第七十八話 獣人さんと領都。
何も疑うことなく、アーシェリヲンは着替える。姉テレジアや母エリシア、家人の前で着替える習慣があったからか、メリルージュの前でも気にしていなかった。
「アーシェの坊主。よく平気だな?」
「そうですか? 別に気にしませんけど」
「ガル。これがね、貴族なの。家族や家人の前で着替えるのは普通のことなのよ、ね? アーシェ君」
「そうですね」
左の胸元に見覚えのある、皿とフォークとナイフの模様。アーシェリヲンは、ユカリコ教の神官の制服を身につけていた。ガルドランはあの日、アーシェリヲンたちの護衛を務めてくれたエルフォードと同じ制服だった。
ただ、違っていたのは、アーシェリヲンが身につけているものに生地は純白で、ガルドランは漆黒だったことである。
「これって、ヴェルミナ叔母様と同じ色なんですね」
「よく覚えてるわね。この色はヴェルミナとアーシェ君だけしか身につけていないわ」
「そうなんですか?」
「えぇ。ヴェルミナから手渡されたんだもの」
「それにしても師匠」
「どうしたの? ガル」
「俺のサイズ、よくありましたね」
「色々想定されてるのよ。ビルのサイズもあるくらいだもの」
「へぇ……」
ガルドランは自分の服を見て質問する。
「ところで師匠、なんで着替える必要があったんです?」
「当たり前でしょう? ユカリコ教の馬車に関係者が乗っていないのはおかしくないかしら?」
「あ、あぁ、確かに」
「そうですねー」
納得し、気を取り直して馬車を走らせる。
ちらほらと見えてくる人影。徐々に近づいていくと、人種の姿とは見た目で違う、ガルドランそっくりの人たち。毛の色もガルドランのように濃いめの色味が多く、一見すると違いがわかりにくい。
馬車を視認した人たちは、足を止めて手を振ってくれる。なぜならこの馬車の正面と左右、後ろにはユカリコ教のマークである、皿の上にフォークとナイフが交差している絵が描かれているからだ。
会釈ではなく手を振ってくれるところが、ユカリコ教がどこでも受け入れられている証拠なのだろう。それがガルドランのような狼人が御者をしていてもだった。
「領都といってもな、そんなに大きくはないんだ。俺の生まれた村も、すぐ隣りにあるくらいだからな」
「そうなんですね」
「話には聞いていたけれど、彼らの見分け、あたしには無理だわ。皆、ガルドランに見えてしまうもの……」
「あー、それは確かに」
「そうか? 俺には違いがわかるんだけどな。ほら、あの人だと耳の先、毛の色が少し薄いだろう? あの女性も、尻尾の先が赤茶けた色になってる」
「なるほどー。そういう見分け方があるんですね」
「匂いも全然違うんだぞ?」
「なるほどなるほど、勉強になるな……」
アーシェリヲンは何やらメモをとっている。
「ガル、見習いなさい。少なくとも、初めて耳にしたことはメモをとるようにしないとね」
「はい、師匠……」
さっきまで揺れていたガルドランの尻尾はしなだれてしまっている。実にわかりやすいと、アーシェリヲンは思っただろう。
「ガル兄さん」
「どうした?」
「そういえばここは、神殿はないんですか?」
「ないぞ。探索者協会もな」
「なるほどー、ウィンヘイムもそうなんです。小さな港町ですからね」
「そうなのか。ここよりは大きいんだろうな」
「どうでしょうね。僕、ウィンヘイムを歩いたことないんです」
「あぁ、すまない。悪いことを言ったな」
「大丈夫ですよ。いずれゆっくり歩けるときがくると思いますから」
「そういうところよ、ガル」
「はい、師匠……」
領都の道を真っ直ぐに進んでいく。領都の端あたりだろうか? やや大きめの屋敷が見えてくる。
「ガル兄さん、あれがもしかして?」
「あぁ、ここの領主の屋敷なんだ」
鉄格子にも似た、ガルドランの身長より高そうな門が、こちら側と屋敷を阻んでいるかのように存在する。すると、館の家人なのか、男性がこちらへ歩いてくる。
「失礼します。ユカリコ教の方々が何用でございますか?」
「ガル、『司祭様が領主殿に所用があると伝えてください』と言いなさい」
「は、はい」
ガルドランはメリルージュに指示されたまま男性に伝える。すると『少々お待ちください』と慌てて戻っていく。走っている。
「……ところでメリルージュ師匠、司祭様ってどこにいるんですか?」
「ほら、ここにいるじゃないの、アーシェ君」
メリルージュは笑顔でアーシェリヲンを指さした。
「えっ?」
「大嘘ですね、師匠」
ガルドランは楽しそうな口ぶり。尻尾も左右に揺れている。
「あら? そうでもないのよ。アーシェ君はヴェルミナの次の位にいるのよ? 探索者協会なら金の序列、副総司祭長といってもいいかもしれないわ」
「えぇ?」
「いいんですか、それって?」
「じゃなければその服、袖を通せるわけないんだから。臨時的にだけどね、アーシェ君はこの時点で副総司祭長に就任したようなものなの」
「何ですかそれは……」
「そうしたほうが、都合がいいのよ。ここを乗り切るにはね」
「何が起きるんですか、これから……」
アーシェリヲンもガルドランも、メリルージュの考えがさっぱり読めないでいる。
▼
「これからよろしくね、アーシェリヲン君」
「はいっ、よろしくお願いします。えっと」
「イレイナでいいですよ」
「はい。イレイナお姉さん」
メリルージュとイレイナアリーアの間に挟まれるようにして座っているアーシェリヲン。彼らは一路、王都を目指している。
あれから展開は早かった。イレイナアリーアの父であるウォアレル騎士爵と面談した際、ガルドランがユカリコ教の幹部になっていたことで事態は急展開。
ユカリコ教と探索者協会が繋がっていることは、貴族とはいえ末端に近い騎士爵では知らないことだった。おまけにこのグランダーグでは、探索者協会はあくまでも、近隣諸国にもある名の通った互助組織。ユカリコ教のネームバリューとは比べものにならないわけである。
ガルドランが出世したことを認め、イレイナアリーアとの婚姻を許可してもらえた、というわけであった。
「俺のこれまでの苦労って、いったい何だったんだろう……」
「ごめんなさいね。うちの父が頑固で」
「いえ、その、俺も」
「そうよ。ガルが勉強不足だからこんなに遅くなってしまったの。ごめんなさいね」
「いえ。でも助かりました。年を越したら私、三十になるところだったんです。せめて二十代でとは思っていましたので」
「え? 姉さん、まだ二十八だったんじゃ?」
「ガル君は何を言ってるのかしら? 私今、二十九なんですけど?」
「あーらら。危うくとんでもないことになるところだったわけなのね。駄目じゃないの、そういうところよ。ガルが金に上がれなかったのは」
「ご、ごめんなさいっ」
御者席に突っ伏すように、全力で謝罪するガルドランだった。
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