第十六話 星宇の恐怖

 そうして薄珂様と立珂様は型紙だけを置いて帰って行った。

 彼女は美月と二人で立珂様の型紙で服を作り、ここはもっとこうしよう、こっちはこうだ、と議論をしている。

 いつもならその様子を窺いたいところだが、今日はもう精神的に疲れていた。長椅子に座るとどっと疲労を感じ、無意識のうちに大きなため息がでた。


「星宇さんお疲れですか?」

「ああ、いや……まあ少しな……」

「あはは。さては星宇も薄珂にやられたのね」

「俺『も』?」

「私も一度やられてるの。懲役五年を帳消しにしてくれたのは薄珂なのよ。護栄様に交渉までして」

「は?」

「私が駄目にした立珂の商品と『りっかのおみせ』改修費くらい要求されると思ってたけどそれも無し。それどころか護栄様から『これからもよろしく』なんて言われた。お父様はまた宮廷からの仕事ができるようになって今も宮廷御用達。本来なら罪人だったのにありえないでしょ? あの店だって宮廷の離宮だってのに」

「それを全部、薄珂様が……?」

「そう。立珂個人には響玄さんも手を出さないわ。彼だって護栄様と対等じゃないんだから」


 それはまさか、薄珂様は宰相殿と対等だとでもいうのか。


「でも薄珂には感謝しなきゃ。だから朱莉と出会えたわけだし」

「出会えた? 君たちは元から友人じゃないのか? だから援助してるのかと思ってたが」

「違うわよ。立珂が朱莉に服をあげて、それで朱莉が『りっかのおみせ』へ来てくれたの。そしたら朱莉は服作りにやる気あって意気投合したのよ」

「……君が立珂様の店にいるのは薄珂様の根回しなんだったな」

「根回しっていうか、従業員が必要だったのよ。立珂のお客さんが爆増した頃だったから」


 美月に関してはそうだったとしても、朱莉だけで見れば蒼玉と繋がったのは薄珂様の張り巡らせた根の一つに引っかかったということだ。

 立珂様を愛していることが絶対条件。その中から有翼人保護区で服の小売りができる者を選定していたのか。

 有翼人服店はきっと彼女じゃなくても成功した。蒼玉と天一の後援、そこに立珂様の口添えがあればそれだけで成功だ。

 だが援助するに値する人材がいなければ始まらない。薄珂様がやったのはその人材発掘だ。

 美月を自店に求めたのは最初から『若い女性店長』を見つけるためだったのかもしれない。衣類や芸能、流行を拡大する火付け役は絶対に女性だ。実際この店が初日から好調だったのは――


「美月は美星お嬢様と交流があるか?」

「そりゃ当然。美星は立珂付きの宮廷侍女だもん」

「朱莉のことは話したか? 店を始めると」

「もちろん。ああ、でも前から知ってたみたいだったわ。薄珂と立珂から聞いてたんでしょ」


 美星お嬢様がいらしたのも薄珂様の根回しか……!

 美月から聞いて朱莉は利用価値ありと踏み自然な形で客寄せをしたんだ。たった一日しかやってない露店を響玄様が評価なさったのも、きっとあの時点で薄珂様の予定調和だったんだろう。評価したのは響玄様ではなく薄珂様だったんだ。


「なあ。響玄様はどういう経緯で薄珂様を弟子にしたんだ?」

「そこまでは知らないわ。でも美星は二人が宮廷にいた頃から立珂の世話役として付いてたから美星経由でしょ。薄珂と立珂の家も二人が宮廷を出てすぐに響玄さんが用意してあげたっていうし。結構長い付き合いなんじゃない?」


 ……違う。響玄様という最高の後援を見つけたから独立したんだ。宮廷に呑み込まれるより対等な顧客にする方が良いと踏んだ。それも宰相護栄という最強の相手を顧客にした状態で。


「響玄様がそこまでする理由は一体何なんだ。可愛いだけじゃ済まないぞ」

「それはお金じゃない? 宮廷から貰う立珂の羽根代。あれ薄珂と立珂じゃなくて響玄さんに渡してるんだって。全額」

「は? なんだそれは。立珂様の抜け羽根全てを宮廷へ納品してるならひと月で金三百はくだらないはずだ」

「それを渡す代わりに保護者になってもらってるのよ。二人の養育費と遊興費、その他迷惑料とか言ってたわ」

「迷惑料……」


 まさか、響玄様は保護者を名乗り出たのではなく、響玄様の方が薄珂様に掴まれたのか? 宮廷と縁を持つことを響玄様への報酬とし、代わりに盾となってもらう。


「立珂の欲しがる生地とか服って高価で仕入れも大変でしょ? それひっくるめてよ」

「だとしても釣りが出るだろうが」

「だから迷惑料よ。薄珂も一度は独立を考えたらしいわ。でも経営って大変でしょ? 働くなら立珂の側を離れる時間も増える。ならお金払って守ってもらう方が立珂の側にいられて都合良いのよ」


 これは最高の人選だ。立珂様の欲しいものを全て手にできる人材を保護者に立てる。しかも全て天一の名前で行われるなら立珂様の名前は表に出ない。


「薄珂と立珂はお金儲けしたいわけじゃないから星宇とは考えが合わないかもね」

「……正直まったく読めないな」

「それは薄珂が読むほどのこと考えてないからよ。ただ立珂が大事なだけ。朱莉だってそうでしょ? 立珂が大好きなのよ、みんな」


 そうだ。彼女が立ち上がったのは立珂様の優しさに惹かれたからという自発的な行動。一連の全ては立珂様のおかげだと着地するだろう。


「しくじったな……」


 商売を初めて何かを恐ろしいと思ったことはなかった。所詮は全て金の流れでしかなく、がめつい奴ほど思考と行動は単純だった。馬車移動で販売手段の限られてる隊商なんて単純を極めた。

 恐怖とはこれか。

 俺は恐ろしかった。得られた物は目に見えているのに、何を失ったかが分からないことがとても恐ろしかった。

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