第14話 胃痛

「フフフ…。聞くまでもないじゃろ?」



 まもなく、日本に『子育て支援財団』という公益財団法人が設立された。設立者の中には、葛原凛太郎の名前も梅ケ谷さとしの名前も、入っていなかった。0歳から18歳までの子供がいる母親で、応募してきた者に対して、子ども一人当たり1年で1000万円を支給する助成金制度をスタートする財団であった。言うまでもなく、財源は無限に増やせる『りゅーコイン』である。


 「助成金の給付の前には厳正な審査があります」とうたってはいたが、簡単な書類の提出とwebカメラによる形だけの簡単なリモート面接があるだけで、ほぼすべての応募者が給付を受けることができた。面接はほとんど梅ケ谷が行ったが、たまに九頭龍凛太郎も9つの首を使って参加した。胴体が映っていないのを胡麻化すために、首から上のどアップでの画面に映りこむのはかなり不自然だった。


 凛太郎と梅ケ谷は話し合いの末、子育て支援金の給付対象はシングルマザーに限定しないことにした。「シングルマザーになった方が儲かるではないか」という考えを起こされても困る、という判断である。これで徐々に、日本は「世界一子育てがしやすい国」の座へと上り詰めてゆくことになる。



さて。『子育て支援財団』ができるのはしばらく先の話である。ここで時を戻し、凛太郎が梅ケ谷に電話を終えるところから物語を再開する。


「…よし。だいたい話はまとまった。しばらくしたら新しい財団から案内の書類が届くから、支援金を申請するがよい。ぬしの住所をもらえるかの? …儂は怪しいものではない。ほれ、名刺じゃ」


九頭龍凛太郎は千沙都が怪しまないよう、「株式会社ギャラクティカ 営業部 葛原凛太郎」と書かれた名刺を渡す。

「ちゃんと名乗ってはおらなんだのう。儂はくずりゅ… ゴホン。葛原凛太郎じゃ。…なんでも良いから、ぬしの住所を紙にかいてくれんかの。案内の書類を届けさせる」


「は、はい…」

千里は、PEARLの源氏名『樹里じゅり』名義の名刺の裏に住所を書いて渡した。


「あの…」


「なんじゃ?」


「言いにくいんですが… 貯金なら十分にしているので、助成金は他の方に譲ろうと思うんですが」


「なぁに。金はあり過ぎて困るということはない。もらっておけ。たくさん金があるなら、たくさん使うがよい。おぬしが金を使った分は、誰か他の人間の懐に入るのじゃ。金持ちが金を使うのは、立派な社会貢献じゃぞ。」


「わ、分かりました」


「…よし。では、儂はこれで失礼するとしようかの。時間をとらせてすまなかったな。今日のことは、他言無用で頼むぞ。」


「…はい!」

(誰にも言いません。葛原さんが仕事を抜け出してお店にいらしたことも、私を引き取ってくれたことも、私のストーカーをやっつけてくれたことも。それから…正体が龍ってことも。)

千沙都は、今日の一日で体験した盛りだくさんの人生アトラクションを一瞬のうちに脳内で整理すると、勢いよく返事をした。


「ぬしは、ここあ、じゃったの。達者でな。」


「いいえ」


「うん?」


「本当の名前は、千沙都っていいます。葛原さんには、一生のご恩ができました。絶対に絶対に、いつか恩返しさせてください…!」


「いや、その… そんなに気合いを入れんでもよいが… まぁ、子どもらと幸せに暮らせよ。」




樹里じゅりあらため千沙都と別れたあと、九頭龍凛太郎は内心穏やかでなかった。

(おかしいのぅ。あの『すとーかー』の男、あれほどの瘴気を、いったいどこで身に帯びたのか… 茨木の依り代となるほどの量の瘴気、普通の人間が元から持っているわけはないのじゃが。

 それはそうと。茨木が出てきたということは…もどこかにるのかのぅ。

 いかん。考えてたら眠くなってきてしもうた…)


 ふと気が付くと、九頭龍から凛太郎の人格に戻っていた。凛太郎は特に今日の記憶があいまいだったが、サカリのついた九頭龍に仕事中に自我を奪われ、会社を抜け出して風俗店に行ったことだけは分かっていた。


「あ~ヤバい、やっちゃったよ…会社に戻らなきゃ!!」

凛太郎は、どこの外回りをしていたことにしようか、必死に頭をめぐらせながら、西新宿にあるギャラクティカのオフィスに戻っていった。



 それから数週間が経過したある日の朝。ギャラクティカでは、フレックスタイム制が導入されているが、コアタイムである10時に簡単な朝礼があり、全体への報告事項などが共有される。ふた昔ほど前は社員の気合を入れるために朝礼のテンションが非常に高い企業が多かったであろうし、現在も朝礼の時はピリッとした空気になるという会社が大半だとは思う。しかしギャラクティカは社長の久田松があの通りの飾らない性格で、「あ、今日は特に共有すべきことはないので、今日も一日よろしくです~」と、朝礼が30秒程度、日によっては5秒で終わることも珍しくない。ついでに言えばMTGミーティングも恐ろしく少ない。ギャラクティカが自前で開発したチャットアプリのグループチャットで、進捗状況の確認を主にチームリーダーが行い、大きな問題があれば社長の久田松に報告することになっている。社内全体で何かミーティングをするという風潮はほとんどない。その代わり、新しいビジネスのアイデアの提案などは、ボーナスに上乗せされる賞金を懸けて、希望者がプレゼンを自発的に行う「社内プレゼン大会」が月1回開かれる。要するに朝礼はゆるい会社なのだ。


 今日は珍しく、久田松社長が前に立って何やら長めに話している。しかし、何を喋っているのか、内容が凛太郎の耳には全く入ってこなかった。自分が今、目にしている光景がにわかに信じられず、それどころではないのである。朝が弱い凛太郎だが、眠い目も一気に覚めてしまった。隣では、営業部の先輩の牛木うしきが、目をハートマークにしてほうけている。


「やべぇ… 新人の子、むちゃくちゃカワイイやんけ…!」


久田松社長が新入社員らしい女の子を紹介する。


「…えー、今日からパートで事務を手伝ってくれることになったいさむさんです。子育てをされながら働いてくださるそうだから、時短での勤務にはなると思うけど、みんな仲良くしてやってくださいねー。じゃ、勇さん、軽く自己紹介してくれる?」


「はい!いさむ 千沙都と申します。社会人経験は少ないんですけど、一生懸命仕事を覚えていきますので、どうか皆さんにたくさん色々なことを教えてほしいと思っています。頑張りますので、よろしくお願いします!」


一同、パチパチと拍手をした。その拍手に紛れて、挨拶の最後の一礼の後、顔を上げた千沙都は明らかに一人の方を見て微笑みかけた。そして、その視線の先に凛太郎がいることを、阿賀川七海は見逃さなかった。


「…?オイ、クズリン。あの子、こっち見てへんかったか?」

若生は相変わらず目がハートマークのままである。


「そ、そうですかね… 気のせいだと思いますが…」


(そういえば、別れ際に名刺、渡してたんだっけ…)


凛太郎は九頭龍の行動を恨むと同時に、怪訝な顔をしている七海と視線がぶつかってしまい、あわてて目をそらした。女子に一番怪しまれるパターンである。


「…?怪しい…」

七海の、というか女のカンの鋭さは、絶対に馬鹿にしてはならない。


(はぁ… 先が思いやられる…)

凛太郎は胃がキリキリと痛みだした。


(つづく)


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