・3-5 第25話:「洗礼:1」

 [楽園]とは、どういう場所だったのか。

 口をつぐんで黙秘を貫くカナエに、少女はしつこく食い下がり続けたが、その内とうとう怒り出した。


「むーっ! なんで、教えてくれないのさ!? どーして内緒にするのー!? 」


 周囲は見渡す限りの不毛の大地。

 こんな場所で一人きりで放り出されたら、数日も生き延びることはできないだろう。

 このまま、この女の子の機嫌を損ねるのはマズい。


「あっ……! いたっ! いたたたたたっ! 」


 そう思ったカナエは、咄嗟に頭を抱えて痛がってみせていた。

 すぐに、少女の表情がいら立ちから、気づかいのものに変わる。


「ど、どうしたの!? どこか、怪我でもしたの!? 」

「ぅ、ぅぅぅ……。きっと、長い間冷凍睡眠していたせいでしょう……」


 こちらの顔をのぞき込んで来る女の子に、メイドは内心で重い罪悪感を抱えながら、それでも演技を続けながら嘘を並べ立てる。


「昔のことを思い出そうとすると、頭が……。頭が痛くて、たまらないのです……」

「え、えーっ!? それじゃぁ、[楽園]のお話、聞かせてもらえないのぉ!? 」


 酷く落胆した様子を見せ、しばらく憮然ぶぜんとした表情になっていたが、どうやら少女はカナエの嘘を信じたらしい。


「ぬぅん……。それじゃ、仕方がない。無理に聞いたら、かわいそうだし」

(あああああっ! ごめんっ! ごめんねっ!!! )


 もう、内心では平身低頭、謝りっぱなしだ。

 だが、どうやら終わってしまったらしい地球で蘇ってしまった以上、生きていくためには他に手が思いつかなかった。


「う~ん……。じゃぁ、あたしの住んでいるお家に招待するね。お姉さんはそこで休んでいた方がいいだろうし」

「あ、ありがとうございます、お嬢様」


 気づかってくれたことに礼を言うと、少女はなんだか恥ずかしそうに身体をくねくねとさせる。


「お姉さん、その、お嬢様っていうの、なんだかくすぐったいよ! あたし、ステラっていうの。だから、そう呼んで欲しいな」

「は、はい。かしこまりました、ステラさん」


 ここでようやく、カナエも、少女の名前を知ることができた。


(一歩前進、かしらね)


 お嬢様と呼ばれることをこそばゆく思っていたらしいステラの、まだ幼さの残る仕草に、とんでもない世界で目覚めてしまったものだと絶望しかけていたメイドは少しだけ明るい気持ちになることができた。

 少なくとも、今のところはたった一人だけでこの荒野に放り出されたわけではなく、誰かの助けを期待できる。

 それはきっと、自分が世界の滅亡を逃れ、長い間生き延びて来られたことと同じくらい、幸運なことなのだろうと思う。


「じゃ、ついて来て! クレーンとかが使えないから、ハシゴで下りるの。滑らないように気をつけてね! 」

「え、ええ。わかりました」


 早く、どこでもいいから少し休みたい。

 そうして少しでもこの状況を理解したい。

 カナエはステラの提案に二つ返事でうなずいていたが、すぐに困惑してしまっていた。


(えっ、ええーっ!? ここから下りるのぉっ!? )


 どう見ても、この足場は地上から数十メートルもの高さがあるのだ。

 しかも少女が向かっていく先にあるハシゴは、明らかに手作りのもので、廃材を寄せ集めたものだ。足場が自身の体重を十分に支えてくれているように、きっとあのハシゴも相応の強度があるのだろうが、命綱もないし、自身の手足で身体を支える以外に頼れるものがなにも無い。少し足を滑らせただけでも、真っ逆さまになってしまう。


「ちょ、ちょっとまっ……! わぁぁぁっ!? 」


 スタスタと歩いて行ってしまうステラを呼び止めようと慌てて駆け出そうとしたカナエは、直後、悲鳴をあげていた。

 足を隣の足場の床板に踏み出した瞬間、ぐわん、と大きくたわんだからだ。


「す、ステラさん!? こ、この足場は、本当に大丈夫なんですか!? 」


 急いで手すりにしがみつき、遥か彼方にあると思える地上を見下ろして表情を青ざめさせたメイドは、震える声でそう確認する。


「え? 大丈夫って、なにが~? 」

「急に外れて、落ちないかっていうことです! 」

「あ~あ~、ダイジョーブ、ダイジョーブ! ダイジョブネーっ!! 」


 振り返った少女はにぱっと八重歯を見せて笑うと、あまりアテにならなさそうな口調で軽く言いながら、ひらひらと手を振って見せる。


「あたしが走り回っても、全然、平気だし。それに、大人の男の人が動き回っても大丈夫なように作ってあるから」

「ほ、本当、ですかぁ……? 」

「ホント、ホント! 」


 あからさまに怯えた声でたずねるカナエの様子をなぜか嬉しそうに見ていたステラだったが、その顔に悪戯っぽい笑みが浮かぶ。


(ヤな予感……! )


 戦慄せんりつと共に得た直感は、的中した。


「ほら、ほら! 飛び跳ねても、ぜ~んぜん、ダイジョーブ! 」


 ぴょん、ぴょん。

 少女は、わざわざメイドが乗っている足場板に移動してきて、そこで元気に飛び跳ね始める。

 彼女としては、ちょっとからかうくらいのつもりだったのだろう。

 だが、カナエにとっては、恐怖でしかなかった。

 足場板がぐわんぐわんと大きくたわみ、部材がガッチャンガッチャン騒いで、シェイカーの中で激しく振られたらこんな感じだろうと思える程に激しく揺さぶられる。


「や、やめてっ! お願いだからっ!!! 」


 それはもはや、懇願こんがんであった。


「あっはっはっはっ! お姉さん、おっかしいの~! 」


 その様子を見て、ようやく飛び跳ねるのをやめてくれたステラは、ケラケラと腹を抱えて笑い出す。

 ———悪意は、まったく感じられない。

 だがカナエはまなじりに涙を浮かべながら、ギロリ、と本気で睨みつけていた。


「あ、えっと……。ごめんなさい」


 どうやら本気で怒らせてしまったらしいと気づいた少女は、すぐに真顔になって、すまなさそうにぺこりと頭を下げて来た。

 それからきびすを返し、ハシゴのあるところまで向かうとまた振り返って、おいでおいで、と手を振る。


「あたしが先に降りるから! おねーさんは、ゆっくりついてきて! 」


 からかい過ぎたと思ったのか、自分が先に降りて安全だということを示そうとしているらしい。


(あら、素直なコ……)


 その態度に溜飲りゅういんを下げながら、カナエはあらためて地表との距離を確認して、ブルブルと身震いをする。

 目覚めたこの終末世界には、まだまだ、多くの試練が待ち受けていそうだった。

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