第12話 時代錯誤

「ここにくれば女子おなごが抱けると聞いたんじゃが、間違いないか?遊郭も、随分と洋風になったもんじゃの」

若い華奢な男だが、見た目に反して老人のような言葉遣いで、その客は話した。


「うふふ、面白いお客様ですね。樹里じゅりと申します。今日はご指名ありがとうございます。お部屋までご案内しますね」


2人は階段を上がって、豪華な内装の個室に到着する。


「今日は、お仕事中にいらしたのですか?スーツ、似合ってますね。」


「仕事が終わってから行くと、家にうるさいのがいるでの。外回りということにして、会社を抜けさせてもらった」


「あ、ご結婚されてるんですか。」


「夫婦ではないぞ。一緒の部屋で暮らしておるだけじゃ」


「同棲されてるんですか。お客様みたいな格好いい人の彼女なら、さぞかしきれいな人なんでしょうね。」


「フフフ、まあな…!あれはじょうモノじゃなぁ」


「うふふ、そんな素敵な彼女さんがいるのに、遊びに来て下さって、ありがとうございます」


「礼には及ばんぞ。気が変わったからのう。」


「え…?」


「おぬし、なにか訳アリのようじゃの。この店やこの仕事自体が嫌いというわけではなさそうじゃが。」


「え、えっと…」


「隠しても分かるぞ。人間の心を読むことくらい容易たやすいことよ… 少しばかり、急いだほうがよいのじゃろ?」


千沙都は限界であった。必死にこらえていた涙が、意志と関係なくボロボロとこぼれ落ちる。


「おぉ、すまぬ。女子おなごの涙を見るのは、あまり好きではないのぅ」


「…す…すみません…」


「よいよい。遠慮せず泣くがいいぞ。泣いた方がすっきりする。もう今日おぬしを抱くのはやめにする。」


「いえ、大丈夫ですから…ごめんなさい…」


「ウチのに知れると、あとで何を言われるか分からんしな。」

では、そもそもなぜこんなところに来たのであろうか、この龍は。


「よし、詳しい話はあとじゃ。とりあえず身請みうけしよう」


「…はい?」

千沙都はキョトンとしている。ミウケ?何のことだ?


「いくら積めばよいかの。店の者と話せるか」

凛太郎は、勝手に部屋を出て1階のフロントに向かっていこうとした。


「え?ちょっとお客様、困ります…!」



 そこからの話は早かった。槌田店長がもともと千沙都が店を辞めることを覚悟していたからである。正直なところ、槌田は「身請けって… この客、マジか?江戸時代あたりからタイムスリップしてきたんじゃねーだろーな?いまどき店に金を払うとはなんつー時代錯誤…」と思っていた。現代では


「とりあえず、こんなところでどうかの」

九頭龍凛太郎は、人差し指を1本、槌田の目の前で立てて見せた。


「1000万ですか?…彼女は1か月で600万円以上売り上げるんですがね」


「なに?1億のつもりだったんじゃがな。そうか不足か… では3億でどうじゃ」


槌田は、脚と声の震えを隠すのに必死だった。


その後、九頭龍と槌田の間では、


「はーい『りゅーコイン』で払うからのー 『あぷり』ひらいて―」

「お、おう…」


というやり取りがなされた。




九頭龍凛太郎は千沙都の部屋に戻ってきた。

「話はついたぞ」


「…」

千沙都は複雑な表情である。


「…よい遊郭みたいじゃの。世話になったのであろう。店のものたちに挨拶してゆくがよい」


千沙都はそのあと、たっぷり1時間かけて、その時間帯に店にいる人物全てに丁寧に挨拶をした。槌田には何度も何度も深々と頭を下げてお礼を言った。槌田も優しげな表情で別れを惜しんだ。親友といってもよい後輩の朋美とは、抱き合って号泣した。


「いつでも双子ちゃんの世話に行きますから!遠慮しないで呼んでくださいね…」


「ありがとう…!そうする!!」


同じく家事を手伝ってくれた男性事務員の梶谷(この男には、千沙都に対する下心が多分にあったが)に対しては、千沙都は堅く両手で握手して、その手をブンブンと手を上下に振った。梶谷は幸せそうに、顔を赤らめて終始ニヤケ面であった。


ひとしきり千沙都の挨拶が済むのを見計らって、華奢な男はふたたび口を開いた。

「では、この女子おなごはもらい受ける。」


「お世話に…なりました…」

千沙都は、深々ともう一度店のメンバーたちにお辞儀をした。



PEARLを出て、新宿を歩く九頭龍凛太郎と千沙都の二人。どんな大都市でもそうだが、日本有数のオフィス街である新宿といっても、人通りの少ない通りはたくさん存在する。


「…まだ、安心するのは早いようじゃな。」


「え…?」


「尾《つ》けられておる。心当たりはあるか?娘よ。」


「はい…あります。」


「…まぁ、よい。詳しい話はあとで、という約束じゃったしの。」



九頭龍は、裏通りのさびれた公園で、後ろを振り返った。

「…おぬしは、何者じゃ。」


少し間をおいて姿を現したその男は、口を開いた。


「それはこっちの台詞だ。私はその子の保護者だ。あんたこそ、その子をどうするつもりなんだ」


やはり、水内である。千沙都は吐き気がした。危惧はしていたが、こんなに早くやってきたか。


「保護者?儂には、ぬしがこの娘を守ってくれるようには、どうも見えんのじゃがな」


「何を…何をバカなことを…」

水内の顔には、禍々しいほどに青筋が浮き出ている。


「俺は、この子の幸せを願って… この子を心から愛しているんだ!」

水内はふところからナイフを取り出した。


「千沙都から離れろ。その子は…その子は俺のものだ!」


九頭龍凛太郎はため息をついて、千沙都のほうを向く。

「ハァ…。ああ言うておるが、娘よ。

 あの者のもとにゆくという考えは無い、ということでよいな?」


「はい…!絶対にイヤです!!」


「だ、そうじゃ。交渉は決裂じゃの。」


「ふぅ… ぐふぅ… うぐ…」

ナイフを手にした水内は、苦しそうなうめき声を上げだした。顔色もドス黒くなり、目も血走っている。口からはよだれが垂れている。気のせいか、水内の回りに黒い霧のような、もやのようなものが見える。


「おや…」

凛太郎でなくても、今の水内が普通の人間の状態ではないということは容易に理解できるだろう。


「千沙都を…返せー!!」

水内はナイフを両手に持って、凛太郎に向かって突進してきた。


「見たところ、お前さんは少し重症のようじゃ…

 多少荒療治になるが、許せよ!」


凛太郎も、突進してくる水内に向かって、駆け出す。


両者が正面からぶつかるかという刹那、凛太郎が水内が渾身の力をこめて伸ばしたナイフをかわしたかと思うと、一瞬のうちに、凛太郎の首から上が瞬時に龍の姿になった。読者諸君には以前、凛太郎が初めて九頭龍に変化へんげし、七海の癌を食べたときのことを思いだしていただきたい。


バクン!


龍に姿を変えた凛太郎の顎が、水内の頭を丸のみにした。


「…!!」

千沙都は驚いて息をのんだ。無理もないだろう。水内がナイフを取り出して突進してきたことも、先ほど自分を店から買い上げた客の頭が人ならざる姿に変わったことも、その異形いぎょうが水内の頭を嚙み潰したことも、全てが衝撃的すぎて頭がついていかない。


九頭龍は凛太郎の姿に素早く戻る。食われたはずの水内の頭は無くなっておらず、そのままドタリと前のめりに倒れた。気を失っているようだ。凛太郎はその手からナイフを奪うと、折り畳み式の刃をパチンと柄の中にしまって、自分のポケットに入れた。


「これにて、一件落着…」


とは、いかなかった。


(つづく)


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