美和子が見た線香花火

夏の終わりに、憧れの駿佑しゅんすけくんから、一緒に花火をしようと誘われた。

私は舞い上がった。

まるで夢のようだ。


夜になった。

昼間はとっても暑いけど、日が沈むとだいぶん涼しくなる。

夏の終わりの夜を、憧れの彼と一緒に過ごせるだなんて、私はなんて幸せ者なの。


私達が手に持っている花火から、勢いよく華やかな色の光が吹き出していく。

そして、あたりに白い煙が立ち込める。


「花火、きれいだね!」


「そうだな」


駿佑くんは私を見てうなずく。

そして、こう言った。


「線香花火をしないか」


「いいね!」


やっぱり、花火の締めは線香花火だよね!


ちりちりちりちり……


二人で向かい合って、ちりちりと光る線香花火を見つめた。

もうすぐ夏が終わる。


ちりちりちりちり……


夏が終わっても、駿佑くんと一緒にいたいな。


そんなことを考えながら、私達は線香花火を楽しんでいた。


ちりちりちりちり……


そろそろ、花火もなくなってきた。


駿佑くんは、線香花火を持ちながら、私の顔を見つめてこう言った。


「俺と付き合ってください」


え?


私の心臓が高鳴る。


駿佑くんが持っていた線香花火から、火がぽとりと落ちた。

私が持っていた線香花火からも、火がぽとりと落ちた。

あたりが暗くなった。

私は言った。


「はい。よろこんで」



こうして、私達は付き合うこととなった。


夏の恋なんてすぐ終わるよ、と友達からは言われたけど、二人の気持ちが強ければ大丈夫だと思う。


* * *


秋になっても、私達は交際を続けた。


駿佑くんはとっても優しかった。

背が高く、肩幅もがっちりしていて、たのもしかった。

デートする時、私はいつも、彼の腕に抱きついていた。

こんなにかっこいい彼氏ができるなんて、夢のようだった。


「一緒に住もう」


そう言われ、ついに私達は同棲を始めた。


季節は寒い冬になったけれども、私の心はいつもぽかぽかだった。

だって、私には優しい駿佑くんがいるのだから。


* * *


春になった。


去年の夏に花火をした公園で、私は駿佑くんにプロポーズされた。

嬉しかった。

結婚前提で付き合っているつもりだったけど、やっぱりこうして、言葉ではっきり言ってくれて、私は安心した。

公園の桜は満開だった。

それは、私の心、そのものだった。


はらはらと、桜の花びらが舞い降りてくる。

嬉し涙が一筋、私の頬を伝って落ちていった。


駿佑くんには、身寄りがなかった。

小さい頃にお父さんが亡くなり、最近になってお母さんも亡くなり、兄弟は元からいなかった。

だから、彼のご両親に挨拶、なんてことはできなかった。

ちょっと憧れていたんだけどな、その状況。


私の両親への挨拶は、もうちょっと先にすることにした。

結婚資金を貯めてからにしようと、二人で話し合った。


幸せは長くは続かなかった。


駿佑くんは、仕事でミスをするようになった。

家にいるときも、彼の携帯が鳴って、やり忘れた仕事があるからと、急に会社に戻ることが多くなった。


食欲もなくなり、夜も眠れないと言ってつらそうだった。

ますます、仕事で失敗するようになっていった。


私が悪いのかな。

私と付き合っているから、駿佑くんはダメになったのかな。

私は駿佑くんを、きちんと支えることができていないのかな。


私もつらかった。


駿佑くんは診断書を私に見せた。

うつ病だった。

会社は休職することになった。


私のせいで、駿佑くんは病気になったのだろうか。

申し訳ない気持ちでいっぱいになった。


* * *


ある日、私が仕事から帰ると、部屋は焦げた匂いで満ちていた。

そして、白い煙が立ち込めていた。

駿佑くんが、いつもより落ち込んだ様子で、ソファーに横たわっていた。


火事?


台所を見ると、真っ黒に焦げた鍋がそこにあった。



「駿佑くん! お鍋を火にかけたまま、どこかに行ったの?」


「……分からない……」


「分からないって何? 火事になったらどうするの!」


「…………」


日に日に、駿佑くんの様子はおかしくなっていった。

火事になるのはさすがにまずい。


うつ病は、いつかは寛解するはず。

今は駿佑くんに寄り添って、病気を治すことに専念しよう。


私は仕事を辞めた。


* * *


駿佑くんはずっと家にいて、頭を使わなくなったからか、以前のようなキレの良さがなくなってきたように思えた。

何もしないでいるのもよくないので、私と一緒に料理をすることにした。


駿佑くんは、段取りや要領が悪かった。

これまで料理をしてこなかったからかも知れない。

これを機会に、料理を教えてあげようと思った。


けれど、駿佑くんの料理は、まったく上手にならなかった。

駿佑くんは言った。


「ここで塩を入れるんだよね?」


「駿佑くん、さっき自分で入れてたよ」


「いや、まだだよ」


「さっきここから小さじ2杯、すくって入れてたよ」


「入れてないよ」


私は呆れた。

男の子って、みんなこうなのかな?


* * *


ある日のこと。

私がうとうとと居眠りをしている間に、駿佑くんがいなくなっていた。


散歩に行ったのかな。

それとも、買い物にでも行ったのかな。


結局、日が沈んでも、駿佑くんは帰ってこなかった。

彼の携帯電話は、家にあった。

だから、連絡を取りようがない。


心配だった。


私と付き合うのが嫌で、家出をしたのかな。

私が怒りすぎたからかな。


後悔した。


仕事もしないで家にいて、家事もまともにできない駿佑くんを、私は叱ることが多くなっていた。

だんだんイライラが募っていたところだった。


けれども、いなくなってしまうと、やっぱり寂しかった。

駿佑くんのいない生活なんて、私には考えられなかった。


* * *


夜になって、警察から電話がかかってきた。

駿佑くんは隣町の警察署に保護されていた。

何をやってしまったの?

私は、彼を引き取りに行った。



駿佑くんは無事だった。

けれども、とてもしょんぼりした顔をしていた。


駿佑しゅんすけくん。もう、どこにも行かないで」


「ごめん……」


駿佑くんの声を聞いた途端、私の目から涙があふれてきた。


警察の人が言うには、駿佑くんは迷子になっていたとのこと。

迷子って……

いい歳して、まるで子供みたい……


「駿佑くん、家に帰りたくなかったの?」


「……違うんだ。どこにいるのか、分からなくなったんだ……」


冗談で言っているようには聞こえなかった。


「駿佑くん、これからは出かける時は、私と一緒に行こうね」


彼はしばらく黙っていたけど、やがて、うなずいてくれた。


* * *


休職期間が明けようとしていた。


駿佑くんは早く職場に戻りたいと、前々から言っていた。

それはそうだろう。

駿佑くんは、すっかり自分に自信をなくしていたからだ。

バリバリ仕事をすれば、また自信を取り戻せるかも知れない。


しかし、復職は叶わなかった。


「回復の見込みなし」


そう診断され、駿佑くんは会社をクビになってしまった。


駿佑くんは、ただのうつ病ではなかった。


『若年性認知症』


駿佑くんはまだ若いのに……

認知症だなんて……


けれども、思い当たることはたくさんあった。

駿佑くんは、確かに物覚えが悪くなっていた。


私はこれから、どうしたらいいんだろう……


駿佑くんとこれからの人生を生きる自信がなかった。

何度も別れを考えた。


けれども、踏み切ることはできなかった。

やっぱり、私は駿佑くんのことが好きだった。


認知症になったけれども、駿佑くんは私にとても優しかった。


* * *


ある日、駿佑くんは私に言った。


「ごめん。結婚するって約束したのに……」


え?

それって、どういうこと?



私を捨てないで……



「駿佑くん、これからも一緒にいようね」


駿佑くんの表情が、ぱっと明るくなった。


よかった。

駿佑くんは、私と別れたいわけではなかったんだ。


* * *


夏も終わりに近づいた。


駿佑くんは言った。


「美和子、花火をしに行かないか」


「いいね!」


私達は、花火を持ってあの公園に行った。

そう、私が駿佑くんに告白された、あの公園に。


一年前のあの日を思い出し、私はとても懐かしい気持ちになった。


私達が手に持っている花火から、華やかな光が勢いよく吹き出していく。

そして、あたりに白い煙が立ち込める。


「花火、きれいだね!」


「そうだな」


駿佑くんは私を見てうなずく。

そして、こう言った。


「線香花火をしないか」


「いいね!」


やっぱり、花火の締めは線香花火だよね!


ちりちりちりちり……


二人で向かい合って、ちりちりと光る線香花火を見つめた。

もうすぐ夏が終わる。


ちりちりちりちり……


夏が終わっても、駿佑くんとずっとずっと、一緒にいたいな。


改めてそんなことを考えながら、私は線香花火を楽しんでいた。


ちりちりちりちり……


そろそろ、花火もなくなってきた。

花火が終わる。

夏が終わる。


駿佑くんは、線香花火を持ちながら、私の顔を見つめてこう言った。


「俺と付き合ってください」


え?


私は動揺を隠せなかった。


駿佑くんが持っていた線香花火から、火がぽとりと落ちた。

私が持っていた線香花火からも、火がぽとりと落ちた。

あたりが暗くなった。

私は言った。


「はい。よろこんで」


私は一年ぶりに、再び告白されてしまった。

この一年、いろんなことがあったけど、もう一度、スタートラインに戻ってやり直そう。

そう思えた。


* * *


明くる日。

私は言った。


「昨日の花火、楽しかったね。私、すっごく嬉しかったよ!」


「?」


駿佑くんは、きょとんとした顔をしていた。

そして、こう言った。


「美和子、花火をしに行かないか」


「だって……花火なら、昨日……」


そこまで言って、私は気がついた。

駿佑くんは昨日のことを覚えていないんだ。


「夏も終わるし、俺、どうしても美和子と花火がしたいんだ」


「……う、うん……」


夜にもう一度、花火をすることにした。


昨日したばっかりだというのに、駿佑くんはとっても楽しそうに花火をしている。

私の心は、押しつぶされそうになった。


「線香花火をしないか」


私は目を閉じた。


深呼吸をしてから目を開ける。

そして、笑顔を作ってこう答えた。


「いいね!」


ちりちりちりちり……


二人で向かい合って、ちりちりと光る線香花火を見つめた。

もうすぐ夏が終わる。


ちりちりちりちり……


夏が終わっても、私と駿佑くんとの暮らしは続いていく。


そんなことを考えながら、私は線香花火を見つめていた。


ちりちりちりちり……


そろそろ、花火もなくなってきた。

花火が終わる。

夏が終わる。


駿佑くんは、線香花火を持ちながら、私の顔を見つめてこう言った。


「俺と付き合ってください」


駿佑くんが持っていた線香花火から、火がぽとりと落ちた。

私が持っていた線香花火からも、火がぽとりと落ちた。

涙が一筋、私の頬を伝って落ちていった。

あたりが暗くなった。

私は言った。



「……はい。よろこんで」




< 了 >

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線香花火 神楽堂 @haiho_

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