・2-6 第16話:「新しい朝」

 マグカップ一杯分の、六十度以上にまで温められたお湯。

 直火で加熱したので少し煤っぽい味のついたそれをゆっくり、一口ずつ大切に飲み干すと、身体の芯からポカポカとして人心地がついた気持ちになった。

 それからステラは、かまどの前でぱたんと横になり、毛布にくるまったまま朝日が顔を出すのを待つ。

 せっかく起き出してみたはいいものの、暗いうちに活動し始めてもまともな成果は得られない。今はじっと休んで体力の消耗を抑え、次に空腹を覚える時間を先延ばしにすることが、生き残るための方法だ。

 ほどなくして石炭は燃え尽きてしまったが、余熱でまだ暖かさを感じられた。マグカップに水を注ぎに行ったついでに満たして来た水筒も加熱し、湯たんぽ代わりに抱きしめていたのと、ずっと身に着けていた毛布もいい具合に暖まって来てくれたおかげで、ステラはそのままうとうととまどろんでいることが出来た。

 むき出しの砂地の上にごろ寝、という状態だったが、そんなことには慣れっこだ。世界中がこの砂、燃え尽きた文明世界の残滓でいっぱいであったし、遮断しようとしてもどこかから必ず服の中に忍び込んで来るからだ。

 やがて彼女は、周囲が明るくなってくると動き出した。

 毛布を畳んで寝床に戻し、部屋の中の整理を行い、火を使った後片付けも済まして、家から出る。

 東の空、クレーターの端から、太陽が顔をのぞかせていた。

 新しい一日の始まりを告げる強い光に似た色をした少女のボサボサの髪が、朝日を浴びてより一層その色合いを強くし、キラキラとした輝きを放つ。


「ん~っ! 今日も、いい天気! [星屑]日和だね! 」


 ただでさえ独りで寂しいのに、うつむいていてはもっと陰気な心地になってしまう。

 前を向いたステラは自分を鼓舞する意味も込めて明るい口調でそう言うと、夜の間は寒さに耐えるためにずっと縮こまらせていた身体をぐいっと伸ばして、数回ストレッチのようなことをした。

 そんな彼女の頭上を、[星屑]がキラリ、キラリと煌めきながら流れていく。

 この終末世界では、天気は基本、晴れている。白い雲が浮かんでいることだけでも珍しい。少女の記憶では、空の大部分が雲で覆われたら特別な日。雨が降ったことは数えられるくらいしかない。

 こうした乾燥した気候となっているのは、地表がまんべんなくこんがりと焼かれ、土壌がセラミックス化してほとんどの植生が滅び去り、保水能力もほぼ失っている、ということだけが原因ではなかった。

 過去、資源の乏しくなった地球から宇宙へと進出しようと盛んに開発が行われていた時代、水は軌道上居留地や他の惑星に建設中の宇宙都市に生態系を根づかせるために欠かせないものとして、あるいは当時広く用いられていた動力である核融合施設の燃料となる水素を取り出すための供給源として大量消費されたため、この星に存在している水分の量自体が目減りしているためだ。

 かつて地表の七割を占めていたという海は縮小し、より濃縮された濃い塩分濃度の海水として存在している。海が減った分陸地は拡大し、それだけ内陸と海との距離が遠くなって雲の元となる水蒸気が届きにくくなっているから、晴れの日ばかりが多い、というわけだ。

 もし雨が降ってくれたら、しばらくは水に困らないだろうし、ステラは喜び勇んで身に着けている衣服を脱ぎ捨て、大はしゃぎしながら水浴びと洗濯せんたくにいそしむことだろう。どうせ誰もいないのだから裸になったところで恥じらいも感じない。

 しかし、空には雲のひとつも見当たらない。

 そのことを少し残念に思いながら体操を終えた時、少女の腹が控えめにくぅと鳴った。


「むぅ~。ご飯なら昨日、食べたでしょ!? 」


 ステラは憮然とした表情で自身の腹部を見おろし、ぴしゃり、と叱りつけて腹の虫を黙らせようとする。

 ———実際、小腹が空いていた。

 食べた、と言っても、所詮しょせんはパンが二つだけ。それも何日もまともに食べていないところにようやくありついた食べ物だ。

 焼かれてからさほど時間の経っていない柔らかな、だが、しっかりと実の詰まっている良質なパン。一気に食べたのでその時はずいぶんお腹が膨れて嬉しかったが、しかし、半日以上経ってしまってはとっくに消化されてしまって、身体は早く新しい食べ物をよこせと、無遠慮に主張してきている。

 食べられるものがまったく少しも残っていない、というわけではなかった。

 ステラの家の食糧庫にはまだいくらか残っている。戦前に生産された缶詰がいくつかと、とっておきの、ブロックタイプの軍用レーションの袋がひとつ。

 だが、それらは貯蓄であり、数少ない[財産]であった。長期保存のできるこうした食料(もっとも、本来の消費期限はとっくに過ぎ去ってしまっているが)はどこに持ち込んでも水と同様に価値のある品であり、実用的な資産、終末世界での[お金]なのだ。

 戦前の世界では、紙幣という紙切れが通貨として流通していたらしい。

 デジタルテクノロジーの進歩によって電子マネーが主流となり、物理的なお金である紙幣はあまり使われることがなくなっていたのだが、それでもしぶとく生き残っており、誰かが地中に埋めたおかげで照射兵器に焼かれずに残った、スーツケース一杯に詰まった札束というのをステラも見たことがある。

 それらは、とても良い燃料になって、暖を取るのに役立った。

 極端に物資の限られたこの終末世界においては、現物が至上であり、あんな[紙切れ]には燃やすくらいしか価値がないのだ。


(大丈夫、大丈夫……! 二、三日、食べないなんて、よくあることだし……! )


 ひもじかったがその気持ちをねじ伏せたステラは、荒涼とした風の吹き抜けていく荒野にできたクレーターの中央で鎮座している巨大な[星屑]を見上げる。

 もう、何度も、何度も、くり返し、徹底的に見て回っている、過去の文明の、[楽園]の残骸。

 どうせなにも見つからないだろうということはよくわかってはいたが、それでも彼女は往生際悪く、もう一度、徹底的に調べてみるつもりだった。


「あたし……、諦めないから! 」


 [星屑]に向かって挑戦状を叩きつけるように、ぐっ、と握り拳を突き出す。

 寝物語に聞いた、かつての豊かな世界。

 その欠片を探して、今日もステラは新たな一歩を踏み出した。

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