第15話 魔都・新宿
「あ、葛原さん…!
えへへ。来ちゃいました」
「ハハハ… すごい行動力だね、あはは」
凛太郎は頭をかきながら照れ笑いをするのが精一杯である。
「あの時、葛原さんは育児に専念するように勧めてくれましたけど…必ず葛原さんに恩返しをするって決めましたから!もともとPEARL(パール)の仕事も、子どもたちを保育園に預けてる間だけやっていたので、ここでのお仕事も大丈夫です!私、体力には自信があるんですよ!」
「そ、そうなんだ。すごいね、エラいなぁ…」
凛太郎は、九頭龍の人格が表に出ているときは少し記憶にもやがかかったようになるので、思い出すのに精一杯である。
「…葛原さん、会社の中では普通の言葉遣いなんですね。なんかカワイイ。」
「いやあ、あれは… たまに勝手に出てくるキャラというか、何というか…」
「?… 」
凛太郎は説明に困って、冷や汗の量が増えていく一方だ。
と、そのとき突然、凛太郎の背中から、よく聞き覚えのある声がした。
「…2人、知り合いなの?」
「…!」
凛太郎は青い顔で振り向く。七海が給湯室の入口に立っていた。凛太郎の目には、七海の体からゴウゴウと炎が燃え盛っているように見えたが…気のせいであろうか。
「七m… 阿賀川さん!」
凛太郎は、もう少しのところで『七海さん』と呼びそうになるところを、必死に言い直す。
「
「勇千沙都です。よろしくお願いします!」
「葛原君と仲いいみたいだけど。知り合いなのかしら?」
「いいえ!今日が初対面ですよ。ね、葛原さん♡」
「は、はい!もちろん、今日はじめてお会いしました…」
凛太郎は、(あ、この嘘は絶対バレるな)と思った。
♦
「ハァ~⤴!?3億円で身請けした⤴?」
「わわわ、声おっきいですよ、七海さん…」
その日の夜の七海のアパート。いつも仕事が終わると半自動的に九頭龍の人格に切り替わるのに、今日に限って終業後も凛太郎のままである。面倒くさい説明は凛太郎に任せる魂胆なのだろう。
「ふーん。じゃあ昼間のは、2人そろって私に嘘ついたんだ。ふ~ん…」
こういう時の女は恐い。この世で一番恐ろしい存在かも知れない。
「しかも会社を抜け出して真っ昼間から風俗行って…
そこでお店のNo.1を3億で身請けしてくるって…思いっきり人身売買じゃない。いい度胸してるわね、アンタ…」
「ひ~、勘弁してくださいよ!僕じゃないですよ!九ちゃんが、九頭龍大明神様がやったんですってば!!」
「…ま、そうよね。『オナゴを抱かせろー!』とか叫んでたもんね。 私の部屋で…
ハァ。怒る気も失せたわ」
「…」
「…ま、千沙都ちゃんだっけ。あの子ホントに可愛いしね。なんか、応援したくなるよね。」
嵐は急速に勢力を弱めるか。凛太郎はホッと胸を撫で下ろした。
「それはそうと、風俗と言えばなんだけど、クズ君さ…」
「…は、はい…?」
これ以上詰問されると、いつかの『カルメン』でのように気を失ってしまうかも知れない、と凛太郎は思いはじめていた。
「こないだ、
「いや、僕は問い合わせを受けて、電話で説明しただけですよ!…誤解ですってば~…」
七海は変わらず、ジト目である。
「フーン。それで、聞きたいんだけどさぁ。」
「…はい…」
「その元No.1嬢の千沙都ちゃんとは、お店で最後までシたのかしら?」
七海は、自分より身長の低い凛太郎に対して、逆壁ドンの体制になった。
「してません!ホントに、ホントですって~!!!」
『逆壁ドンは男の夢』、などというのは
♦
それからのギャラクティカの活気は素晴らしいものだった。暑い中の外回りから帰ってきたら、冷たいお茶がサッと出てきて、「お疲れさまでした」と千沙都スマイル。これで営業部の男どもは全員、一撃でハートを撃ち抜かれてしまった。女子従業員からも千沙都の受けはすこぶるよく、「一生懸命だし、なによりあの子がいると場が明るくなる」と思われていた。久田松社長も、「いい子を雇ったなぁ」と内心とても満足していた。千沙都の直上の上司である総務の小畔美樹子が、少しでも良い先輩であろうとして、以前より熱心に仕事に向かうようになったのも予想外の収穫だった。これからのギャラクティカの一層の発展に、千沙都はなくてはならない存在になるだろう!と、社内の誰もが感じていた。
ある日の12時。皆がお待ちかねの昼休み、昼食タイムである。
「クズリン、『カルメン』いくやろ?」
先輩の牛木が凛太郎に声をかける。すると…
「葛原さん!今日お弁当作ったんですけど… よかったら食べてくれませんか?」
今やギャラクティカのアイドルとなった千沙都が、凛太郎に弁当箱を差し出してきた。
「え?いいんですか?」
千沙都は、顔を凛太郎の耳元に近づけて囁(ささや)く。
「恩返し、です…!」
凛太郎は耳まで真っ赤になり、隣で牛木は口をあんぐりと開けていた。
「あのさ~千沙都ちゃん、もしかしたら、お願いしたら僕にもお弁当作ってくれはんのかな~なんて…」
「ダメです~!これは葛原さんにだけ特別なんです。ね、葛原さん」
その瞬間に、全ての男性社員の敵意あふれる視線を凛太郎は一身に浴びた気がした。同時に、向こうのデザイン部の机の島の端で、七海が握った箸を「バキッ!」と折る音が聞こえた。
凛太郎に弁当を渡した日の午後4時。少し早いが、4時がパート社員である千沙都の定時である。会社の業務にも少しずつ慣れてきた千沙都は、帰宅の準備をし、あとはタイムカードを押すだけである。
ふと、業務中はサイレントモードにしておいた携帯をみる。RINEのメッセージ通知が一件届いている。そのメッセージを開いて見た千沙都は、顔を一気に曇らせた。
『ちょっと話、できるかな?』
スカウトマンの
♦
土曜日。正代は新宿の一角、喫茶店の中で待っていた。龍ノ介と虎ノ介の面倒は、「できるだけ早く戻るから」と、PEARL時代の後輩の朋美にお願いした。
「いや~、悪いね。お疲れのところ、来てもらっちゃって」
「こちらこそ…迷惑かけて、ごめんなさい。あの…友達に無理言って子どもの面倒を見てもらってるので、できれば手短に済ませられますか」
「わかった…じゃあ早速なんだけど。実は土日だけ、デリ(※デリバリーヘルスのこと)とかやってみる気はないかなーと思って。千沙都ちゃんほどの逸材を眠らせておくのは惜しいんだよ」
あまりにも予想通りの話だった。
「…ちょっと、もう復帰は考えてないので…」
「そう言わずにさ… 俺を助けると思って、考えてくれないかな?一番いい店紹介するからさ…
正直、千沙都ちゃんがやめちゃうと俺の財布厳しいんだよ」
「…すみません。子どもたちが待ってますので。」
千沙都は急いで外に出ていった。正代に勧められたが、飲み物も何も頼まなかったのは正解だった。
「ちょっと、なあ、待ってくれよ!」
正代は慌てて、千沙都の後を追う。店の外に出て、ガシッと千沙都の腕をつかむ。
「頼む。もう一回だけ、考えてくれよ。後生だ!」
「…しつこいと、大声だしますよ…」
千沙都が覚悟を決めようとしたその時。
「オイ」
野太い声がした。正代の肩を大きな手が荒々しくつかむ。
「お前、スカウトだな」
正代が恐るおそる振り返ると、一目で表の世界の住人ではないことが分かる派手なスーツを着た、大柄で坊主頭の男が立っていた。
(つづく)
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