第十九話 薄珂の思惑(一)

 薄珂、薄珂、と頬ずりしてくれる立珂を後ろ髪引かれる想いで美星さんに預け、俺は『朱莉有翼人服店』へ向かっていた。

 瑠璃宮の品評会じゃ朱莉さんの服も人気だったみたいだけど、実はちゃんと見たことないんだよね。

 店に入ると相変わらず女性客で賑わっている。俺を見つけた朱莉さんはたたっと駆け寄って来た。


「薄珂様! どうなさったんですか!?」

「こんにちは。見てもいい?」

「もちろんです。ご案内いたしますか?」

「ううん。勝手に見るから大丈夫。他のお客さんの接客してていいよ」

「有難うございます。何かあればお声掛け下さい」


 朱莉さんはぺこりと頭を下げて他の客の元へ戻った。

 礼儀正しい人だよな。俺と立珂もあれくらいできないといけないんだろうな、きっと。

 俺と立珂は森育ちだ。皇太子天藍に誘われ蛍宮に来たのは最近のことで、礼儀作法なんて全く知らない。それどころか文字の読み書きだってろくにできない。

 それでも来賓として扱われたのは、立珂の純白の羽根が蛍宮の政治をひっくり返すほどの貴重品とされたからだ。

 だから俺達は宮廷に守られ、そこで立珂はお洒落することを知った。十六年を森で生き、初めて知るお洒落に没頭した立珂は服作りを始めた。

 だが蛍宮有翼人にとっては皮膚炎対策として有効なもので、だから国民にも必要とされた。

 朱莉さんのように立珂の価値は服にあると思ってる人が多いけど、実は羽根の副産物にすぎない。

 俺は朱莉さんの服を一つ手に取って広げてみた。


「本当に肌と肌着を見せる前提なんだな……」


 肌着を見せるのはお洒落じゃないと考える立珂と、露出は風紀の乱れで恥じるべきこととする宮廷侍女には無い考えだ。性別と生活の違いは大きいな。

 服を棚に戻すと、今度は机に並んでいる紐を手に取った。


「確かに良いな。夏場は特に良さそうだ」


 有翼人は全員必ず皮膚炎に悩む。あの羽はそれほどに熱く蒸れる。だから立珂は風通しが良く肌触りの良い生地で服を作ったけど、紐でぐるぐる巻きにするという発想が無かった。見た目がお洒落じゃないからだ。それに立珂の羽根は宮廷が買い取るから傷めないよう気を付ける必要がある。立珂の羽は俺が毎日手入れしている。


「これが美月のいう『手頃』なんだな」


 以前美月に「立珂の服は手頃じゃない」と言われたことがあった。それでようやく立珂は自分の服が「有翼人の日常に役立つ服」ではなく「お洒落着」であると認識した。これは本当につい最近のことだった。

 美月のいう「手頃」は日常の助けになる服で、朱莉さんの服がまさにそれなんだ。

 森と宮廷という極端な生活しか知らない立珂では絶対に思いつかない商品だ。

 ようやく「有翼人の日常」を知った俺と立珂だったが、立珂はやはりお洒落着を追及した。立珂が望むならそうするまでだが、お洒落着は有翼人の日常の一歩先にあるものだ。お洒落着の追及を優先するのは有翼人の日常に見切りをつけるということでもあり、それは少々迷うところだった。

 でも立珂はそれに気付く余裕は無かった。宮廷直営百貨店への出店と宮廷規定服改定という大きな仕事が発生したからだ。立珂の視野は完全に「日常」から「日常の一歩先」へ転換した。

 それは立珂の成長であり俺は嬉しかった。でもこのままいけばいずれ「立珂様は国民に目を向けなくなった」と有翼人に嫌われる日がくるように思われた。

 そんな時に出会った朱莉さんは俺にとって最高の人材だった。有翼人の苦しい日常を生き、立珂と立珂の服を愛している。行動力も創造力もあり、何より権力思考ではなく嫌味がない。とても愛嬌がある人だ。それに既製服が流通することで立珂の特注品はさらに価値が上昇する。

 そんな立珂が純朴な彼女の店を助けることは立珂自身の評判も向上させる。美星さんに行ってもらったことでこれを自然に広めることに成功した。

 でも一つ問題があった。それは彼女の経営力の無さだった。露店はお粗末なもので、到底響玄先生に後援を頼めるものではない。これならいっそ俺がやってその現場を彼女に譲渡する方がましだ――と思ったけれど一転した。それが彼だ。


「星宇さん。これって男の子でも着れるかしら」

「ええ。ご兄妹で着回すなら女の子には織物の花飾りを付けると印象が変わります」

「ああ、本当。可愛いわね。じゃあ肌着二つとその花飾りを頂くわ」

「有難うございます。ではお会計にご案内します」


 どういう経緯か知らないけど、彼が『朱莉有翼人服店』の経営をやることになったらしい。

 彼は俺と同じ立場にいる人だが、俺よりもずっと有能な人だ。予約と受注生産、特注は『りっかのおみせ』でもやってるけど、これは完全に偶然の産物だった。美月の嫌がらせで商品が駄目になった時「商品は無いのに販売をしなければならない」状況に追い込まれた。ここで新作予約と既存商品の受注を思いつき、どうせこれから作るなら個別の要望も受けてしまえばいいと特注を始めた。

 俺は経営も商売も素人だ。ただ思いつきでやっていることを響玄先生や宮廷が立派な制度へ押し上げてくれてるだけで俺一人の力じゃない。

 彼は俺が全て一人で根回ししたと思ってるみたいだけど、俺にしてみれば計画立てて即時にそれをやる彼の方がずっと凄い人だ。

 朱莉さん一人じゃこの先を任せるのは難しいけど、彼がいるなら悪くない。

 思わずじっと見つめていると星宇さんも気付いたのかこちらへやって来た。

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