第五十一話 逃げのびて。

 街道へ出ると、右を見ても左を見ても何もみえない。


「少し歩きます。いいですか?」

「はい」

「ちょっと待ってくださいね」


 アーシェリヲンは予備の外套を取り出す。これはどうしても寒くなったときに、羽織ろうと思っていたもの。だから一回り大きなものを選んでいた。


「これ、どうぞ」

「あ、ありがとうございます」


 リルメイヤーに外套を手渡し、羽織ってもらう。


「寒くありませんか?」

「はい。ありがとうございます」


 アーシェリヲンは、右へ折れてしばらく進むことにする。休み休み、小一時間ほど歩いたあたりで、街道脇の林へ入っていく。


「このようなところまで、大丈夫なんですか?」

「はい。目立つところにいるより、こっちのほうが慣れていますから」


 足場の悪いところを避けて、ゆっくり進むと大きな木が見えてくる。


「ここまで来たら一安心だと思います。まさか林の中に逃げるとは思っていないでしょうからね」


 アーシェリヲンは、大きめの敷布を取り出す。木の根元に敷くと、大きめの毛布も取り出す。ガルドランに言われたように、何かあったときのために色々と持ち歩いていたのだった。


「どうぞ、座ってください。ここで夜を明かしますので」

「はい」


 アーシェリヲンは、毛布を手渡した。もう一枚取り出すと、羽織って見える。リルメイヤーも同じように毛布を羽織った。


「あの、アーシェリヲンさん」

「はい」

「助けていただいたんですね?」

「いえ、僕も実は、さらわれてしまったんですよね」

「えぇっ?」

「それで逃げだそうとした際にですね、たまたまあいつらの話から、もう一人捕まっているのを知ったんです。それでヤツらにちょっと痛い目にあってもらって、捕えられていた部屋を聞き出したんですね」

「そうだったんですね。助けて頂いて、本当にありがとうございました」

「いえいえ、どういたしまして」


 相変わらずその場で、ぺこりと会釈するアーシェリヲン。


「えっと、これと、これと」


 水筒にはやや温かいお茶。おそらく人肌程度だと思われる。カップを二つ。パンを三つほど、皿を出して上に乗せる。


「それは?」

「はい。探索者協会でお借りしている魔法袋という道具です。温かい飲み物はその、火を使うわけにいかないので、明るくなるまで我慢してくださいね」


 アーシェリヲンが右腕につけている『呪いの腕輪』は、重さと広さを魔法で抑えつけているもの。状態の保存機能があるわけではないから、温かいお茶を入れても徐々に冷めてしまう。


「日持ちのする堅いパンしかありませんが、とりあえずお腹に入れましょう。僕も何日眠らされていたかわかりませんでした。あむ、……うん。昨日買った買ったときと味も変わっていないです」


 先に食べてみせるアーシェリヲンクォリティ。


「いただきます。保存食でしょうから堅さは確かにですが、美味しいパンですね」


 やっと落ち着いたような、優しい笑顔をみせてくれた。


「はい。ごはんも美味しいんですよ」


 星明かりに照らされたリルメイヤーは、アーシェリヲンの目にも綺麗にみえた。誰かに似ていると思ったら、姉のテレジアに少しだけ似ている感じがする。側頭部から上にかけて大きなふさふさの耳。尻尾も銀色の長毛でふさふさしている。


 ただ獣人種のガルドランと違うのは、顔がやや人に近い。あの男たちが人獣と呼んでいたのはこういうことだったのだろうか?


 耳と尻尾だけみると、本で読んだ狐人という種族に相違ない。おそらくそうなのかもしれないと、アーシェリヲンは思っただろう。


 パンを食べ終えると、安心したのか、リルメイヤーはアーシェリヲンの肩に寄りかかり、寝息を立てて寝てしまっていた。


(明るくなったら村か町までがんばろう。そこにはきっと、探索者協会かユカリコ教の施設があるはずだから)


 ▼


「あ、起きましたね? 大丈夫ですか? 身体の調子がおかしいところはありませんか?」


 気がつけばリルメイヤーの身体には、二重にも三重にも毛布がかけられていた。おかげで朝の冷え込みも気にせず熟睡できていたようだ。


「いえ、その。ゆっくり眠れました」

「それは良かったです。今温かいお茶を入れましたので、あと味気ない昨夜と同じパンですが朝食にしませんか?」

「はい、……ありがとうございます」


 パンを一つずつ。温かいお茶を飲み、とりあえず落ち着いた感じがした。ここはどこかはわからないが、少なくともヴェンダドールより南に位置しているのだろう。その証拠は雪が降っていないからだ。


 南側にあるかもしれないわりに、潮の香りがしない。だから海は近くないだろう。アーシェリヲンには、その程度しか判断ができなかった。


「あ、山石榴やまざくろ、食べますか?」

「そんなのまであるんですね。いただきます」


 ナイフで二つに割って、リルメイヤーに渡す。


「いい香り、……二つともいただいてよろしいのですか?」

「はい。まだ五つくらいありますから。遠慮せずにどうぞ」

「では、……甘酸っぱくて美味しいです。久しぶりに食べた気がします」


 本当に喜んでくれているのがわかる。なぜなら、ガルドランと同じように、尻尾が揺れていたからだ。


「リルメイヤーさん」

「リルでいいですよ」

「ではリルさん。ここ、見覚えありますか?」

「……残念ながら」

「そうですよね。僕にもさっぱりなので……」


 ちょっとした自己紹介をしたのだが、リルメイヤーはアーシェリヲンが十歳ということに驚いていた。あまりにも大人びていたからだろう。


 リルメイヤーは十四歳。アーシェリヲンがしっかりした子だったため、同じくらいの年だと思っていたようだ。


 リルメイヤーは標高が高く、大きな湖のある国、フェイルウッドから来たらしい。なんでも馬車で野営をしている際に襲われたらしいのだ。彼女は就寝中だったこともあり、馬車で眠る前のことしか覚えていないとのこと。


 幸い、アーシェリヲンに助けられるまで、目覚めることがなかったそうだ。怖い思いをしないでよかった、とアーシェリヲンは思った。


 二人は一定の間歩いて、少し休んでを繰り返し、街道を進んでいった。その間も身の上話のような雑談を続けている。


「――それでですね、倒れていた人を助けようとしたら、そいつが人攫いだったんですね……」

「優しいんですね、アーシェリヲンさんは」

「いえ、人攫いに優しくしてどうするんだと、反省してはいます」

「こんなだらしない姿を見られたら、兄弟子と師匠に怒られるかもしれません」

「兄弟子さん?」

「はい。狼人の男性で、同じ探索者なんです。僕よりも序列が高いんです。とても大きくて、ちょっと怖い顔をしていて」

「私の国でも男性は同じような感じです。細身の人が多くて、がっちりした人がすくないので、狼さんみたいに強そうには見えませんけどね」

「狐人さんはそんな感じなんですね」


 こうして、知らない知識を得るのは、アーシェリヲンにとってとても楽しい。


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