)』のトップである。もともとは消防士をしていたらしいが、何の拍子にか新宿のスカウト界隈に進出してきた。現在ヤクザですら武闘派が少なくなってきている中、2人とも見た目はほぼ同じ体格をしており、190センチの100キロ以上ある。筋肉量も常人の2倍はあろうか。並みの人間では太刀打ちできない。
その風貌で脅しをかけ、自分たちが新しいスカウト会社を最激戦区である新宿に立ち上げるにあたって、他のスカウト会社の腕利きスカウトマンを引き抜いて部下にしていった。今の会社よりよい待遇を保証したわけではない。ましてや人望のなせる業などでは決してない。純粋にその風貌を武器に脅したのである。
稼ぎ頭を失った他のスカウトグループの幹部連中たちは激怒した。こんなことはおきて破り以外の何物でもない。すぐに新宿の裏社会は大混乱に陥った。漫画や映画のように、スカウト会社のバック(いわゆるケツモチ)にヤクザが直接控えているなどということは少ない。だが、厳然としてそういうケースは存在する。昔から新宿を含む繁華街の、グレーな部分を取り仕切るのがヤクザの仕事である。今回は新宿最大のヤクザ、旭日会の会長・
ところがである。
「納得はできねーっすね」と兄の正博が言い放ち、2人はその会合の場から勝手に出て行ってしまった。小関は顔を真っ赤にして激怒したが、そこでも流石の人物であった。「和平のために皆を呼んだのに、その場で流血騒ぎを起こすのは示しがつかない」という理性を必死に働かせ、警護のためにつれてきた旭日会の構成員が、親分を冒涜した藤島兄弟に飛びかかっていきかけたところを「待て!」と一喝。「今ではない」と制した。その後当然、旭日会側から「詫びを入れに来るように」との
その翌日には、新宿の歌舞伎町には旭日会傘下のヤクザというヤクザがあふれ、歌舞伎町の路上にいるスカウトマンたちを片端から路上で、あるいは事務所や車内に監禁して暴行し、行方をくらませた藤島兄弟の居場所を尋問する「スカウト狩り」の嵐が吹き荒れたのである。
さて、話を現在に戻して…
千沙都は震えながら、「これ以上殴られたら、正代は内臓破裂か何かで死んでしまうのではないか」と思い始めた。か弱い女が、ヤクザ2人の拷問の現場に居合わせているのである。正気を保ってるだけで精一杯だった。
「おい、女!」
岩切が千沙都に声をかける。
「はい…」
「このスカウトから紹介された仕事してのか」
「いいえ、もうしてません」
「なら、ウチの店で働けや。ちょうどデリ(※デリバリーヘルスのこと)の店立ち上げるところだからよ」
「…」
「何とか言えよコラ」
「…イヤです…」
「…チッ。矢野、このスカウト見といてくれ。おれこの女に教育するわ」
「またかよ。好きだね、お前も」
「…お願いします、見逃してあげてください、もうその子は昼の仕事に就いてるんです…」
正代が声を絞りだす。
「オメーに聞いてねーんだよ!」
岩切が再び正代の腹を殴り、何度目か分からない「ウッ…」といううめき声が上がる。
「女壊すんじゃねーぞ。売り物にすんだろ」
矢野が言う。
「おうよ。紳士的に教育してやっから」
岩切は自分のズボンを下ろそうとベルトを外した。
千沙都は観念した。風俗の世界から足を洗っても、自分は男に汚され続ける宿命でも背負っているのだろうか。呪わしい。今度こそ、希望に満ちた人生を歩めると思ったのに。
「…なんか外が騒がしいな」
矢野が言った。確かに、ドアの外の廊下で、2,3人が揉めているような物音と、怒号が聞こえる。
ピンポーン、とこの部屋のチャイムがなる。つづけてドンドン、とドアをたたく音がする。
「…んだよ、いいところなのに…」
岩切が下ろしかけたズボンのファスナーを戻しながら、ガチャンと乱暴にドアを開ける。目の前に、見たことのない優男が立っていた。岩切たちと同じヤクザ者に頭を鷲づかみにされ、体を取り押さえられながら、意に介していない様子で平然とヘラヘラ笑みを浮かべている。
「ほら、やっぱり。知り合いがいるような気がしたんですよ。」
相変わらずどう見ても頼りにならなそうな、葛原凛太郎だった。
(つづく)
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