第11話 色欲・その2

「いや…この人は…ダメです…いや!!」 


全く予想もしない形で水内と再会した千沙都は、パニックを起こしてしまっている。そうだ。刑務所にいる人間というのは、いつかは出所してくるのだ。当たり前のことである。終身刑だろうが、仮釈放が認められればシャバに出てこられるのだ。


「えっと…!?」

事務員の梶谷は、どう対応していいか分からない。


「待ってくれ、話がしたいんだ。頼む!」

水内は食い下がる。


「帰って!帰ってください!」

千沙都は階段を駆け上がって自室に逃げた。水内は流石に、追ってくることはしなかった。

梶谷はようやく、冷静さを取り戻した。

「お客様、申し訳ありません。事情は分かりませんが、今日のところはお引き取り願えますか。」


「私はあの子の親族です。話し合いに来たんです。」


「そう言われましても…」


騒ぎを聞きつけて、店長の槌田が、奥の控室から出てきた。

「お客様。申し訳ございません。これ以上騒がれますと、こちらとしても警察に相談しなければならなくなります。」


「私はあの子の家族なんですよ?」


「では、警察同伴の上でお話し願えますか。」


「…」


「どうかご理解下さい。お願いします。」


「…分かりました。またご連絡します。今日は失礼します」




水内がしっかりと店を出て、ある程度遠くまで歩いて行ったの確認してから、槌田は千沙都の部屋を訪れた。案の定、泣いている。


「うっ…う…」


「…大丈夫か?」

千沙都はかぶりを振る。


「あの人は、本当にお父さんなんか?」

千沙都は泣きながら、今までのいきさつを説明した。




「…今まで連絡は取ってなかったんやろ?」

一通り千沙都が話し終わって初めて、槌田は口を開いた。


「はい、一度も取ってません。携帯も変えて、連絡先も分からなくしたはずなのに…」


「どうにかして調べてきたのか、たまたま見つけたのか… パネル写真、口元を隠してても意外に分かるもんやからな…」


「…」


「…今日はもう早めに上がれ。これからどうするか、明日以降ゆっくり相談しようや。」

千沙都は、かろうじて頷いた。



 千沙都は保育園に電話して龍と虎を早めに迎えに行った。龍ノ介、虎ノ介の2人から「お母さん、どうしたの?」「元気なーい」と心配されてしまった。自宅のアパートに帰ってから、じっくりとこれからどうするか考えるつもりであったが、いざ2人を目の前にするとそんな時間は取れない。結局その日は、今後のことについて頭をめぐらす時間が取れたのは、双子が寝てホッと一息ついた、夜10時以降だった。



 槌田は心底心配していた。自分は有名店PEARLの店長である。店の売り上げを一番に考えるのは当然であり、店長としての務めである。今や樹里じゅりこと千沙都はPEARLの不動のNo.1であり、店にもたらす利益は莫大なものだ。ここで休まれるのは経営者としては絶対に避けたい。しかし、ビジネスライクな考えは置いておいて、千里にはどこか応援したくなるところがあった。そういう、人柄というか雰囲気を備えた人間というはいるものである。この子がNo.1なのも当然なのだろう。


 退勤後のRINEで「明日は予定通り出勤します。休憩時間に相談させてください」とメッセージが来たので、槌田は「了解です。店としては君にぜひ働き続けてほしいけど、無理しないように」と返した。翌日、約束通り千沙都は出勤してきた。


「すみません。正直、子どもたちの世話もあるし、正直ゆっくり考える時間が取れなくて。」


「だろうな… 少し様子を見るか?店としては当然、お前にはこれまでどおり働いてほしいんだけど。パネル写真は完全に外部には非公開にしてやっから。」


 千沙都は考えた。私がここで働いていることを突き止めた水内あいつのことだ。これで大人しく引き下がるとは思えない。そのうち、また店にやってくるだろう。何より、この店に出勤を続けていると、退勤後に尾行される可能性が高い。龍・虎ノ介の2人だけは、絶対に守らねば。


「やっぱり、お店は辞めないといけないと思います。尾行とか怖いので…」


「そうか…そうだよな。」


「すみません。こんなにお世話になったのに…。」


「しょうがないさ。人生いろいろあるって。

 それはそうと… お前、担当のスカウトいたな?」


「はい。正代しょうだいさんです。」


「このことは伝えてあるのか?」


「いえ、まだ何も。」


「そうか。いいよ。俺から伝えとく。」


 風俗のスカウト(スカウトマン)は、紹介した女性の月の手取りの10~15%程度を店舗からもらう。千里をPEARLに紹介した正代には、千沙都がしっかり働いてくれる限り毎月数十万円が転がり込んできているはずだ。これをみすみす手放すのは、正代としては是が非でも避けたいところだろう。


 千沙都も、正代が残念がることは分かっていた。お店を辞めることで、どれだけの方面に迷惑がかかるだろう。もちろんPEARL自体と店長、家事を手伝ってくれた後輩の朋美や店員の梶谷にも申し訳が立たない。そして正代。スカウトマンというとチャラついた人種を誰もが想像するし、正代も見た目はそうであったが、決して悪人というわけではなかった。むしろPEARLという良いお店を紹介してくれたことに、恩を感じているくらいだ。


「梶谷と、それから…朋美が家事の手伝いに行ってるんやっけ?」


「はい…」


この二人にも、さすがにもう手助けを頼むわけにはいかないか―。

貯金はあるが、この先どうしようか。


「…そろそろ時間だな。出勤予定は取り下げてなかったから、今日もお客さんは来とるんやけど…ご新規の人だな。いけるか?無理はせんでいいぞ。」


「いえ、大丈夫です。いけます。」


槌田は心底、このうら若い薄幸の乙女の芯の強さに感心した。


―一方。千沙都は、精一杯意地を張って「いけます」といったものの、心の中はぐちゃぐちゃのまま、気持ちが切り替えられないでいた。


(ダメだ、新しいお客さんに会うんだ。笑顔にならないと…)


頭では分かっていても、どうしても涙で視界が滲んでくる。



なぜ、今になって。


せっかく、これからは心配のない未来が待っていると思ったのに。


過去はどこまでも、自分を追ってくるのか。


誰か助けて。


誰か。




梶谷が客を案内している声が聞こえる。初めての客だ、笑顔、笑顔、笑顔をつくらなきゃ―


「樹里さんのご指名、ありがとうございます。お時間までごゆっくりどうぞ。」


 その初めての客は、一目で仕事を抜け出してきたことが分かる、スーツ姿の、小柄で髪の長い、女のような華奢な体格の若い男であった。だが、口を開くとまるで老人のような口調で話した。


「ここにくれば美しい女子おなごが抱けると聞いたんじゃが、間違いないか?遊郭も随分と洋風になったもんじゃの」


高級風俗店PEARL。株式会社ギャラクティカのオフィスにほど近い、新宿歌舞伎町の有名店である。


(つづく)


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