第十五話 薄珂の商談(二)

「素晴らしいですね。でも迦陵頻伽代表者がこの場にいない以上、この契約が真実か分かりません」

「そっか。じゃあこれも契約しようか」


 まだ何かあるのか?

 薄珂様はまた一枚書類を出した。今度は俺も隊商でそれなりに使った契約だった。


「独占卸契約、ですか」

「『りっかのおみせ』が卸すのは『朱莉有翼人服店』のみ。他での配布は一切行わない。迦陵頻伽での配布も条項にいれてる。これでどう?」

「……これも事前に用意していらっしゃったのですね」

「うん」


 これも印刷された物で、既に薄珂様側の署名まで完了している。

 全部用意してたのか。そして今日契約すると分かってる。これはこちらに拒否権はない。いや、得しかない。だが……


「あなたに何の得が? 金が必要そうには見えませんが」

「うん。だからこれも契約したい」

「は?」

「『りっかのおみせ』と『朱莉有翼人服店』で発生する金銭のやりとりは全て羽根でも良しとする。こちらから提供する物は型紙に限らず何でも相談にのるよ」


 俺は書類の条項を見て眉をひそめた。

 価格は羽根一枚あたり最低銅五。質に応じて銅十から最大銀一? 何だこれは。立珂様ならともかく、一般有翼人に対して何故こんな額を付ける?


「……失礼ですが、これにどんな意味が?」

「俺は羽根が欲しいんだ。俺というより護栄様がだけど」

「護栄様?」


 宰相の名が出て来るとは思わなかったな。

 俺はもう一度書類に目を通すと、署名欄に記されている名が他と違う事に気が付いた。

 これまでの書類の署名は天一だった。薄珂様は響玄様の弟子という立ち位置にいると聞いた。つまり天一としてやって来ているのだろうと思っていた。

 だがこの書類にあるのは『宮廷離宮内、りっかのおみせ管理者薄珂 管理者は変更される場合がある』となっている。

 そうか! 本命は風評被害改善でも型紙でもない。この羽根換金契約だ!

 契約者が『宮廷離宮の管理者』である以上、羽根の納品先は響玄様ではなく宮廷直ということになる。

 これで宮廷は立珂様個人と天一、さらに国民からの羽根入手経路を手に入れた。いや、薄珂様がその経路を作り提供してあげたという図式。これはうちだけでなく宮廷をも握ったということだ! そのうえうちは響玄様の支援があり、いずれは区長の名のもと有翼人保護区へも拡大をさせられる。つまり宮廷は全有翼人から羽根を回収する経路を確立することに等しい。それも全て薄珂様の手の上で……!

 そっとと薄珂様を見ると変わらずにこやかに微笑んでいた。まるでこれが当然であるかのように。


「目的は宮廷を握ることですか」

「ううん。立珂を幸せにすることだよ」

「立珂様のためなら宰相殿をも利用しますか」

「それは護栄様が優しいだけだよ」


 立珂様の羽根も服も素晴らしいものだが、商品の流通とはそんな簡単なことじゃない。実際、東西南北各区には立珂様を知らない者の方が多い。それなのに何故こんな急速に拡大流通したか不思議だった。

 全ては薄珂様の手のひらだったのか。

 小さな隊商で精いっぱいだった俺に返せる言葉などありはしなかった。


「断る余地なしですね。ではこれでお願いします」

「よかった。型紙が無駄にならなくて済むよ」


 ……そういえば何故こんな大量の型紙が即出てきた? 印刷と梱包までされているなら人間の工場で作ってるはず。型紙を用意し量産し納品なんてひと月はかかるだろう。

 ようやく気付いて薄珂様を見ると、やはり穏やかに微笑んでいるだけだ。


「いつから根回しを?」

「立珂が型紙配りたいなーって言い出した時から」


 つまりとっくに準備はできていて、最も効率良く拡散する好機をうかがっていたのか。なら彼女はその着火剤に利用されただけだ。この騒ぎに乗じるのは話題性があり彼は手間を省ける。加えて立珂様へ悪意を持っていた者の見せしめもされた。立珂様にとって良いことしかない。


「……あなたの目的は何です?」

「だから、立珂が幸せになることだよ」

「偶然得たには人脈が強すぎる。一体どういうお考えで動いてらっしゃるんです?」

「どうもこうもないってば。ただ立珂が可愛いだけ」

「そんな偶然がありますか」

「うーん。これは護栄様の教えなんだけど。政治に偶然はない、偶然に見えたならそれは誰かが作った必然に気付けていないだけ」


 今『朱莉有翼人服店』は繁盛してる。だがその成功は偶然続きだ。偶然響玄様が目を掛けて下さり偶然立珂様が気に留めて下さった。

 おそらく響玄様が目を掛けて下さったのは薄珂様の根回しだ。開店と同時に天一ご令嬢、美星様がいらしたことも偶然じゃない。あそこから全ては始まっていたのかもしれない。


「どれ一つとして偶然ではなかったということですか」

「あはは。あなたは護栄様と気が合いそうだね。さ、商談はこれで終わり。他にも必要なものがあれば言ってね」

「……ええ」


 握手を求められ、拒否することなど恐ろしくてできなかった。

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