第四十八話 日常と予想外の出来事。

 メリルージュに弟子入りをし、弓を習っていたアーシェリヲンは、ある意味免許皆伝に近いものを言い渡されてしまった。その後、休みの日以外は、毎日二羽の羽耳兎を仕留めてくるようになる。そのあと二十箱の『魔石でんち』を染めるのがルーティンワークになりつつあった。


 休みの日でも、『魔石でんち』だけは染めておく。そうして順調に序列点も重ねていく。そんな毎日が続いていた。


 寒さも厳しくなり、雪も深く積もっている。海に面しているグランダーグと違って、ここヴェンダドールは内陸で高地なこともあり、雪はかなり多いほうだ。


 寒い冬場は、一般家庭でも『魔石でんち』の消費も多くなる。この協会本部からの納品が多くなったことで、取引先の商家も感謝していたと聞いている。アーシェリヲンが多く充填すればするほど、探索者協会の利益は増えていく。そのおかげでこのヴェンダドール本部は依然と比べると、財政的にかなり潤っている。


 探索者協会の懐具合に余裕が出たことによって、施設を利用する探索者も恩恵を受けている。例えば、協会で運営している食堂の料金が以前よりも安く提供されていることだ。


 食堂はこの施設の宿舎を利用している探索者だけでなく、通いのものも利用している。『れすとらん』には負けるが、味はかなりいいと評判だったりするのだ。


 時折姿を見せる協会長のガーミンも、昨年までは苦虫をかみつぶしたような表情だったが最近は穏やかな感じになっている。金銭的な心配がなくなったことで、気持ちにも余裕ができたのだろう。


「現金なもんだよな、なぁ、アーシェの坊主」

「あははは」


 もちろんガルドランも、限られた予算の中から人件費などの経費などを考えて運営する責任者のガーミンが大変なのはわかっている。だからこれまで彼も、数多くの依頼をこなす努力をしているわけだ。


 アーシェリヲンは最近、弓ばかり使っていたからか、空間魔法はあまり使っていない。その代わり、『魔石でんち』の充填作業をかかさず行っている。そのせいもあり、日に日に魔力の総量が上がっている実感がある。


 なぜなら、毎日二十箱充填しているのだが、左腕の『魔力ちぇっかー』は朱色以上になることがない。だが、倉庫にある『魔石でんち』のストックが三十箱しかないため、これ以上は自粛している。


 『魔石でんち』一箱で銀貨六枚。二十箱で百二十枚。金貨に換算すると十二枚になる。アーシェリヲンにこれだけ入るということは、翌日同じ枚数の金貨が探索者協会にも入るということ。これでもやりすぎでないだろうか、と心配されてしまっている。


 最初は魔法袋を購入するために金貨を沢山貯めるというのが目的だった。だが、『呪いの腕輪』を貸与されてしまったから買う必要もなくない。正直言えばアーシェリヲンには使い道のないお金になりつつあるのだった。


 ▼


 あと数日もすれば年を越すという寒い日だった。アーシェリヲンは狩猟の感覚を養うために、毎日獲物を狙いに林へ潜っていた。


 防寒効果の高い外套を羽織って、その下にも防寒着を着込んでいる。かなりモコモコな状態だからか、寒さは気にならない。


 最近サボり気味だった空間魔法の鍛錬も少し前から再開していた。秋から春にかけて実をつける山石榴が視界に入ると、こちらへ取り寄せる。相変わらずの鋭い切り口には呆れるほどだ。だが、これの程度はただの余興。


 雪が多く降る前は、毎日二羽の羽耳兎を獲っていた。その方法は弓だと報告しては射るが、実のところ弓は止めを刺しているだけ。


 羽耳兎を見つけると、一度空間魔法で引き寄せる。足下に放すと、逃げていくところを弓で狩る。結果的に弓を使ってはいるだけ。視認したら逃がすことはなかったわけだ。だが、二羽以上は自粛していた。それ以上は乱獲になると思ったからだ。


 アーシェリヲンはいつものように、羽耳兎を探すつもりでいた。その日は街道沿いを進み、しばらく進んだあたりから林へ入っていく。街道から十分ほど進んだあたりだっただろうか?


 アーシェリヲンが見ていた先に、人が倒れているのを確認できた。もしかしたら狩人か、探索者かもしれない、そう思っていつつも辺りに獣が出ないか注意をしつつ、倒れている人の傍に近づいた。


 アーシェリヲンはしゃがんで声をかける。


「大丈夫ですか?」


 アーシェリヲンは倒れていた男の胸に耳をあてる。息はあるようでほっとする。ただ、今日の寒さではこのままだと大変なことになる。男の目が薄く開いた。


「大丈夫ですか? 今助けを――」


 瞬間、腹部に激痛が走る。同時に、アーシェリヲンの口元を、何やら甘い匂いのする布のようなもので塞げてしまう。腹部に受けた苦しさと痛みから、思わず吸い込んでしまい、徐々に意識が朦朧もうろうとしてきた。


(こ、これ……)


 頭が回らず、アーシェリヲンはついに、意識を手放すことになってしまった。


 ▼


 アーシェリヲンは意識を取り戻したようだ。だが、どれだけの時間が経ったのかわからない。目の前は暗い。その理由は布のようなもので目隠しされているからだろう。同時に、口を開けたまま布を噛まされている。

 後ろ手に縛られており、足も同じ。身動きが取れない状態だ。


(あれ? 確か僕、誰かを助けようとして……)


 まずはとにかく、冷静に状況の判断。右手の指は動く。左手も動く。足首も動かせる。全身に痛みを感じるところはない。故に大きな怪我をしていることはないようだ。


 倒れる前に嗅がされたあの甘い匂い。おそらくは薬か何かだったのだろう。おそらくアーシェリヲンは、誰かに連れ去られた。そう考えるのが妥当だろう。


 なぜアーシェリヲンが冷静でいられるか、それは父フィリップの教えの賜物たまものである。


 貴族の子として生まれたからには、何かしらの理由で狙われる可能性がある。洗礼を受け、お披露目が終わって、学舎へ通うようになったら特に気をつけるようにと、教えられていた。


 だが、アーシェリヲンが貴族の子だというのは、一部を除いて誰も知っていない情報のはず。こうなった要因は他にあると思っていいだろう。


 右手の親指で、小指の根元を触る。『呪いの腕輪まほうぶくろ』は装着さられたままのようだ。頬にあたる冷たい感触から、床に寝かされているのは間違いないだろう。


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