第5話 からきし
「ぬしら…この国に新しい通貨をつくれるか?」
深夜にまで及んだ江島めぐみ事務室での話し合いのあと、何度も繰り返し会議が重ねられた。凛太郎はたびたび、ギャラクティカでの仕事が終わると九頭龍に変わって、夜に一人で江島めぐみ事務室のある参議院会館か、梅ケ谷の自宅に行っているようだった。密談をしているのか、具体的な作業を進めているのか。
数か月が経過した。
各種新聞やネットは、「与党、仮想通貨事業に着手」のニュースで持ち切りだった。「政府による仮想通貨、是か非か」といった類の討論番組が地上波でもネット番組でも盛んに組まれ、江島めぐみ議員が番組内でのカリスマ性あふれるプレゼンをぶちかます度に、番組のパネラー、観客、視聴者たちは、心を奪われていった。
さらに数か月後。日本政府は、2つの歴史的な決断を下した。以下が新聞や各ネットニュースの見出しの一例である。
『政府公認の仮想通貨 “りゅーコイン” 、全国で流通開始』
『1コイン=1円の固定レート』
『同時にサービスの値上げが原則禁止に』
『野党は「経済の混乱招く」と反対を継続か』
『りゅーコインの支払いはカードかアプリで簡単に』
……
♦
ある日、九頭龍凛太郎は、七海の部屋のリビングで七海のつくった料理をガツガツとむさぼっている。
「龍神さまって、もうちょっと品のある食べ方をするのかと思ってたわ… ゆで卵、3つで足りる?」
「おう、九頭龍への供え物といえば卵、これ常識。本当はもっと欲しいとこだがの。あんまり凛太郎の体に負担をかけてもいかんからなぁ… こやつ、体がちんまいから。」
「勘弁してよ。卵、最近高いんだから。」
七海は九頭龍凛太郎の向かいに座り、あご肘をつく。
「会議中さ、何度聞いても最後までよく分からなかったんだけど… 結局、りゅーコインと日本円は何が違うの?なんで円があるのに、わざわざ仮想通貨をあたらしく作る必要があるわけ?」
「…ぬしは『うぇぶせーさく』は詳しいくせに、経済はからきしじゃな。」
「な…!だから私の担当は制作じゃなくてデザインだってば…」
「ははは。怒るな怒るな。では、説明してやる。龍神様による経済講座じゃ。まず質問するぞ。日本円の発行権はどこにあるのじゃ?」
「馬鹿にしないでくれる?円を発行してるのは日本銀行でしょ。知ってます、それくらい。」
「ブブー!!典型的な不正解じゃな。」
「うそ?」
「円を発行する権限は政府にある。日銀が決めているのではない。」
「知らなかった… 学校で習ったっけなぁ。忘れちゃった。」
「ところが、この『りゅーコイン』の発行権は、儂と梅ケ谷が立ち上げた会社にある。というより、儂にある。だから、いくらでもコインを発行できる。」
「そんなことしたら、すぐインフレが起こるんじゃ…」
「アホウめ。そのために国会議員の江島に言うて、サービスの値上げ自体を原則禁止する法案を通してもらったのじゃ。ヤツには大きな借りができたな。1コイン=1円でレートを固定にしたのも、インフレを防ぐためじゃ」
「は~なるほど… よく考えたわね…」
「じゃから、今後この国でインフレが起こることは無いんじゃが、ついでじゃからもうひとつ教えといてやる。インフレが起きる理由は何か、考えてみよ。インフレが起こる、すなわち物価が上がるということは、世の中に出回っている金の量に比べて、金で買う品物の数がどうなっておる状態じゃ?」
「そりゃあ… お金で買う商品とかサービスとかの数が不足してるんでしょ?」
「その通り。では、商品・サービスの量を増やせばいいだけの話じゃ。お金を増やしても、その分、人が働けばよい。何でも、作り放題じゃ。常識を逸脱しない限り、『こんな商品売れないかも』という心配は、まったく不要になる。」
「…でも、もし余ったら、処分するのにまたお金が必要じゃない。」
「たわけもんが。そのお金が無限に生み出せると言うておろうが。」
「あつ…」
「人間は頭が良いようで、やはり馬鹿じゃの。こんな単純なことに気づかんとは…。」
「人が働く量を増やすったって、労働力足りないんじゃないの?少子高齢化よ、この国。」
「心配いらん。子供を産めば助成金がたっぷりもらえるように、江島にも梅ケ谷に動いてもらう。仕事は、いくらでも
「そんなに上手くいくのかしら… あれ?ちょっと待って。発行権が九ちゃんにあるから、好きなだけ発行できるって言ったわよね。でも、政府公認の仮想通貨って
「政府、というか進国党の依頼を受けて、儂の会社がつくった仮想通貨システムという形じゃ。まあ、システムはほぼ全部あの金髪メガネに作ってもらったがの。
BATコインとかいう先例を考えた人間がいたから、わりと簡単だったらしいわい。」
「新しい仮想通貨を作るのが簡単?そんなバカな…
「おぬし、まだあの江島と梅ケ谷が普通の人間だと思っておるのか」
「…まさか…九ちゃんと同類、なの?」
「ま、3人とも少しずつ違うがの。」
九頭龍は凛太郎の顔でニヤリと笑う。口元から牙がのぞく。
「さて、そんなことより。『りゅーポイント』という、円と等しい価値を持つ新しい通貨の発行権を、この儂が持っている。この意味が分かるかの、『うぇぶでざいなー』とやら。」
「…ひょっとして、ひょっとすると…」
「気づいたか。これからは日本の富を無限に増やせる。簡単にいうと、カネは使い放題じゃ。繰り返すがインフレの心配もない」
「…!!」
「ぬしの母堂は農家じゃったな。母堂の名義で農業法人を作れ。自治体からの支援金という名目で1億円分のコインを送金する。」
七海は卒倒した。
♦
これから10年ほどかけて、ひっそりと、実に多様な人や組織を対象に、政府や自治体からの給付金が生まれた。10年後には子育て手当などは毎年1000万円が給付されるようになり、「子どもを産めば勝ち組」という風潮が生まれた。20年かけて日本は少子化の波を完全に脱却し、人口ピラミッドは再びすそ野が広い形となった。もちろん、給付金の財源は葛原凛太郎(九頭龍)と梅ケ谷が生み出した、無限に発行できる『りゅーコイン』である。
九頭龍凛太郎と梅ケ谷は直接名前を出さずに関連団体をいくつも立ち上げ、無限に生み出せる財源を使って、様々な企業に様々な仕事を高値で発注した。注文時の支払額が高値のため、下請け、孫請け、ひ孫請けが延々とつづき、労働力は常に不足気味となった。失業率はほぼゼロとなり、人々はバブル以来の忙しさを不思議に思う間もなく働いた。30年後、日本人の所得は倍増し、表向きにこの『りゅーコイン』の考案者とされている「江島めぐみ」は、日本初の女性総理であり、かつ日本の経済を復活させた名宰相として、歴史に名を刻むことになるのであった。その陰に隠れ、葛原凛太郎、梅ケ谷慧、阿賀川七海の名前は、誰も知らないままである。
…と、いうのは、今より少しだけ先の日本の未来の話である。
♦
さて、『りゅーコイン』が導入されて一か月ほどが経過したある日。
ある人物が、とある建物の屋上に上ってきた。真っ白な薄手のコートを羽織り、白いニット帽をかぶっている。マスクも、コートの下のタートルネックのセーターも白である。男性にしては小柄である。女性だろうか。音楽家なのか、ギターケースを背中に背負っている。
白コートの人物は、見晴らしのいい建物の屋上の
今日は江島めぐみは千代田区の半蔵門駅ちかくの高級ホテル・ホテルグレイス東京である人物と会食をし、相談をもちかけられていた。
…自分で出張に行けば、少し羽を伸ばせるかも知れないのだが、今回は梅ケ谷に任すとしよう。あとは、あのコンビならきっと上手くやってくれるだろう…
『りゅーコイン』に関して、野党が予言していたような大きな混乱はない。そろそろ、コインの流通量を本格的に増やし、日本経済に再び息を吹き込もうか。そう考えながら、車をホテルの駐車場に取りに行った梅ケ谷がもどってくるのを、ホテルの外で待っていた。もうとっぷりと日が暮れている。
梅ケ谷が運転する車が、ホテルのタクシー乗り場で待つめぐみのもとへ近づいてきた。
突然。
車の運転席にいるはずの梅ケ谷の体が、バリバリと
と同時に。
「ピシュンッ!」と激しく空気を切り裂く音がして、「バシッ!」と極厚仕様の防弾フロントガラスにひびが入った。銃撃である。
「…‼」
「頭を下げて、車の陰に!」
梅ケ谷は、めぐみの体を守りながら周囲を警戒する。追撃はないようだ。敵は最初から、一撃が外れたら深追いするつもりはなかったらしい。騒ぎにしたくないのか、それとも。
(初めから江島先生に当てるつもりはなかったのか…?周囲の建物やアスファルトでなく車に当てれば、こちらが黙っている限り騒ぎにはならない…)
「…もう大丈夫のようです。強力な気配も、遠ざかっています。今日は挨拶がわりといったとこでしょう」
梅ケ谷とめぐみは、車の陰から出てくる。
「ふー…。予想はしていたけど…」
「思ったよりも、遅かったくらいですね。」
梅ケ谷は、敵はどこの人間か考えた。政府もとい進国党の経済政策が成功したら困るのは、誰か。日本経済が復活したら困る国は、どこか。
「さあ、車にどうぞ」
めぐみは後部座席に乗り込んだ。
「相手が… 普通の人間だといいんだけど。」
(つづく)
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